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退職代行、あったら使ってた?

オススメされたこちらのnoteを読ませてもらってから、「退職代行」について考えている。

いろいろな記事を読むと批判的な気持ちになるが、さて、私が若い時、このようなサービスがあったら使ってただろうか?

私の「辞める」経験は、ひとつを除いて全て区切りのあるものだった。会社が分割されるから、倒産するから、と勤め先を変わってきたので、そこに居続ける選択肢のない中での退職だ。

数々のアルバイトも、卒業や受験といった真っ当な理由で辞めてきたので、罪悪感もプレッシャーもなかった。

そういう意味では、おおぬきさん書かれてるところの「貴重な経験」はしていない。

けれどひとつだけ、退職にまつわるイヤな記憶がある。今日はそれを書いてみます。

高校時代のアルバイト

高校の時、お父さんに内緒でスポーツ用品店(大手チェーン)で販売員のバイトをした。確か18時〜21時プラス閉店作業で、家から自転車で5分だし、通学路の途中にあるので学校が遅くなっても直行できるし、勉強もちゃんとやるからとお母さんだけにオッケーもらって始めたのだ。

晩ごはんは家で食べるのが決まりの家だったから、お父さんにバレるのは時間の問題なんだけど、許可を求めたら反対されるのはわかっていたので勝手に始めた。問題や学業に支障がないことを行動で示して事後承諾してもらおうという、お母さんを巻き込んだ作戦だった。

そして初日。


店長さんと他のバイトや店員さんたちに挨拶をして、制服とロッカーをもらい、簡単な接客マナーを教えてもらい、勤務スタート。

スポーツ用品と言っても季節ものなので、平日の夕方に買いに来るお客さんは少なく、ずいぶん楽な仕事だったのだが、今思えば、徐々に店頭に立つ以外の、さまざまな雑用や在庫整理などのバックヤードの仕事もあったのだろう。

そこで館内放送が。

スタッフの◯◯さん、◯◯さん、お電話がかかっています。事務所まで来てください。

え?
わたし?
え?
でんわ?

初日の高校生バイトに外部から電話がかかってくる業務などあるわけない。

ちっ
お父さんだ。
間違いない。

事務所に行き、怪訝な表情の店長さんに頭を下げ、電話に出る。

もしもし

すぐ帰ってこい。

できないよ、そんなこと。迷惑だよ。

だめだ、帰ってこい。

だって…

がちゃん、ツーツーツー。

はぁぁぁ。。。

後ろの店長さんの気配を感じつつ、さすがにそのまま帰ることもできず、

父親からでした。
終わってからお話しさせてください。

と頭を下げ、フロアに戻った。

店長、何も言わなかったけど、もう察してただろうなぁ。

残りの1時間は必死で接客して、なんとかグローブを1点だけ売り上げた。今日来て今日辞めることになる申し訳なさの重量を少しでも軽くしたくて、できることは売上しかないと思って頑張った。

まぁ、頑張ったから売れたというより、たまたま、買う気で来たお客さんが買って帰ってくれただけだろうけど。

そして閉店。

お店を閉める時間になり、閉店作業に取り掛かる。先輩バイトさんが、片付けや締め作業を教えてくれる。

あぁ、無駄なんですごめんなさいごめんなさいと思いながら、せめてと思いちゃんとやった。

そして最後に、店長さんに辞めなければならないことを話し、お詫びをした。

怒られても仕方がないと覚悟をしてたのに、残念だが仕方がない。それよりおウチの方は大丈夫?と心配までしてくれる。

そんな、私のことなんてどうでもいいです。本当にごめんなさい。

制服はどうしたらいいのかとか、せっかく作ってもらった名札を無駄にしてしまったこととか、仕事を教えてくれた店員さんたちとか、もう何回頭を下げたかわからないぐらい謝って、お店を後にした。

泣きながら自転車で帰った。

みんなバイトしてるのに、なんでウチのお父さんは厳しいの? なんでお母さん、あっさりお店の電話番号言っちゃうの? 私がかけときますから、とかなんとか、もうちょっと粘れなかったのか! 

ただ不思議と、家に帰ってからお父さんに叱られた記憶はない。叱られたのか、それとも、辞めてきたのならヨシ、と咎めなしだったのかもしれない。

有無を言わさない人だから。

もし退職代行があったら

私のこのケースでは、お父さんが直電してきて店長も後ろで会話を聞いてたから、言わざるを得ない状況で、だから「辞めます、ごめんなさい」と自分で告げた、とも言える。

これがもし、お父さんの電話がなく、帰宅後にこっぴどく叱られて明日辞めてこい!と言われていたら、どうだろう? 

閉店作業も楽しくこなして、売上も上げて、

すごいね!向いてるのね!
なんて持ち上げられて、

そんなそんな、
と言いながらまんざらでもない気分で、

また明日ー!
はーい、また明日ー!

なんて調子よく挨拶してたとしたら。

めっちゃイヤだったろうなぁ。
電話できたかなぁ。
直接行って、お詫びできたかなぁ。

無理かも。

お母さんのせいだ!
とかなんとか、人のせいにして連絡してもらったんちゃうかな。

あの時のイヤな気持ちを丁寧に思い出して考えると、「退職代行なんてありえへん!」って思ってたのに、もし退職代行あったら使ってたかもなぁーーーと気持ちは変わってしまった。

もちろんお金がかかることなので、実際には高校生には払えないだろうから使えないけど、もし使えるんなら使っただろう。

あの頃、退職代行があったら。

私含めた昔の時代を生きてきた人が、義理とか常識とかがあって退職の時にキチンとしてたわけではなくて、ただただ選択肢になかっただけなのだ。

そう言えば、突然来なくなった人は昔もいた。けど、そういう人は今もお金払って代行なんて頼まずに、行かなくなってそのままだろう。そういう不義理のできない真面目な子が、お金を払ってサービスを使ってるのかもしれない。

「人」が変わったんじゃなく、「環境」が人を変えてる。

記憶に濃い理由。

こうして思い出しながら書いてても、高校生の時の、たった4時間程度の出来事なのに、めちゃくちゃ鮮明に覚えてることに我ながら驚く。

お店の内装やレジの感じ、制服の色、自転車を停めた駐輪場、そして何より、店長さんのお名前と顔まで、しっかり覚えてる。

あの経験が私の何を作ってくれたのか。間違いないのは、あの日の泣きながらの自転車で、

高校卒業したら家を出よう。
そのために大学行こう。
遠く遠くの大学に行こう。

と決心したこと。

圧倒的に強くて正しくて、そして人気者で、大好きだからこそ、庇護下に居続ける限り自分で選択して自分で行きたい方に進むことは難しいと悟ったのだった。

つまりは、今の仕事と夫と息子と、友人たちに繋がる、分岐点だったのかもしれない(ほんの数分の出来事で、人生って決まっていくんやな)。

長くなったので無理やりまとめると。

退職代行は、あれば私も使ってただろう。だから簡単に批判しないようにしたい。

記憶に濃い出来事は、自分の人生の分岐点だったのかも。イヤな出来事でも雑にしないようにしたい。

何気ない一言でもその人の(息子とか)の生き方を左右するかも。だから言わない、ではなくて、言うことの重みを自覚したい。

店長の◯◯さん、本当にごめんなさい。短い時間でしたが、強烈にお世話になってました。

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