京都という町、そしてカフェ、君とのこと。
京都、出町柳。
青春時代を過ごした大学から少し歩いたその場所は、もうひとつの最寄り駅だったにも関わらず、あの頃には全く立ち寄らなかった場所。
「せっかく京都の大学に行ってたのに」
と言うのは親も、友達も、初対面で知り合った人なども。
異論はない。わたしは学生時代、この街のことをほとんどなんにも知らなかった。
おしゃれなカフェも、寺社仏閣も、歴史も、「知っていたら素敵だろうな」レベルで、結局のところ、わたしが夢中だったのは音楽と、恋だった。
だから、今でも京都を訪れてそこに横たわるのは遥か1200年も前の古都の歴史ではなく、わたしの青かった頃の記憶。たった4年間。でも、もがき、走り抜けた立派なわたしの歴史である。
そんなわたしが、「大学の近くにあるおしゃなカフェ」など知る由もない。
でも今ここに辿り着いたのは、
他でもない、大好きな彼の影響だ。
彼とは、学生時代、同じ路線に乗っていたようで、それを知った時は嬉しくて「じゃあもしかしたら会ってたかもしれないね!!!」なんてロマンチックなことを口走った。その話をしたら母親に笑われたけれど、今でも結構本気でそう思っている。
好きな人とはなんだかんだ、運命的なものがあればあるほど嬉しい。
話は逸れたけれど、つまり彼も京都の学生さんだったわけだ。
どうやら彼はわたしと正反対、学生時代にたくさん京都を巡った人だった。
そんな彼と、京都に行ったときから、わたしの中の京都が少し、変わった。
優しい彼に手を引かれ、京の街を歩く。 彼と訪れた場所には、色がみるみる塗られていくみたいだった。
セピア色の記憶も、真っ白の画用紙も、あっという間に鮮やかに色付いてゆく。秋の日差しがキラキラしていたのも相まって、魔法みたいだ、と思った。
「あの筋入ったとこにな、前言ってたチョコレートの店があって」「あそこの通りにあるカフェが良くって」「こんなとこにこんな店あったっけ?」
驚くほどに彼はカフェに詳しく、興味関心が深い。
その一方で、一応わたしも社会人になり、落ち着いてきたので、趣味は?と訊かれれば「カフェで読書をすることです」なんて言うようになった。まあそのくらいなので、彼と出会う前からカフェという空間は好きだった。
でも「なんかええ感じのとこ」であればどんなところでも良かったので、どこに行ったか訊かれても「なんかあの辺にあるおしゃんな感じのとこ」というなんとも失礼で朧げな回答しか出来ないレベル。
だから、行った場所、美味しいメニュー、店内の雰囲気をしっかりと覚えていて、近くを通るたびに教えてくれる彼にはいつも驚かされる。そしてまた世界に色が塗られる。
「えー!行ったところ覚えてないんは勿体ない🥺」とつぶらな瞳で言われてしまえばそんなもの、「く…次からカフェ行く時は絶対覚えとこう写真撮ろうマップにピン立てておこう、ていうか君と行ったところだったら忘れるわけないけどな……‼︎」と思わざるを得ませんよね。すみません、少々荒ぶりました。
そんなわけですっかりわたしもカフェという場所に魅了され、ふたりで行った場所も、ひとりのときも、写真に収め、マップにピンを立てるようになり。
Instagramでおしゃな写真を見かければ位置情報をチェックし、また別の色のピンを立てておく。今度また君と行けるように。こんなとこもあるみたいだよと君に紹介出来るように。
マップに立った色んなピンと、フォトフォルダに溜まった写真たちを見返しては、こうして少しずつ、わたしは彼に染まっていくのだな、と実感する。
「大学の頃にバスに乗っていろんなとこ行ってん」
そう話す彼の横顔を見ながら、その学生時代を想像する。
わたしがギターとエフェクターボード(と報われない恋心)を抱え、髪を振り乱し走り回っていたこの街の傍ら、君がカフェで静かに、そして多分幸せそうに甘いものを飲む姿。誰かと行っていたのか、はたまたひとりだったのかは知らない。
でも今、ここで人生が交れていることに奇跡を感じる。あの頃は遥か遠い場所で走っていた2つの線が少しずつ、少しずつ近付いて、今、ここで出会ったのだ。
そんな、この人生が愛おしい。
君に出会えた自分を褒めてあげたい。
自分を変えようと頑張ってくれて、本当にありがとう。えらかった。
久々のゼミの集まりのついでに出町柳のカフェに来たよ〜と写真を送る。
いいな〜行きたい、の返事に、わたしは思う。
また今度、一緒に来ようね。君とだったらもっと楽しくって、しあわせだ。
さるぅ屋
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京都府京都市左京区田中下柳町14
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