豊山亮太思い出の10番
去る九州場所限りでの引退を発表した元幕内・豊山。その土俵人生を振り返るべく、思い出の取組を取り上げていくこととします。
番外編として数番加えることも考えていますが、ひとまずは活躍した場所を中心に10番。大相撲アプリや公式You Tubeでそのうち公開されるであろう映像と併せて楽しんでいただければ何よりです。
①平成28年春場所2日目 石橋 寄り切り
ともに学生相撲で実績を重ね、三段目100枚目格付出の適用第一号として平成28年春場所で初土俵を踏んだ東農大出身の小柳(豊山)と近大出身の石橋(朝乃山)。2日目、早々に2人の取組が実現する。
立合い、右差し狙いの石橋に対し、頭でかましながらやや左にずれて大きく左上手を掴んだ小柳は、すぐに上手で振っておいての右差し、石橋には上手を与えない。左上手、右を返して正面青房寄りへ攻め寄せると、土俵際、石橋の右下手投げにも動じず、上手から投げを打つ具合で引き付けて寄り切り。
「味わったことのない緊張感」と述懐したデビュー戦を飾り、快進撃の火蓋は切って落とされた。
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1616605.html
②平成28年春場所優勝決定戦 唐津海 切り返し
デビューの場所は、2番目以降の相撲も順調に勝って7戦全勝。千秋楽、優勝決定戦の舞台に上がることとなった。
対戦相手は、最高位幕下12枚目の実力者・唐津海。この時点で三段目優勝1回、のちに2回を加え、3度の三段目優勝は歴代最多タイ記録の持ち主である。
立合い、腰を引いて受け気味に右を差しに来るのが巨漢・唐津海の取り方。小柳はそれに教科書通り左おっつけを合わせてから突き上げんとする。唐津海、向正面俵に詰まりながら右を覗かせ、左で抱えて逆襲に転じるが、一度左を巻き替えんとした後、深い上手を取った小柳は、右を返しながら左で振って正面方向体を入れ替え、低く構え直して右ハズから起こし、唐津海が右から掬うところを左外掛けで一度脅かすと、再度白房へと寄り立て、最後は切り返しに出ながら、右で喉元を押さえて巨体を潰す豪快な攻め。見事、デビュー場所で三段目優勝の栄誉を勝ち取った。
③平成28年夏場所 優勝決定戦 阿武咲 寄り切り
デビュー2場所目も小柳の連勝街道は続く。13日目、星違いで対戦した琴宏梅を押し出して、千秋楽は2場所連続の優勝決定戦進出。
幕下では珍しい7戦全勝同士の激突で顔を合わせるは元十両・阿武咲。小柳よりも3歳年下ながら、この時点で十両在位8場所を誇り、この場所は新十両以来保ってきた関取の座を明け渡していた。
立合い、阿武咲のかましを胸で受ける小柳。阿武咲の左喉輪を右ハズで外しながら左喉輪を当て、阿武咲にそれを外され右おっつけで横向きにされかけるところでも、ふっと左の力を抜き、すぐさま右から攻め返して差し手を覗かせた。左からも挟み付けるように攻めて赤房に強襲。少し流れに任せて出過ぎた感はあり、土俵際の突き落としを喰いかけるも、阿武咲の左足が先に出ており、物言いつかず。
初土俵から14連勝、決定戦を含めば16戦負けなしの強さで、三段目~幕下の連覇を果たした。
④平成28年秋場所 12日目 富士東 押し出し
翌名古屋場所は初土俵以来の連勝こそ17でストップするも、幕下上位で6勝の大勝ち。続く秋場所はいよいよ東筆頭に躍進し、所要4場所での十両昇進を目指した。
ところが、「新十両有望」の下馬評に反して最初の相撲から3連敗。「心の整理に時間がかかった」というほどの苦境に陥ってしまう。
それでも、7日目明瀬山戦の白星を皮切りに3連勝と立て直すと、12日目には早くも7番目の相撲が組まれた。相手は十両東14枚目ですでに7敗を喫している富士東。正真正銘の入れ替え戦である。
小柳は立合い、右をかち上げ気味に固めながら、左を差そうとする構え。富士東が振りほどきながら突き立てるところを下から跳ね上げて前進する。
腰を落として向正面に追い詰めるが、一気に出られないと見るや攻め急がず、逆に富士東が突き返すのを受けるように宛がうと、下から入って今度は浅く右を覗かせながらの攻め。土俵際突き落とそうとする動きの富士東を、右でグッと胸を押し離すように白房寄りへ押し出した。
ちなみに、この日は小柳にとって23歳の誕生日。自らの手で新十両というプレゼントを掴み取る最良の一日となった。
⑤平成30年名古屋場所 14日目 髙安 押し出し
初土俵から所要4場所で関取の地位を勝ち得た小柳は、十両もわずか3場所で通過。平成29年夏場所、新入幕を機に既定路線となっていた豊山の四股名を貰い受けた。
ここで一からその由来を記すことはしないが、つけた本人でなければ噛み締められない名誉と責任の大きさがあったことだろう。
その後、2度の十両陥落を経て、30年初場所以降幕内に定着。そして、同年名古屋場所、その土俵人生を代表するほどに華々しい活躍を見せる。
前半戦は4勝3敗と一進一退も、中日以降勝ちっ放して13日目には二桁の勝ち星。いつの間にか優勝争いに加わり、ライバル朝乃山とともに1敗の御嶽海を2差で追う状況となっていた。
14日目は抜擢を受け、結びで大関髙安との一番。上位初挑戦の前場所、髙安は全休していたため、この日が初めての顔合わせである。2番前の取組で御嶽海が優勝を決め、すでに自身が賜杯を抱く可能性は消滅していたが、この一番へ臨む意気込みに少しも変わりはなかった。
立合い一度呼吸合わず仕切り直し。2回目は大関が先に手を着くと、ほぼ同時に立ち、豊山右を固めて体当たり。高安の左差しを封じ、高安が右ハズで押し上げんとするところ、素早く顎を引きながら右で肩口を押して攻め勝ち、右手が外れた高安の右脇を左ハズで押して起こすと、右もハズにかかって、踏み込みながら凄い出足。左を胸を押す形に変えつつ、白房へ一方的に押し出した。
豊山はこれが嬉しい大関戦初勝利。気分を良くして、翌日の御嶽海戦へと向かっていった。優勝争いの観点から言えば遅きに失した感こそあったものの、結果として語り草の勝負となったのは、お互いに星勘定の余地がなかった所以かもしれない。
⑥平成30年名古屋場所 千秋楽 御嶽海 掛け投げ
千秋楽、敢闘賞の初受賞が決まった豊山は初めての「これより三役」も堂々とこなし、目前の御嶽海戦に向け「僕の持っているすべてを見てもらいたいと思って土俵に上がった」。
立合い、御嶽海は早く立ってかますや、一つ突き起こしてからスパッと中に入って向正面に攻め寄せると、豊山白房を背にしながら網打ち気味に堪え、御嶽海が右前ミツを引いて決めようとするところ、右で抱えながら左をねじ込んで、さらに御嶽海が煽るのもよく残して場内大拍手。
御嶽海攻めきれないと判断し、左下手で振りながら右巻き替えを図ると、豊山上体を前傾させながら左おっつけで向正面に迫り、御嶽海右を抜いて赤房側へ回れば、豊山やや足が止まり、頭を下げながら出ようとしたので御嶽海正面は下がりながら叩いて、さらに黒房から西~向正面と逃れて豊山の足を動かす。
豊山それでもよくついていき、突き立てながら前に出ると、御嶽海は向正面へ下がりながら右を差して下手から振り、豊山左上手を深く取って左足で切り返しを打つように進路を塞いだが、御嶽海器用に足を外しながら左巻き替え。ジワジワと圧力をかけて前傾した豊山の上体を起こそうとする。
ここで豊山右から巻き替えを狙い、御嶽海すかさず左で殺しにかかるが、豊山大きく正面へ下がり、右を抜きながら命綱の深い左上手で振り回せば、御嶽海は右足を掛けに行ったが外れてしまい、豊山が正面側へ体へ廻していくのに対する足運びが遅れた。
一連の流れで豊山の右上手も切れていたが、構わずもうひと腰入れながらの小手投げ、さらに左足で行き場を失った御嶽海の右足を跳ね上げるようにしていたので、御嶽海懸命に右を突きつけながら左で胸を押して対抗するも及ばず、裏返されて黒房側の土俵下に横転。
豊山、悪い右足一本で踏ん張って放った渾身の掛け投げで当場所優勝力士に一矢報いる12勝目をあげた。
20秒あまりの激戦に場内は割れんばかりの喝采。
「持てるものをお互いにすべて出し合って、なんのケレン味もなく、正々堂々と。大相撲もまだまだ捨てたものじゃない」とは、取組後、熱弁をふるった北の富士勝昭氏の言だが、蓋し豊山一世一代の名勝負に相応しい最大級の賛辞であろう。
⑦平成30年秋場所 3日目 稀勢の里 突き落とし(敗戦)
名古屋の好成績により、翌秋場所は自己最高位の東2枚目に躍進、自身2度目の上位総当りである。
初日髙安、2日目栃ノ心の両大関に敗れた後、3日目は進退をかけてこの場所に臨んでいた横綱稀勢の里と対戦。豊山にとっては最初で最後の稀勢の里戦となった。
豊山の作戦は、とにかく横綱に左を差させないよう突き立て、慌てさせることに尽きる。
立合い低くかましていくと、猛然と突き放して狙い通りに先手。稀勢の里も下からあてがいつつ左を差し込もうとするが、豊山は左喉輪で間隔を取って許さず、稀勢の里右から引っ張り込みにかかれば、今度は右を使って間合いを空ける豊山。稀勢の里が右で突き起こしにかかると、豊山は左ハズで押し上げながら右で突こうとするが、その右脇が空いたところへ稀勢の里の左がとうとう滑り込む。さらに前へ出ながら右上手。一腰入れて東へ出る横綱、豊山万事休すかに見えた。
しかし、豊山は諦めない。德勝龍のように腹をうまく使い密着を阻みながら右から突き落としを打って体を青房方向へと逃していく。落ち着いて残し正面へ寄り詰める稀勢の里だが、左差し手が十分には効かず胸を合わせられない。豊山は左半身、左足を前に踏み込みながらの左掬い投げで揺さぶると、稀勢の上手は簡単に切れてしまった。
青房側へ逃れながら、上体を前傾させる豊山。左を差し、右は固めるようにして稀勢の左と差し手を争う。右からの抱え込みが効かず攻めあぐねる横綱に対し、先に仕掛けたのは豊山。右を外からグイグイと押し付けるように圧力をかけて稀勢の左を抜かせ、左差し右ハズで白房へ押し込んでいく。
稀勢、右で抱え、左で豊山の右肘を掴んで一堪えすると、右で突き落としを打って下がりながら左手を下から掬い上げるように左差し。ついていった豊山は伸び上がる格好になるも、構わずのしかかるように体を預け、決死の攻め。稀勢の里両足が俵にかかり危なかったが、ひとつ前へ圧力をかけてから、左を抜いて右からの突き落とし。豊山、右手で渡し込みにいければ・・・というところだったが、足を取れず、稀勢の里の体がなくなるよりも早く右肘が落ちた。
軍配稀勢の里に上がるも物言いがついたのは、最後の場面(の体の確認)というよりは、その少し前のところ、稀勢が右足を俵の中へ戻すような動きを見せた部分についてだろうか。ともあれ「稀勢の里の足元は残っている」との説明で場内大喜び。瀬戸際の横綱はこの後も着実に星を伸ばし、10勝5敗でひとまず進退問題を乗り切った。
一方の豊山は、善戦及ばず初金星獲得の大魚を逸したばかりか、突き落とされた際に左肘を痛め、5日目からの休場を余儀なくされる不運(途中出場して3勝10敗2休)。
そして、この場所以降、なかなか体調を万全の状態に戻しきれず、令和元年夏の十両陥落など、しばし停滞を時期を過ごすこととなる。
⑧令和2年初場所 14日目 遠藤 送り出し
平成30年秋場所3日目の横綱・稀勢の里戦で左肘を痛めた豊山は、その場所を含め4場所連続の負け越しで十両陥落。十両通過にも2場所を要し、苦難の1年間を過ごした。
元年9月、返り入幕で二桁勝ってようやく復調の兆しを見せると、翌11月も勝ち越し、西9枚目で迎えた2年初場所、久々の輝きを放つ。
序盤から順調に勝ち星を並べて10日目に早々と勝ち越し。9勝2敗とした時点では優勝争いへの参入も期待されたが、硬くなったか連敗、とりわけ13日目の德勝龍戦は自身の優勝圏内残留のみならず、兄弟子正代への援護射撃もかかっていただけに、土俵際の突き落としに沈んだ失意は大きかったろう。
それでも、気持ち良く場所を締めくくるために残り2日が肝腎。14日目の相手は、この場所2横綱1大関を破り、前半戦の主役になった遠藤だ。後半以降崩れ8勝5敗となっていたが、すでに殊勲賞受賞は確実視されている。
立合い、低くかましながら右前廻し狙いの遠藤に対し、豊山はかち上げ気味に弾いてから突き起こして組みつかせず、遠藤跳ね上げつつ左喉輪で圧力をかけて右を差しかけるも、豊山左おっつけ右喉輪、さらに左で突いて距離を取り、なおも左喉輪で西に追い込む。
豊山の手を払いのけながら何とか捕まえたい遠藤と、上を突いたり下を突いたりしながら徹底的に距離を取る豊山。攻防の中、豊山の左喉輪で遠藤の右足が上がりバランスが崩れるところ、豊山右で肩口を押しながら左の腕を大きく返し、前ミツを狙った遠藤の左を切りながら左にかわすと、すぐに右左と突いて押し込み、最後は左に逃れようと後ろ向きになった遠藤を体当たり気味に送り出した。
痛い連敗の後にズルズルいかず、会心の内容で遠藤を下し、勝ち星を二桁に乗せた豊山は、千秋楽も目下7連勝中で11勝3敗、すでに技能賞受賞を決めていた北勝富士を叩きこんで11勝4敗の好成績。
候補多数により惜しくも三賞受賞はならなかったが、復活を印象付ける活躍ぶりで、翌場所の幕内上位返り咲きを果たす収穫多き場所となった。
⑨令和2年春場所 中日 朝乃山 掬い投げ
令和2年初場所、西前頭9枚目で11勝4敗の好成績を収めた豊山は、翌春場所で1年ぶりに幕内上位返り咲きを果たす。2勝5敗で迎えた中日の対戦相手はライバル朝乃山、この場所に大関取りを懸け、6勝1敗の星取りである。
実に2年ぶりとなる対戦、言うまでもなく豊山は燃えていた。
立合い、右差し左は引っ張り込む狙いで踏み込んだ朝乃山に対し、豊山は左を固めながら頭でかまして弾き、右の突きを伸ばす。朝乃山跳ね上げて左から抱え、右を強引にねじ込もうとすれば、豊山右ハズ左外ハズの格好から右で突いて振りほどこうとしたが、朝乃山覗いた右を豊山の脇の下に入れ、タイミング良くハズで押したので、豊山泳いで向正面白房側に後退。朝乃山付け入らんと数発突きながら右を差そうすると、豊山は左足前、右足を俵にかけて上体を前傾させたので、朝乃山思わず少し引いてから、さらに徳利投げ気味、両手で豊山の頭を挟むような叩きでまともに呼び込んでしまう。
残した豊山、右半身で片足立ちになった朝乃山をモロハズで押し上げ、最後は深く差した左から掬って、裏返しに転がした。
「(朝乃山が優勝した)去年の5月から今日(朝乃山と)相撲を取ることだけ考えてきた」(※)という覚悟の一番を制した豊山。この相撲もまた土俵人生の中で忘れがたい思い出となったことだろう。
⑩令和2年春場所9日目 貴景勝 押し出し
前日朝乃山に勝って気を良くした豊山、翌日は大関貴景勝に挑戦する。
豊山右でかち上げに行くも貴景勝かまして当たり勝ち、黒房へ出ながら豊山の右喉輪を左ハズで押し上げて正面方向へ。ただ、豊山も左外ハズであてがって貴景勝の右肘を上げつつ右喉輪で起こしていた分、貴景勝の足を止めることができており、また、下がっているように見えて左の手では依然貴景勝の右肘を押さえ制御できていたので、追いかけてきたところへカウンター気味に右から一発入れるというコンビネーションがハマった。
豊山逆襲に転じると、貴景勝左からの強引な張りは当たらずも豊山の足を止め、両者押し合いの形勢。貴景勝左ハズで出ようとするも、豊山の左もまた良い位置で貴景勝の右をあてがい、密着を許さない。
ここで貴景勝右を伸ばしながら左おっつけで挟み付けんとして、右を伸びっぱなしにしたのが失敗。豊山その手を掴んで両手で抱え込むような動き、腕を引き寄せながら左で上手を探ると、貴景勝嫌がって腰を引き、逆に豊山の手を手繰る格好になって左へ回ったが、豊山左で貴景勝の肘をハズにあてがい、貴景勝伸び上がりながら向正面から白房方向へ逃れようとするところ、右を突きつけ気味に使って腰を崩して押し出した。
豊山は朝乃山・貴景勝戦の連勝を弾みに5連勝すると、連敗後の千秋楽には千代丸を突き落として見事勝ち越し。結果的には貴景勝戦が最後の大関戦白星、また、この場所が上位総当たり圏内で勝ち越す唯一の機会であった。
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