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『怪物に出会った日』の中にカシアス内藤を探す
思ってたのと違うと感じたのは、多分、ノンフィクションで、題材がボクシングで、取材対象者が敗者だから、沢木耕太郎の『敗れざる者たち』を浮かべたせいだろう。私が勝手に想像しただけだ。期待外れなどではない。本はとても面白かった。
カシアス内藤を探しながら読んだ
才能があるのに、生かさない。
ここぞという時に打てない、勝てない、非情になれない、優しすぎる性格。
計量日の前にコーラを飲んでしまう。
俺はやるよ、と試合前に言っていたのは誰だったのか、という試合をする。
そして、そんな自分を取材者にさらけ出し、何の制限もなく書かせてしまう。
書かせてしまうのは、取材者が沢木さんだからこそ、なのかもしれないが。
そんなカシアス内藤が、私の中でのボクサーの敗者だったので、『怪物に出会った日』の敗者たちは、誰も彼も、眩しく感じた。
現役の最強と闘った敗者だからか
ボクシングを熱心に観たことはなく、あえて上げるなら、長谷川穂積の何かの試合だけは、生中継で観た記憶がある。会社を立ち上げた頃、朝の出勤時、ロードワークに出かける長谷川選手を見かけることがあったので、親近感を持っているのだ。
ただ、それでも熱心に見るようにはならなかった。たぶん、殴り合ってどちらが強いかという競い合いに、スポーツとしての面白みを感じる受容体が、私にはないのだろう。
だから井上尚弥という選手の偉大さを、私は知らない。情報流通の蛸壺化を象徴するようだが、写真を見せられても、誰だか分からなかっただろう。
本を読んだ後、夫と息子に聞いてみた。
井上尚弥って知ってる?
もちろん、と夫。
どんな人?
世界最強のボクサー。
井上尚弥って知ってる?
知ってる、と息子。
どんな人?
ボクサーで、強い。
どのぐらい強い?
怪物。世界最強の。
なるほど。夫は当然ながら、1日1分たりともテレビを見ない中3の息子も、井上尚弥が怪物であることは知ってるわけだ。間違いなく、世界最強だ。
その怪物と戦って負けた男たち。まだ現役の選手たちも存在しており、各方面からのクレームも考えられそうな状況下で、相手に対するリスペクトと丁寧な取材と組み立てで、誰かを傷つけることなく、しっかりと敗者を書いたのはすごいことだ。
もちろん、書けないこともたくさんあっただろうし、書かないことで辻褄が合わなくなることは、書けることでも切ったりしただろう。そうした逡巡が時折見え隠れしたことも、面白かった。
どの選手もみな、ボクシング業界で生きている。選手として、トレーナーとして、指導者として、活躍したり、成功していて、なんというか、うらぶれた切なさはない。
それはそれで良いことだ。スポーツに悲壮感は必要ないし、現役を終えた後の長い人生は、現役以上に幸せになってほしい。
それでも私は、コーラを飲んで計量オーバーしてしまうカシアス内藤を、この敗者たちの中に探してしまう。ちょっとした違和感を覚える文と文の間に、書かれていない何かを想像し、カシアス内藤を確認してしまう。
ひねくれた考えだと反省するが、そんなもんなんじゃないか?という気持ちが強い。
負ければ悔しいし、相手を恨めしく思う気持ちも湧き上がるし、やれなかったこと、やらなかったことへの後悔も渦巻く。爽やかに次を見据えたり、前を向いたりするためには、まだまだ、時間が掛かるのではないか?
ひょっとしたら、もっともっと、長い年月を掛けて取材は続いていくのかもしれない。この本では「書けなかった」エピソードが、やがて「書いていい」ものになるのかもしれない。
2025年の100冊 011/100