創作に関する思考の言語化―自作品『埋まれればよかった』を書きながら何を考えていたか

 空代(空閑屋)さん(@ak1kannya)が創作プロセスに関する思考の言語化、思考の言語化タイムラプスお試し版(題材「カラスの尾羽」)をなさっていて、面白い~! 私もやってみたい! と思ったのでこの記事を書いています。

 題材はマイ桜の日どん底憂鬱引きこもり作品『埋まれればよかった』

 まず、この作品はTwitterの「桜の日」のための短編を書こうと思って書いたものです。Twitterから「桜の日ってタグつけたらこの日限定絵文字が出るよ!(意訳)」ってメールが来て、わーホント!? どんな絵文字なんだろう!? 書く書く~! ってなって取り掛かりました。
 これを書く前に桜の日短編をもう一つ書いていて、それがこれなんですけど、これは非常に明るくほのぼのとした作品でした。
 ご存知の方はご存知でしょうが、普段の私は主人公の精神を追い込むのが大好きで、いつも暗く救いのない純文学ばかり生産している創作者です。
 それがそんな明るくほのぼのとした作品を書いてしまい、そのときはよかったのですが、なんか欲がわいてきたんですよね。追い込みてえ……主人公を絶望させぐるぐるさせ絶望の果てまで追い込んで現実を諦めさせてえ……そんな欲が……

 そんなもやもやから生まれたのが、本作『埋まれればよかった』です。

 では出だしから見ていきたいと思います。全体の流れとしては、途中まで書いて、一回没にして、新しいのを書いてそれが本作品となっており、没作品が残っていたのでそこから解説していきますね。開始!

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 桜。桜で暗い感じのやつかあ。桜と暗さはまあまあ結びつく感じのイメージでもあるので、そんなに難しくはないでしょう。
 ここで「桜の木の下には死体が埋まっている」という言葉を思い出し、これを使うことに決定。
 そのまま使ってそれに沿い切った作品にしてもつまらないので、ここは主人公に反駁させましょう。

「桜の木の下には死体が」
 埋まっているわけがない。そんなことがありえてたまるか。

 よし、いい感じです。ここから書いていきましょう。

 最初に言い出したのはなるほど文豪かもしれないが、今や立派なミームと化してあちらこちらを回っている。
 桜の木の下には死体が埋まっている。
 桜の木の下には死体が埋まっている。
 埋まっているわけがない。
 いや、埋まっていればまだよかった。
 浮世離れした、あの満開の桜の木の下にあなたが埋まっていると思えた方がよかったのかもしれない。
 だが僕は見た。
 青空。
 煙突。
 崩れる骨。
 元々何の関係もなかった僕とあなたの間には今や本当に何の関係もなくなってしまった。
 毎朝通学するときに通るこの桜の木の下にあなたが埋まっていれば、まだ忘れずにいられたかもしれない。

 ここまでは完全に手癖、何も考えずに書きました。ここからが問題だ。誰が死んだことにしようか。ここはオーソドックスにクラスメイトかな。私、青春好きだし。
 死んだクラスメイトは私の好みである「常に暗い雰囲気を漂わせてる男」にしようかな。そうだ、ついでになんかのヒーローの「敵」って属性もつけてしまいましょう。敵のボスだと大物感強すぎになるしありきたりになってしまうから敵幹部くらいにしておきましょう。

 親しくも何ともない、ただのクラスメイトだった。
 話したのは僕が落としたペンケースを拾ってもらったときぐらい。何の関係もない同級生だと思われていただろう。
 遺族は悲しんだ。世界は喜んだ。
 常に暗い雰囲気を漂わせていたあなたは敵方の組織の幹部だったらしい。
 ヒーローと対決する様子がテレビで中継されていたらしいが、知らなかったので見ていない。

 ここで詰まってしまいます。「知らなかったので見ていない」なら主人公はどうして「あなたが敵方の組織の幹部だった」ことを知っていたのか? 周囲から聞いたのか?
 うーん、イマイチイメージが湧きません。
 これはボツにして別の展開にすることにします。
 時には諦めることも肝要です。
 さて。

「桜の木の下には死体が」
 埋まっているわけがない。そんなことがありえてたまるか。
 最初に言い出したのはなるほど明治の文豪かもしれないが、今や立派なミームと化してあちらこちらを回っている。
 桜の木の下に死体など埋まっているわけがない。

 ここからが問題です。どう展開させましょうか。埋まっている、というのが一般的には普通で、主人公はそれに「埋まっているわけがない」という風に反駁し、語調からすると怒りすら覚えています。なぜ主人公は怒りを覚えているのでしょうか。うーん。
 そうだ、ここは私の性癖、「みんなはそう思ってるけど自分はそうは思えない」を使いましょう。それでさらに性癖ドン、「主人公が周囲を羨んでる」ことにしましょう。
 これで主人公の反駁している理由がわかりました。主人公は桜の木の下には死体が埋まっていると思いたいのに思うことができなくて、埋まっていると信じられる周囲を羨んでいる。
 よし。
 そこから適当に展開させます。主人公に自分を幾分か客観視させてみせた後「あるわけがない」についてもうちょっと詳しく説明します。どういう風にあるわけがないと思っているかを例を挙げて(サンタ、妖精、神、幽霊)畳みかけさせます。その後、その「あるわけがない」を主人公自身に再肯定させます。これは、「自分の考えに自分で言及して評価づけするのって萌えやんな!」という私の性癖によります。

 埋まっていると信じられた方が世の中楽しく生きられる、そんなことはわかっている。
 だが俺にはどうしても信じられない。あるわけがないと思ってしまう。
 サンタはいないし、妖精はいないし、神も幽霊もいやしない。桜の木の下にも死体は埋まっていない。当然だ。そんなものは人々の空想なのだから。

 うんうん。彼は空想全般を信じることができない主人公なんですね。
 ところで、彼はずっとこのような状態なのでしょうか。このような状態になる前は空想を信じていたのでしょうか。子供の頃はどうだったのでしょうか。
 一般的には子供って色々な空想を信じていますよね、サンタとか妖精とか。
 よし。では、子供の頃は信じていたことにしましょう。それだけではつまらないので、人一倍信じていたという裏設定も追加しましょう。そうすれば、今との対比が際立ちます。

 幼い頃は信じていた。サンタはいるし、妖精もいるし、神も幽霊も存在していて桜の木の下には死体が埋まっていた。

 うん。
 ここですかさず私の性癖「孤独を感じていた少年時代」を付加し、人一倍、怖いほどに信じていた空想がその孤独を癒してくれていたことにしよう、という考えで前に進めます。

 無邪気な空想の産物を時に恐ろしく感じることはあれど、それは孤独から俺を守ってくれた。

 ここで疑問。子供の頃は空想が主人公を癒してくれたのに、何がどうなって主人公はこんな状態になってしまったのでしょうか?
 ここで、私の性癖「生きることが苦しいと思っている」「苦しみから信仰をする・縋る」「信仰対象への不信」のとくとく大盛りセットを主人公に付加します。オーダー大盛りで。
 主人公は色々なことに苦しんでいて、空想に助けを求めていたのですが、空想は全然応えてくれなかった。そして、主人公はだんだんと空想を信じられなくなっていった、ということにします。
 よし。色々と決まったので、ここで性癖を全開にし、過去回想で主人公を痛めつけます。

 長じるにつれ、空想のベールは色を失い、現実だけが残った。
 絶望したとき、後悔したとき、疑問を抱いたとき、孤独なとき、何度も神に妖精に問いかけた。幽霊にさえも。俺はここにいる、ここにいて苦しんでいる、どうして何も言わないんだ、どうして誰も俺の存在に気付いてくれないんだ。
 友はおらず、家族は遠く、誰にも本心をうち明けられず、疑問を抱いても提示できず、日々の雑事に精神を削られ疲労して、溜まり続ける業務に押し潰され、夜は襲い来る過去の記憶に後悔ばかり。
 どうしてなんだ。どうして日々がこんなに重いんだ。神に、妖精に、幽霊に、問いかけ続けた。
 一度も答えは返ってこなかった。神からも、妖精からも、幽霊からさえも。
 俺はじわじわと理解していった。神、妖精、幽霊、その他もろもろ、およそ空想なんてものはこの世のどこにも存在しなくて、寒々とした現実の中で俺はただ一人きりなのだと。

 はい。散々痛めつけました。
 少し満足したので、絶望の現状認識をさせていったん一段落させることに。

 そう。だから、桜の木の下にも死体は埋まっていない。

 よし、オッケー。では次に、最初の方で考えていた「主人公が周囲を羨んでる」ことを主人公自身に言語化させます。

 俺と奴ら、生きる上で抱えている重さはきっと同程度のはずだ。なのに、俺は空想が信じられなくて、奴らは信じている。夢を見ている。空想の翼を持っている。
 俺はどうして失ってしまったのだろう。
 どうして俺は飛べないのだろう。

 飛べない。主人公は空想の翼で空を飛べないのですね。
 ここで連想。空を飛ぶ、そういえば、リアル世界には夢の中でだけ空を飛べるという人がいますよね。面白い現象ですし、うちの主人公にもそれを盛り込んであげましょう。

 どうして俺は飛べないのだろう。
 けれど夢の中でだけは俺も空が飛べて、それが唯一の救いだった。
 眠っているときは現実から解放される。例え嫌な夢であっても、現実ではない。

 ここまで書いて、主人公にとって「夢」は救い足りうるのではないかという気がしてきました。充分夢見て生きていけるのでは。
 いけません。それではいけません。絶望も追い込みも足りません。ここは夢という安全地帯をグサッと刺して、もう一度主人公を追い込んでおくべきでしょう。

 ふわふわと眠り続ける中、ふと目を覚まして現実の冷たい刃に触れ、怯え、怒るとき、俺はぐるぐる唸って布団の中に潜り込む。
 何度も信じようとして、信じられなくて、思考の最期に目を瞑る。

 いい感じです。しかし、ここでなんだかネタが尽きてきたような気になる。この辺で情景描写など入れておきましょうか。

 目を覚ました時ベッドの上の天窓から見える山桜は満開で、春風がその花弁を散らしている。

 うん。いいのではないでしょうか。
 ここで私ははっと気付きます。この引きこもり主人公、桜の下に住んでいるなら、引きこもり=社会的に死んでいる=桜の木の下には死体が埋まっている になりませんか。
 なるほどと一人で納得し、ここでラストシーンが決定。ラストは桜の木の下には死体が埋まっている相似形を提示して引きにすることにしました。
 とりあえず、いったん主人公にそのことに関する言及をさせます。

 もし俺が死体なら、桜の木の下には死体が埋まっているのかもしれない。
 けれど俺は土の中にいるわけではない。身体は生きているし、かろうじてまだ現実にその身を置いている。

 オッケー。で、適当に反復・再演でもさせておきます。
 「桜の木の下には死体が埋まっている」の相似形を否定させ、空想が信じられないということを反復させてみたり、はたまた「桜の木の下には死体が埋まっている」を現実にする方法を考えさせてみたりと存分にマイ性癖:「ぐるぐる思考」をさせます。

 想像の中でさえも理性が邪魔をして信じることができない。桜の木の下には死体が埋まっているのだ、そのはずなのだと何度繰り返したか。
 ずっと食べずに過ごしでもすればその言葉を現実にできるのかもしれない。しかし、できたとしてもそれはほんの一瞬であり、永遠ではない。たった一瞬事象が成立したとしても、それが永久に通用する現実になるわけではない。
 無駄なことはしたくなかった。
 それに何より現実はお腹が空く。

 「それに何より現実はお腹が空く」。こんなことを書くつもりはなかったのに、主人公が勝手に発言してきました。
 ぐるぐる思考に飽きたのか、突然現実のことを持ち出してくるとは。まあそうですよね、現実はお腹が空きますよね。でもどうしたのあなた急に。正直、困惑です。
 しかし、現実ですか。現実というアイディアはいいですね。ここいらで一度、現実という言葉からぐるぐる思考させてみるのはどうでしょう。よし。いいぞ。ぐるぐるさせましょう。
 ぐるぐるの内容は何にしましょうか。挫折して引きこもりになるまではきっと何かしらありますよね。何かこう、心を折られたとか。
 心を折られた。もしそうだとしたら、どんな風に折られたんだろう。
 ここで私の性癖発動。 「自分は周囲と比べて優秀である」という考えが「現実に相対し、ぶち折られる」。どどん。

 現実。
 俺は現実的な性格だから社会に出たらさぞ優秀に違いない。そう夢想したこともあった。だがその夢想でさえ現実の前では無力だった。

 「優秀じゃなかった」→「役に立たなかった」に展開させましょう。社会を知った人の挫折あるあるですね。
 また、前にTwitterで「みんな自分は価値のある人間だと思いこんで生きているけど、それはただの思いこみなんだよ! 鬱病の人は現実を見ている、素晴らしいことだ! もっと自信持って!(意訳)」的ツイートを見てほほうと思ったので、そんな感じの雰囲気を盛り込みます。でも、主人公を絶望させるために後半の素晴らしいとか自信持ってという部分は削って進めましょう。フフフ。

 自分が役に立つ人間だということ。それだって空想だ。根拠のない思いこみ。俺はそれだって信じることができない。できなかったから今ここでこうしているのかもしれない。

 いい感じです。ここから私の性癖、「ありえない仮定について思いを馳せさせ、そこから現実に戻らせ落ち込ませる」に繋げられそうですね。よし、そうしましょう。

 だがもし俺が永遠に空想を信じられる人間であれば現実社会で認められていたのだろうかと考えてみてもそうは思えない。ありえない空想だと思ってしまう。

 オッケー。次は、現実と自分を相対させましょう。ここですかさず私の性癖、「現実を悪い方向に歪めた自己認識を100%正しい冷静な自己認識と思いこんでいる」を投入。

 現実の前では俺は孤独な欠陥品で、俺の性質や内面がどういうものであったとしても俺はこうなる運命だったのだろうと思ってしまう。それが現実なのだと。

 次、現実について、「主人公が周囲を羨んでる」を発展させましょう。
 主人公がどうして周囲を羨んでいるかって、主人公ができないと思っていること(空想を信じること)が周囲はできているからなのです。それを発展させて、主人公ができないと思っている「社会への適応」を周囲ができていることについても述べさせましょう。ばらばらになってもよくないので、その後、社会への適応と空想を信じられることを関連づけて繋げます。

 現実は無情で冷たい。現実の前では皆こうなってしまうものなのかと思っていたが、きちんと社会で認められている人々の多さを見るとどうも違うような気もする。だが、俺にはどうしても彼等と同じようにやれるとは思えない。
 社会で認められている人々は現実を見ているのだと思っていた。だがそれだって本当は違っていて、彼等はほどほどに現実を見ているのだと思う。ほどほどに空想を信じている。空想と現実のレイヤーを行ったり来たりできるのだ。

 なんだか本文が論説文っぽい雰囲気になってきた気もしなくもないですが、おそらく引きこもって完全に鬱ってしまう前の主人公は私の性癖「色々なことを考えたり分析するのが好きな性格」だったのでしょう。鬱ったぐるぐる思考の合間にチラッと正気の影が差す、というのも性癖なので、そんな感じで盛り込みました。
 よし……主人公の背景についてもわかってきたし、色々と流れもできたし、何より書いている作者自身がだんだん執筆に飽きてきたのでそろそろ〆にかかることに。色々とぐるぐる思考をさせてきましたが、それら全ては主人公の精神を追い込みに追い込んで諦めさせるためですもんね。
 さて、追い込んだ先、主人公の行きついた果てを見ましょうか。

 俺にはそれができなかった。その結果、夢見がちな子供から、絶望しかない大人に成り果てて。
 こうして桜の木の下でぐったりと眠っている。

 うんうん、いい感じ。さあもう準備はできたぞ。ラスト、いい感じに〆ましょう。

 だから、桜の木の下に死体が埋まっていることは空想。
 桜の木の下にあるアパートの俺のベッドでは欠陥品である俺が寝たり起きたりしている。
 これだけが逃れようもない現実だった。
(おわり)

 ……決まった。完璧に〆ることができた。脱稿です。おめでとう。早く公開したいからアップします(カチカチ)公開。
 ~おわり~

 というわけ。そんな感じです。どうですか、私にもできましたよ、言語化。やったあ。何かこう……発見があったなら幸いです。

 なんだかスカッとした。皆さんもひとつどうですか、思考の言語化。

(おわり)

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