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さよなら、迷子の記憶

姪っ子2人を連れて都心部に映画を観に行った日曜日。公開2日目ということもあり、映画館はまあまあの人混み、街なかも、クリスマスと12月の年末商戦でかなりの人出。見失ったら大変、と少し緊張しながら1日を過ごした。

途中、二度ほど姿が見えなくなった時があった。大人の背丈の人混みの中、小学2年生の姿はまったく見えない。名前を呼んでも、店内を流れる賑やかなBGMにかき消され、ブワッと冷や汗が出た。

3分ほどで、水色の、小さなリュックを見つけて安堵したが、当の姪っ子はキョトンとした顔。向こうからは私が見えていたのかもしれないね。自分の時はどうだったろう?

かなり幼い頃の、でも、しっかり記憶に残っている、自分の迷子のことを思い出したので、書いてみます。

縁日だるまに見とれて

たぶんお正月の神社だと思う。まだ幼稚園にも行ってないから、4歳か5歳か。おじいちゃん、お父さん、お母さん、弟と出掛けて、私はおじいちゃんと手を繋いでいた。

人が多くて、縁日のお店がたくさん出ていて、賑やかだったと思う。そこで私は迷子になった。

もちろん、一部始終をくまなく覚えているわけではない。

覚えている風景をつなぎ合わせると、全体の様子が浮かび上がってくる感じだ。

覚えている風景は3つ

ひとつは、山のように積み上がっただるま。下の方に、自分の背丈より大きなだるまがいた。上に行くにつれ、だんだんと小さくなっていって、見上げる先には豆粒のようなだるまがあった風景を覚えている。
見上げても見上げてもだるまが連なり、うわーーーっとだるまを見上げて口を開けていた。

次の記憶は、交番のお巡りさん2人。名前と電話番号を聞かれて、電話は下4ケタだけを答えた。

当時は、局番が3種類しかなかったから、家に電話がつながり、留守番していたおばあちゃんが迎えに来たようだが、これの記憶はない。おそらく、のちに家族から聞かされて映像が補完されてると思う。

3つ目は、みかんと、おたけ煎餅というお菓子をお巡りさんからもらったこと。手にいっぱいのおたけ煎餅をもらった記憶がある。弟もいたし、親戚の子供たちが集まる家だったので、おやつを一人占めできたのがめちゃくちゃ嬉しかった。お巡りさんが、えらいね、と頭を撫でてくれたのも覚えてる。やさしい人だった。

他人による記憶の上書き

他にも幼い頃の記憶は残っている。お母さんが作ってくれた、黄色のワンピースが好きで、お出掛けの時に必ず着たこと。

海岸沿いの別荘みたいなところに(誰かお金持ちの遠い親戚でもいたのだろう)親戚と泊まりに行ったこと。

家の建築中に、昼休憩に弁当を食べる大工さんの膝の上に座らせてもらい、お弁当のおかずを分けてもらったこと。

けれどもこれは、写真が残っていたり、お父さんやお母さんたちも一緒に過ごしていて思い出を共有しているから、その後、繰り返し繰り返し話をすることで、記憶が上書きされ、鮮明に残っているだけだ。

迷子の記憶は誰とも共有していない

一方、だるまで迷子になった出来事は、私だけの記憶だ。写真も残ってないし、「あの時、だるまを見ていて迷子になったのよ」とか、「お巡りさんにおたけ煎餅をもらったね」とか、繰り返し語ってくれた人はいない。強いて言えば、あの時のお巡りさんとは共有してるけど、当然ながら、その後会ったことはない。

4歳の時の出来事を、こんなに鮮明に覚えてるって面白いな…そんなことを考えて書き始めた。
そして、そろそろ書き終わるのだけど、ここで、ひとつのことに気づいてしまった。

たぶん、今日こうして書いてしまったことで、私の「あの日の記憶」は、「このnote」に上書きされてしまったと思う。

もう、時折り、ふとした瞬間に思い出す、だるまが積み上がった不思議な光景や、お巡りさんとの会話や、みかんと煎餅は、ちょっと違うものになってしまった。

あああ、書くんじゃなかったな。
もう、遅いけど。

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