『灰の劇場』いくつかの苦手
読み終わった頃にnoteをサボり出してしまったので、書くまでにだいぶ時間が空いてしまい、記憶が朧気なのだけど、読後に「書いておきたい」と割と強く思ったので、そのことだけ書くことにします。
読み終わった後、筋書きや設定に不透明な違和感を覚えたので、おそらく、何か企画ものなんだろうなぁと関連記事で確認し,いろいろ仕掛けのある作品だと知った。
20年前のある事件を元にした小説を書く作家が主人公という設定。劇中劇のような、20年前の心中事件の登場人物たちの物語と、それを書いて世に出し、舞台化されることになった作家の心情を綴る物語が、だいたい交互に進んでいく。後から気づいたのだが、章立てのタイトルには、これがどちらの物語か、示す記号があったのだが、気にも止めずに読んでいたので、どちらの物語なのか掴めるまで、ぼんやりと読んでいた。二つの物語がパラで進んでいく設定は好きな方だが、この作品は、書き手の小説家が、心中した女性二人に感情移入しているからか差が少なく、二つの物語の切り替わりながら徐々に融合していく絶妙さが少なかった。
ここが苦手のひとつめ。
もうひとつ、作家が主人公でその心情が語られながら物語が進んで行くのも苦手なんだと実感した。
少し前に、『夜の向こうの蛹たち』を読んだ時も少し感じたのだけど、女性の作家さんが女性の小説家の話を一人称で書けば、それはやはり、物語というよりも、感じたことや考えてることを読まされてるような気持ちになる。
特にこの灰の劇場に出てくる小説家さんは、目の前に羽が降り積もる情景だとか、いつのまにか知らない場所に迷い込んでいたりとか、非現実的な出来事が頻出する。それはそれで良いのだけど、なぜそんな光景がリアルに目の前に現れたのか、わからない、と書いてしまっているので、そう言われたら何も感じ取れないな、という気持ちになってしまう。いや、人によっては、そういう説明できない感情や幻影に夢現な状態になることに、強く共感するかもしれないので、ただ私にはその、痛点のような共感の感受性がないのだろう。
ここも苦手ポイントだ。
たぶん、小説にしろ映画にしろ、設定と登場人物を一貫性のある存在として作ったあと、作家の手を離れて、まるでキャラクターたちが勝手に動き回るように物語を紡いでいく、という紡がれ方に憧れているからだろう。何かに導かれて書く、というような。
だから、本人(小説家の女性)は自覚しできていなくても、どこかで語られることを期待しながら最後まで読んだのだった。それが得られなかったのが、三つ目の苦手ポイント。
以上です。すみません。
結論はありません。