青春を考える。
あの時は楽しかったな。青春してたな。戻りたいな。といった言葉を最近よく聞く。青春=楽しいと言う考え方が人々にはあるようだ。
そこで、楽しい人生を送ることを人生の目標とする私が考えるに、生涯を青春時代として過ごすことができたら、目標を達成できるのではないかと考えた。
青春とは『人生の春にたとえられる若い時代。年のわかいこと。青年。青年時代。』とされる。しかし、世間的な意味では、若いだけでなくもう少し汗の匂いがするような意味合いが足されているように思う。
高校生、大学生といった学生時代を終えると人の青春時代は終わるのであろうか。
または、一般に若いとされる年齢を過ぎると青春時代は終わりなのであろうか。
今、自分は若いと言われる年代にいる。
いわゆる、青春時代を生きている。
そんな私に不思議なのは、青春とはいつ始まって終わるのか、それが終わると人はどこへいくのかということである。その先に続く道は"大人"へと続くのだろうか。正解はわからない。
では、両親はいつ青春時代を終えたのだろう。
少なくとも、結婚した時はまだ大人になりきってはいなかっだろう。結婚して私が生まれ、私の記憶にある母は既に大人であった。守るべきものができると大人になるのだろうか。
また、大人になりたくないと、青春を終わらせないぞと、言う人々も存在する。本当に青春を終わらさせないことは可能なのであろうか。
考える。
青春とは、学ぶ人ことを言うのではないか。
青春時代とは学び、成長し、何かを成し遂げようとするその時間を指すのではないだろうか。
ただ遊び、キラキラした時代を過ごすのではなく、その中にある学びを自分のものにし、成長していく。それを日常の中ですることが多いから一般に学生時代は青春時代と言われるのではないか。
そして、その成長を積み重ね、経験で生きていくのが大人なのではないか。
と言う仮説を立てると、例えば学生時代を終え、社会人や親になったとしても、学びと成長の姿勢があれば、それは青春になるのではないか。
そうであるとすれば、青春を終わらせるのは自分であり、青春を再開させるのも自分である。
大人と青春時代の共存も可能である。
上の理論から導くと、人生を学びと成長の連続と捉え、努力する人は一生を青春時代で終わらせることが可能なのかもしれない。
青春に新たな可能性が見えてきた今、大人になると言う言葉に怯える私たちに希望の光が差している。
楽しい人生を送るには、青春時代のような、学びと成長する楽しさを忘れず過ごすことが大切である。
ただ、中には単に遊びたいからと言う理由で大人になりたくない、青春を終わらせたくないと言う人もいる。そんな彼らも、遊び以外のことをする時、その中で学びと成長を感じることがあるだろう。それは紛れもなく青春であり、知らぬ間に彼らの青春は続いているのである。恐れることはなにもなかったのである。
本当に恐るべきことは、学びと成長を感じなくなってしまうことなのかもしれない。