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愛しか残らん
あれから、ほとんど1週間が経とうとしているのか。
もうひとりで眠れるようになったし、
ごはんも美味しいと思えるようになった、
音楽も、やっと聴けるようになった。
それでもまだ、自分が今、
何月を、何日を、何曜日を、生きているのかわからなくなる。身体も重い。
毎日、自分の感情がどんなふうに移り変わりゆくのかも、全くわからない。
もう、自分の力では一切立つことが出来ず、
なんとかギリギリ会社に行くことしかできなかったわたしが、
もう、死んでしまうのは迷惑だから、海の砂のようにちっちゃくなって消えてしまいたいと絶望していたわたしが、
今生きているのは、周りの人のおかげでしかない。
全方位から、身体を支えられ、引っ張り上げてもらいながら、生きている。
自分の気持ちの移り変わりに振り回されはするけど、
もう、どんな感情も否定せず受け入れる事にしたのだ。
だって、そのどれもが、わたしなのだから。
今までは、「どんな時も頑張る自分」が好きだった。
そうじゃない時の自分は、あんまり好きじゃなかった。
でもね。わたしはわたしであるだけで、
25年間生き抜いてきただけで、えらかった。
ネガティブな気持ちになってしまう自分も、
泣いちゃう自分も怒ってしまう自分も、
どうにもならないことを考えたり思い悩んだりしてしまう自分も、
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、
愛おしい、自分自身なのだ。
それにやっと気付けたのだ。
まだまだかも知れないけど。
わたしは、なんにも間違ってなかったよ。
わたしは、一生懸命、
君に恋していたのだ、
君のことを愛していたのだ、
今も。
物語の後先はわからない、誰にも。
考えると足はすくむ、心につめたいものが流れ込んでしまう。
でもわたし、もう、こうなる前から気付いていたよね。
どうなるかわからない未来より、
どうにも出来ない過去より、
今この瞬間が、大切なのだと。
そして、どんなときもどんな感情になるときも、
確かに信じられることがある。
わたしと君は、いつかまた絶対に会える。
絶対にだ。
この不思議な確信が、どんなときも心の真ん中にあるのだ。
そしてもうひとつ。
いつだって最後に残るのは、
わたしは君のことが大好きで、
愛おしいという気持ちなのだ。
この気持ちを、気が済むまで抱える覚悟は決めた。
やり切るのだ。
これまでと同じように、
君のことを一生懸命想い、愛し、恋をするのだ。
そのために泣くことも傷付くこともあるかもしれない。それで良い。
そのときはまた、いっぱい泣けば良い、傷付けば良い。
精一杯、想うのだ。
支えてくれるみんなも居るしね。
こうやってまとまった気持ちを綴りながらも、
明日はまた不安でいっぱいで泣くかもしれない、
逃げ出したくなるかもしれない、
それでも、良いよ。
想い抜くとは言ったけれど、もういやだやめたいと思ったらやめて良いよ。
好きにして、いいんだよ。
ただ今は、この身体に君への愛がいっぱいで、
周りの人からの愛でもいっぱいで、満たされているのだ、あたたかいのだ。
そうして少しずつ、また自分を愛していこう。
ねぇ、
どうか、健やかでいてくれ。
愛しか、残らん。