パラレルワールド 新聞 歴史記事課♯1: 「どうして、60万人戦死してもびくともしないのかをオリガさんが解説」
今回は「どうして、60万人戦死してもびくともしないのかをオリガさんが解説」します。
最近、ニュースでロシア兵は60万人戦死したといっていますが、ロシア的には全然平気です。
検索キー: ウクライナ東部攻撃でロシア兵63人死亡、軍上層部に批判
実際、ピクリともしないロシア政府。
これは根が深く、最近でも1905年のロシア 血の日曜日事件をみてばわかります。
どうして平気でいられるのかは1905年ロシア 血の日曜日事件を知れば一発解決(?)です。
武器商人秘書 オリガさん寄稿
今回は、オリガさん写真で少しだけ登場となっています。
血の日曜日事件 (Bloody Sunday) ‐1905 (youtube.com)
要約: 60万人戦死してもびくともしないのか?
ロシアの血の日曜日事件を見れば理解できます。
ロシアの血の日曜日事件?
発生の背景と経緯
1905年1月9日(ユリウス暦)、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで起きた悲劇的な事件です。ロシア革命の前哨戦とも言われ、帝政ロシアの崩壊へとつながる重要な出来事の一つとされています。
事件の背景
日露戦争の敗北: ロシアは1904年から日露戦争を戦っていましたが、1905年に日本に敗北しました。この敗北は国民の不満を大きく増幅させ、政府への不信感を深めました。
経済の悪化: 工業化が進んでいたものの、労働者の生活は依然として厳しいものでした。賃金は低く、労働時間は長く、労働環境も劣悪でした。
政治的な抑圧: ロシアは絶対王政下で、国民の政治参加は厳しく制限されていました。
事件の経緯
労働者たちは、賃上げや労働時間短縮、政治的な自由を求めて、平和的なデモ行進を計画しました。しかし、デモ隊は宮殿に近づこうとしたところで、コサックなどの軍隊によって発砲され、多数の死者が出ました。
正確な死亡者数は諸説ありますが、数百人から数千人規模と推定されています。原因は、軍隊による発砲です。デモ隊は武装しておらず、平和的な手段で訴えかけていたにもかかわらず、容赦なく銃撃されました。
要するに、何人死んだかも正確に政府側が把握していないぐらい撃ち殺して捨てたということです。
つまり、うっとうしいという理由だけで無抵抗の自国の一般市民を数百人から数千人を平気で射殺するような国です。
とかんがえると、国のためなら何人死んでもしょうがないと考えてもおかしくないでしょう。
で、ニュースでロシア兵が60万人戦死したと報道されても、血の日曜日事件に比べれば大義名分があるので、ロシア的にはなんのぐらつきもないはずです。
結果、そのあたりを西側は誤解していると思います。
パラレルワールド 新聞 歴史記事の読者は、だよな~
と全員口をそろえてそう言っています。