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【Web制作】私の仕事歴をつらつらと語るだけ

こんにちは、加藤若菜(@wk624)です。25歳でフリーランスになり、30歳で起業した私の今までの仕事のことを自己満足でつらつらと書いていきます。

もともと家で仕事がしたかった

25歳で独立、30歳で起業というのは19歳に決めました。理由は「家で仕事がしたかったから」。でも、その当時見ていたサイトに「Webデザインはデザインだけできても食べていけない」と書かれてあったため、5年間は辛抱してスキルを身につけようと会社勤めをしていました。

システムエンジニア→ディレクター→広告代理店

会社勤めをしていた頃は、とにかく踏み台にしてやろうという気持ちしかありませんでした。絶対に25歳でフリーランスになってやるぞ!という気持ちが強かったからです。まずはプログラムを学び、C言語を基礎から覚え、次にコンテンツディレクターとして企画やプレゼンなどを覚えました。その後、Webデザイナーとして募集している会社に所属することになります。

ところがどっこい、ただの広告代理店であった

Webデザイナーが会社に入るには、実務経験が必要不可欠。でも、未経験でもOKと書かれていたので怪しい気もしましたがとりあえず面接。その当日に、「来週から来てください」との連絡があり、喜んだ記憶があります。

実際に入ってみたら割とブラックな広告代理店で、バナー作りから始まり、商品開発、商品のLP制作、メルマガ執筆・配信までしていました。その他、ネットショップの運営や雑誌の企画まで、色々やらされた記憶がありますが、意外にもそれが経験となっています。

制作事業部は私1人だけ

私1人で制作を行なっていたことも多く、周りは営業さんだらけ。制作会社に入ったことのない私は、ひたすらPhotoshopとIllustratorをいじっていました。1人だけの制作事業部、もう寂しくて寂しくて。

ようやく下の子達が育ってきた頃に、その会社を卒業する事に

最初は猛反対されました。社長の直下でマネージャーとして働いていたので、会社にとっては痛手だったのかもしれません。でも、25歳ギリギリまで働いたんです。その頃には、入社当初10万しかなかったネットショップの売り上げを3000万に底上げしていたこともあって、だいぶ重宝されてきたんだと思います。

採用面接にも顔をだし、面接官として育てたい子を雇い、教育し、私ができる業務のほとんどを割り振りました。辞めると言ったのは、半年前くらい。無事、卒業することができたのは私にとってはありがたいことでした。

じゃなきゃフリーランスになれなかったもの!!

フリーランスになってからはひたすらワードプレスとの戦い。全く触ったこともないのに仕事を請けて、実戦で覚えるタイプだったのですが、難なくクリア。独立して1ヶ月目は30万くらいの売り上げでしたが、翌月には300万を超えた収入を手にしていました。

LINEクリエイターズスタンプで大盛り上がり

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友達に「やってみようと思うんだけど、どうかなぁ?」と相談してみたところ、「いいんじゃない?」とあっさり。私はイラストが描けないので、プロデューサーという形でLINEスタンプを配信。見事に大当たり!

毎日収益を見るのが楽しくて、利率が下がる頃までスタンプを作り続けていました。LINEスタンプアワードで、昔憧れていた「カナヘイ」さんに出会えたことに感動!

フリーランスで楽しく過ごす日々

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タスクが少ない時はお気に入りのカフェに行ってまったりブログを書いていた日々。ブロガーイベントにもたくさん参加しました。おかげさまでブロガーさん方には顔と名前とニーハイを覚えてもらって、仲良くさせていただきました。

フリーランスは平日でも気分が乗らなければ仕事をしない時もあるし、タスク管理をちゃんとすれば納期を気にせず過ごせたので、私にとってはとにかく楽な生活でした。

なによりも満員電車に乗らないのがいい!

ブログが盛り上がっていた時代でもあったので、ひたすらブロガーさんとの人脈作りに勤しんでいました。でも、一番大きかったイベントで、「ニーハイの人!」と声をかけられまくったのは、セルフブランディングのおかげかなと思っています。

テレビ・雑誌・メディアに多く露出したことも思い出

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雑誌「oggi」や、WBS、ガッチリマンデーやガイアの夜明けに出演させていただいたのはすごく光栄なことだと思っています。また、当時使っていたクラウドワークスさんの上場の際に、東証の鐘を鳴らしたことは一生忘れません。普通の人から見ると、「何でこの人ハンマー持ってるの?」と言われますが、あれは上場の鐘ですw

30歳になって法人化したらおかしくなった

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社員を育てなければ!という気持ちが強くなり、辞めさせたくない一心に、自分もデザインをしつつ人に教えるということで、だんだんと疲れが見えてきます。やはり両立は難しいと感じる日々でした。

クリエイター気質の私にとって、経営というのは結構難しいもので、人を育てたり、経理面を考えたり、色々と考えてしまってパンクしてしまったのだと思います。

2019年にはもう仕事も家事も手につかないくらいのレベルになってしまっていて、これはいかんと奮起したのが2019年12月。おそい!!

2020年、私は変わります

6月までに、2014年の一番バリバリ働いていた頃の自分に戻る宣言をしました。仕事のスピードを速める、仕事をたくさん取る、生活水準を保つ、お金の嗅覚を上げる、ギラギラする、メディアにも露出する、最先端を行く。フリーランスの上層にいたはずの私が落ちぶれたのは、全部私が無理したせいだと思っています。

会社を作らなければよかったのかな?と思う時もありました。でも、今いる社員を見ると、ああ、仲間が増えたんだなとしみじみ思うので、後悔はしていません。フリーランスには時間と収入の限界があったからです。

だから、今までのことは全部なかったことにできないにしても、周りの仲間には、今後の活躍を期待していてほしいなと思っています。

さいごに・・・

やる・やらないで左右される、という記事を読み、私はやると決断をしました。やるからには期限までにきっちり責任をもって達成しないと、という気持ちがあるので、がんばりますよ!


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