母のミシン小物入れ
作家になることを夢見る文学少女だった母は、女学生のころは家庭科が大の苦手だったと云う。レース編みの課題が出たときなどは、母の友達が提出して戻ってきたものをあたかも自分で制作したかのように提出した、という話を聞いたことがある。
そんな母が、2人の娘を持ってからは子供服づくりに励むようになっていた。
最初のころは仕上がりがヒドイものだったらしいが、やがて洋裁学校に通うようになり、多少はまともなものが出来上がるようになった。
そんなわけで私と妹は、小学3~4年生頃まではいつも母親お手製のお揃いの服を着せられていた。
その後も何かにつけ母に服を縫ってもらった。
私たち姉妹が年頃になると、製図や作り方を載せたファッション誌『荘苑』に掲載された服を選んで母につくってもらったものだ。
社会人となり、結婚後も、なんやかやと母は手作りのものをつくってくれた。
1950年代に洋裁をはじめ、年を取り認知症で手作業がおぼつかなくなるまでの60年間、母はミシンと共に生活してきた。
その間、ミシンを何回か買い替えている。私が覚えているだけでも、ブラザーとシンガー、そして晩年のJUKIがあった。
そして、「sewing machine mitsubishi」と書かれた缶ケースを持っていたことを考えると、三菱のミシンも使っていたに違いない。
この缶ケースは私が20代のころ、母に簡単な洋裁を教わったときに譲り受けた。糸切りバサミや針刺しなど、裁縫道具を入れるためにもらったのだ。それ以来ずっと使ってきた。
ふたが少し怪しくなってきた今でも、手縫い作業やたまにミシンを使うときにはこの缶ケースが登場する。
実用的なデザインのどうってことのないこの缶を、私は何故かとても気に入っている。
いたずらにネットで検索して見たら、何とレトロアイテムとして売りに出されていた。
どうやら三菱電機の足踏みミシンの小物入れらしい。足踏みミシンということは、母の最初のミシンだったのかもしれない。
この思い出のケースを、これからもずっと使っていきたいと思う。