性別適合手術
こんばんは
今日は性別適合手術の話です
私が性別適合手術を受けたのは
確か22歳の時の8月の終わり
印象に残ってるのが手術の日に
テレビではるな愛さんが
24時間テレビでマラソンのランナーを務めてたこと
この手術を受けるにあたって
元々大学病院でカウンセリングを受けていたのですが
手術していただける病院で
セカンドオピニオンで性同一性障害と
診断してもらうために
カウンセリングを何回か受けていました
性別を男から女へ変える。
これ言葉にするのは簡単なんですけど
実は命がけの事なんです
だから誓約書(命に関わる事が起きても病院は一切責任を持ちません。また手術後の健康被害へのリスクを承諾します。)
はしつこいくらいに確認されて
書いた記憶があります
私のモチベーション的には
この体のまま健康に長生きするくらいなら
リスクがあろうが思うままに生きて
短い人生のが幸せだと思ったので迷いは一切ありませんでした
そして手術当日
確か前日から絶食して
朝には胃腸が空っぽになるように
何か液体?みたいなものを2リットルほど
飲まなきゃ行けなくて
それがすんごく不味かった笑
手術室まで歩いていき
背中の骨髄に麻酔(全身麻酔)を打つのですが
針が入っていく瞬間
22年間のいろいろな記憶がフラッシュバックして
自然と泣けてきました
そして麻酔が効き始めた朦朧としてきた時
執刀してくれた先生
手を握っていてくれた看護師さんに
「綺麗にしてください、よろしくお願いします」
と言った後はたぶん眠ったんでしょう
目が覚めたら病室のベットの上でした
股間に痛みがあり
でも意識がフワフワしていて
ふとベッド脇に目をやると
祖母が心配そうに
私の顔を見ていました
あっ生きてる
手術終わったの?
そんな不安が頭をよぎり
ナースコールで看護師さんを呼びました
看護師さんが来て
手術無事に終わりましたよって言ってくれて
安心したのを覚えています
祖母は手術中に病院に来て
ずっと待っていてくれたそうです
昔の人の感覚では
こんな性同一性障害だとか
オカマだとかなんて
理解しがたいはずなのに
心配してわざわざ電車を乗り継いで
病院まで駆けつけてくれたなんて
素敵なおばあちゃんすぎませんか
目が覚めた少し後に
母も来てくれました
頑張ったねと言ってくれて
泣きそうでした
母に対して
せっかく産んでくれた
五体満足の身体に
メスを入れること
もしかしたら母より先に死んでしまう可能性だってある
後ろめたい気持ちがあったのも事実です
でも母が
中途半端では終わらせるなと言ってくれたから
半端な気持ちで
半端な事はしない
私の幸せが1番の親孝行だと
切り替えるしかなかったのです
麻酔が切れて
股間が熱いような鈍痛があり
睾丸摘出手術の時とは比にならない痛みで
背中の骨髄に刺さってるチューブから
何度か痛み止めを追加してもらいました
カテーテルが入っていて
尿意を感じなくて
数時間置きに
看護師さんが尿を出してくれました
すっごく恥ずかしかった笑
手術当日はご飯は食べれません
確か、点滴で栄養を入れてくれてたのかな
次の日くらいから
お粥を食べれるんですけど
それがめちゃ美味しかったです
お粥ってこんなにおいしかったんだと笑
それからしばらく病院の近くのホテルにて
宿泊しながら通院という流れなんですけど
まず痛くて歩けないし
座ると傷に当たるので座れない
円座を使ってそーっと座るけど
それも痛いんです
寝てるのが1番楽なんだけど
寝転びすぎて
背中も痛くなるので
よちよち歩きと寝るの繰り返しでした
あと出血がありえないくらいあったので
大人のオムツしてました
半日でパンパンになるくらいの血
でも気持ち的には全然余裕でした
だって不要な物がやっとやっと無くなったのですから
そしてついに世のMTFさんなら
みんな通るであろう
性別適合手術後の膣の拡張(ダイレーション)を
始める日
この話はまた今度にします
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