夢見るオジサンになりたいなと思った、という話
皆さま、お疲れ様です。
今日もnote書いていきます。
突然ですが、皆さん「夢」ってありますか?
僕は……パッと思い付きません。
今はこんな感じですが、昔はあったはずです。何となくじゃなくて、ちゃんと「こうなりたい」「これを実現したい」みたいなこと。
叶ったことも、叶わなかったこともありました。
思っていたはずだけど、何となくうやむやになったことも。
これまで頭の中で思い浮かべた「夢」や「理想」はいっぱいあって。
でも、いつの間にかどこかに消えちゃいました。
考えてみると、僕が過去に抱いた「夢」や「理想」は、全て一つ残らず「自分の利益」でした。
例えば、「〇〇になって困っている人を助けたい」とか、「××を実現して社会の発展に貢献したい」みたいなのは皆無で。
中学生の頃に夢見た職業は「ゲームデザイナー」でした。
ドラゴンクエストの原作者、堀井雄二さんに憧れて。「すごいゲームを作りたい」と思っていました。
ポイントは、「すごいゲームを作りたい」で終わっていることです。
「すごいゲームを作って遊ぶ人を楽しませたい、感動させたい」じゃないんです。「作りたい」。ここで終わり。
長じて、僕は数年の間「ゲームを作る人」の末端になることはできました。
「ゲーム」と言っていいかどうかは分からないようなものですが、とにかく家庭用ゲーム機上で動くソフトウェアの制作には携わりました。
幼い頃に夢見ていたことを実現できた、と言っていいかもしれません。
でも、どこか、なにか、達成感とか充足感とかそういう感覚は無くて。
何というか、「作りたい」の先に何かもう一つ踏み込んだ夢や希望があったらよかったんじゃないかな、と思うんです。
で、なんでこんなことをツラツラ書いているのかというと。
さっきですね、TVerで地上波放送直後の「沸騰ワード10」を観たんですよ。
海上保安庁の、ヘリコプターパイロットを養成する学校の話をやっていたんです。
そこに出てきた訓練生の方々が、「パイロットになって困っている人を助けたい」って仰っておられたんです。
凄いなーと思いましたね。
パイロットになるのは目的じゃなくて、手段。
「困っている人を助けたい」という夢をかなえる手段であると。
自身を省みて、僕はなんて浅いのかと反省しました。
かつて思い描いた夢は、みーーーんな「手段」を得ることでした。
その手段を使って何を成すのか、又は何を成すためにその手段を手に入れるのか。
そんな事は考えてきませんでした。
お恥ずかしながら。
僕の意識は常に内へ内へ向いていたような気がします。
もっと、外を向いて夢を持てたらいいのになぁ……と、バラエティ番組を観ながら思いました。
夢見るオジサンになりたい。