
無駄を作り無駄を愛する
今年の年末はトルコ・ウズベキスタンに行くため兵庫に帰省しません。そのため、いつも会っている方々とzoomを使ってオンラインで忘年会を開催してます。仲の良い友達同士だとスムーズに会話できるし、たまにはこういう形も悪くないかなと。
こんにちは!まるちゃんです!
今週は「最近無駄なことしてる?あえて無駄なことしてみようぜ。」そんなことを言ってみたいなと。「スマホをなんとなく見て時間が過ぎてしまった」みたいなものではなく、時間を決めてボーッと散歩するとか昔の写真を見返すとかそういう類のものです。

私は涌谷に来てから日々涌谷の中で色々活動させていただいてます。その中で、役に立てそうなことや意味のあることを多くやらせてもらっています。そのためより良くするためにはどういう工夫が必要かなど考えることも多く、少し切羽詰まっている感じがして心が休まらないときもありました。(今は問題なし!)
そのような疲れは「ダラダラとSNSをながら見することでは無くならないよな。」とふと思いました。それで、あえて意味もなく30分散歩してみようと思い立ちフラフラと町を歩いていたんです。そうしたら「高い建物やビルがないから遠くの空まで見えるなあ」とか「この道いつも車で通ってたけど歩くとまた違って見えるなあ」といったように新しい発見があり、それとともに面白いアイデアも降ってきました。

振り返ってみれば昔から意味もなく無駄なことをよくしていたのです。中学生のときは友達とママチャリで遠出することにハマり、たまたま見つけた無料の足湯に浸かって帰ってくることもありました。大学生のときは兵庫から琵琶湖まで約80キロを歩いて伊能忠敬をリスペクトしました。
何も残らなくて無駄でもいい。それでもやってみようと思える時間と心の余裕を持つことは人間誰しも必要なんじゃないかなって思うんです。SNSも必要だけどあえて特別なことはしない。大事なのはなんとなくさせられるのではなく自分からやること。
無駄とわかっていながらそれに飛び込む。それがリフレッシュや新しい発想に繋がりやすい気がします。これを読んでいる中高生も、大人の方も忙しい方が多いと思います。それでもたまには無駄を作ってみませんか?意外な発見もあるかもしれません。