まっつん
13年前、24歳のとき、とても沈んでいたときがあった。
当時の私は夢に向かってもがきつつも、自分の技術のなさや努力の足りなさに憤り、勝手に病んでいった。
一緒に夢に向かう友人もいたが、彼らに対して、とても失礼な別れ方をしてしまった。そういった自分の思慮のなさや悪い幼さに気づきつつも、社会や体調のせいにして、全てから逃げまどっていた。
20歳くらいの頃からipod classicを使っていた。128GBのモデルで、中にはたくさんの洋楽とたくさんの自分の音源やライブ音声、落語、そして、
「松本・高須の放送室」が入っていた。
ガキの使いが大好きで、中学生の時に「24時間鬼ごっこ」を初めてみたときから、松本人志の虜になった。
中学2年生くらい?のときに放送室が始まって以来、ほとんどの回を録音して、その次の日に聴く、という楽しみを始めたが、そんな放送室も、大学4年のときに終了した。
当時ニコニコ動画に、放送室を第一回から不法アップロードしている方がいた。ラジオCMが中京付近の広告が多かったので、名古屋とかそのへんのマニアがアップしていたのだろう。褒められたことではないのだろうが、とても感謝している。その全ての回を私は不法ダウンロードした。褒められたことではないが。それをiPodに入れ、持ち歩き、一日中聴いていた。誰かと話しているとき、風呂、セックス中、バイト中、バンド練習中、それ以外の時間はほとんど放送室を聴いていた。何周も何周も、繰り返し聴いた。
タイガー&ドラゴンというドラマで、長瀬智也扮する若手落語家が、師匠の落語を録音したものを、イヤホンではなくヘッドホンで聴いていたので、私も放送室をヘッドホンで聴いていた。友人から、放送室をヘッドホンで聴いているのはお前くらいだ、と言われた。なぜか嬉しかった。
13年前、24歳のとき、とても沈んでいたときがあった。
当時の私は夢に向かってもがきつつも、自分の技術のなさや努力の足りなさに憤り、勝手に病んでいった。
ふとしたときに、とても悪い考えが頭をよぎることもあった。その実行のために、30時間近く歩き回って場所を探し、大きな橋の中間まで歩いたこともあった。そんなときでも、放送室を聴いていた。
橋の中間あたりで、涙がこぼれてきたときに、放送室の第64回、「俺はフェラチオのことを認めてへん」の話が始まった。
笑った。とてもおもしろい。松本高須の掛け合いの中で、一番好きな回かもしれない。
もう笑っちゃったし、やーめた、と踵を返し、家に帰ることに決めた。
本当は、私にそうする勇気が無かっただけなのだろうが、やめる理由をすんなりくれたのは、間違いなくまっつんとたかっちゃんだ。
あんまりニュースを見ない私でも知っている。
まっちゃんが、引退するかもしれない。
いろんな方に思慮のないことを言ってしまうが、
やめないでほしい。
いまでも、まっちゃんの番組ばかり見ている。
まっちゃんがやめたら、もうほんとうに、地上波のテレビに用が無くなる。
オモコロと僕らの別荘と板橋ハウスをループするだけになってしまう。
もしテレビを引退する、となったら、またラジオをやってくれないかな~。
あーあ。