生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第49章 北斗七星
~ミシェル・イーの手記より 5(続き)~
始まって30分くらいした頃、会場後方の扉が開いて、楽器やら機材やらが運び込まれた。それが終わると7人のミュージシャンがポジションについて楽器を手にした。チューニングやらボリュームの調整を行っている。
「それでは音楽の演奏をお楽しみ下さい」と周光立。
いま上海で「もっともチケットがとれないバンド」の一つなのだという。みんなの目が奏者たちに向かう。アシスタントの呂鈴玉がはしゃいでいる。一区切りのついた料理人たちも会場に入り、聴衆の一員となる。
1曲目。GとFの和音が連打されるイントロに続く、inCのミドルテンポで明るい曲。ミヤマ・ヒカリの顔に満面の笑みが浮かぶ。お気に入りの曲なのだろうか。
1曲目が終わり、リードボーカルでギターの女性がMCをする。バンドの名は「北斗七星」。1曲目は20世紀から21世紀にかけて活動した、Oというニッポン人女性ミュージシャンの曲。高級中学の同級生だったミヤマ・ダイチから今日の演奏の話をもらったとき、リクエストがあったのがこの曲。レパートリーではなく、急遽音源から譜面を起こしたという。
2曲目は、オリジナル曲で「十七夜」。inE♭のスローテンポのバラード曲。満月から二晩経ったまだ明るい月の光に、恋の行く末への想いを重ね合わせた中国語の歌詞。二胡の奏でるオブリガートが、切ない恋心を引き立たせる。
3曲目の前にバンドの紹介。ギターの男性、二胡とパーカッションの女性、ベースの男性、ドラムスの男性、キーボードの女性、キーボードとパーカッションの男性、そして彼女。武昌出身のニッポン人である彼女を含む4人で、武昌でバンドを立ち上げた。当初は「北斗星」という名前で活動し、上海に移り、メンバーが7人になったのを機に「北斗七星」に改名したのだという。レパートリーは、20世紀後半から21世紀を中心とするポピュラーミュージックのカバーと、オリジナル曲とが半々くらい。
3曲目。今宵最後の曲は、20世紀後半から活動した、アフロ・アメリカンのコーラスグループのナンバー。inF♯の疾走感に溢れた快活な曲で、気球で空高く飛び上がろう、という内容の英語の歌詞。
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演奏を終えて、いったん退出した「北斗七星」のメンバーは、しばらくすると会場に戻り、パーティーに加わった。大ファンという呂鈴玉は大はしゃぎで、メンバーをつかまえてはPITでツーショットを撮りまくっている。劉静は苦笑いをして制止しない。
MCのボーカル女性、田洋子(ティエン・ヤンツー)ことタムラ・ヨウコは、会場を回って参加者に一通り挨拶し言葉を交わすと、皿にカレーライスを盛って、ダイチとヒカリのところにやってきた。
「おつかれさまでした。大好きな曲が聴けて嬉しかったです。ネオ・トウキョウでの最後の日々によく聴いた曲なんです。二胡の入ったアレンジ、新鮮でした」とヒカリ。
「ヒカリさんね。ほんとサユリさんにそっくり」とカレーライスを頬張りながらヨウコ。
「最初会ったときは、私もびっくりしたんだよ」とダイチ。
「こんなそっくりさんが現れて、カオルくんは大丈夫かな?」ダイチに向かって少し声を落として話すヨウコ。
「最初はほんとに衝撃だったようだけれど、最近は落ち着いてきているように思う」ダイチも声を落として返す。
「元カノの私としては気になるところだ。しっかりフォローしてやっておくれよ」と少し音量を上げてヨウコ。
「あら、ヨウコさんはカオルと?」とヒカリ。
「そう、高中時代に。そんなに長くは続かなかったけどね」
ヒカリがリチャードソンのところに挨拶に行く。
【船長、その節は息子のマモルがお世話になったとのこと、ありがとうございました】
【あなたがオガワ・マモル君のお母さんの】
【はい、ミヤマ・ヒカリです】
【彼と、ちっちゃな天才ピアニストのホシノ・ミユキ君を火星まで送り届けたあと、私は月に戻りましたが、その後も時々MATESのやり取りはしていますよ。二人ともそれぞれに、頑張っているようですね】
デザートもほぼ片付き、時刻は21時になろうとしていた。今日はさすがに酒をセーブしていたのだろう。しっかりとした周光立が前に立って話し始める。
[みなさん。そろそろ周光来がお暇します。その前にひとこと申し上げたいとのことです]
周光来が、劉静を伴って前へと進み出た。
[調査団のみなさん。どうもお疲れ様でした。我々の思いはみなさんに十二分に伝わったものと思います。これ以上多くは語りますまい。どうぞよろしくお願いいたします。私はこれで失礼します。どうか帰りもよいフライトを]
そう言い一礼すると、周光来は劉静と扉のほうへ向かう。調査団メンバーから拍手が起こり、参加者全員が加わる。周光来は自室へと引き上げた。
周光立が扉の横に行き、調査団以外の参加者に扉の前に並ぶよう促す。オビンナ、リチャードソン、アーウィン、シリラック、マルティネス、ハバシュ、ミシェル・イーの順に、並んだ調査団メンバーの一人一人と握手を交わしながら扉に進む。メンバーは自室へと戻る。
次に退出したのは、迎えの車が到着した自経総団の2人と上海真元銀行の2人。バンドメンバーと馮万会、周光立以下4人が見送る。バンドメンバーは楽器や機材の片づけに入る。
退出しようとする馮万会に、周光立が声をかける。
[それでは明日、ゴーサインの連絡をしますので、よろしく]
[了解。いつでもOKだ]
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~ミシェル・イーの手記より 6~
10月12日 土曜日
朝6時起床。名残惜しいような気持ちも洗い流すように、少し長めにシャワーを使う。支度を整え、荷物を持って8時に食堂へと向かう。リチャードソン船長とハバシュ副操縦士に加え、周光立、ミヤマ・ダイチ、高儷、ミヤマ・ヒカリがすでに待っていた。ほどなく他の4人も荷物を持ってやってくる。
今朝も朝食は西洋式、中国式とニッポン式からチョイス。私を含めて6人が中国式を選び、3人がニッポン式で残り2人が西洋式。人数が多いので、アシスタントの呂鈴玉も調理場に入って、手伝っているようだ。
朝食を終えて茶をいただくと9時。そろそろ出発の刻限。劉静以下4人の周光来宅スタッフに食堂でお礼を述べ、ミニプレインが駐機してある裏の空地へと向かう。周光立以下4人が見送りに来てくれた。ハバシュ副操縦士が乗降口のロックを解除して下ろし、最初に乗り込んで操縦席に着く。リチャードゾン船長、オビンナ団長、マルティネス、シリラックの順で、4人に挨拶しながら乗り込む。アーウィン副団長はミヤマ・ヒカリとしっかりとハグしてから乗り込む。私が最後に続く。
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ハバシュが操縦するネオ・シャンハイ所属のミニプレインは、エンジンを起動し、しばしアイドリング状態となった後、エンジン音をあげ、垂直上昇した。機首をネオ・シャンハイのほうへ向け、青空を背景にさらに上昇しながら飛び、すぐに見えなくなった。
一行を見送った後、周光立ら4人は周光来の執務室へ向かい、楕円形の卓子の椅子に腰かけた。劉静を伴い周光来が入ってきて席に着く。
周光立が切り出す。
[お爺様、このたびはいろいろとお取り計らいいただき、ありがとうございました]
[なんの、礼なら劉静たちに言いなさい]
[本当にありがとうございました]
[そうだ、シカリ]と周光来がヒカリのほうを向く。
[見せたいものがある]
そう言うと彼は劉静に目配せし、彼女は執務室から外に出る。しばらくして、一人の男を伴って戻ってきた。
どこかで見た覚えがある男だが、思い出せない。
[これに見覚えはないかな、シカリ]というと、劉静から手渡されたものをヒカリに渡す。
一目見て、ヒカリは思い出した。
母の形見のリングケース。ふたを開けると少し青みがかった深い緑の宝石のリング。
「わかったわ。あなたはリサイクルショップの…」
[はい。王黒娃です。その節は誠に…]
「でも、どうしてこれがわかったのですか」とヒカリが周光来に聞く。
[劉静は、上海真元銀行への出資財産を管理する財団の実務を行っている。母上の形見の品の話を聞いたあと、劉静に、アレクサンドライトが持ち込まれないか、確認するよう命じておった。案の定、120万真元の値で売り込まれて、取引を辿ったら、この男に行きついた。問い詰めると10万元で買い取ったとのことで、買い叩き過ぎだろうということになった]
[ま、誠に申し訳ないことです]と王黒娃は平身低頭。
[というわけで、シカリ、貴女がよければこれを返させようと思う]
「ありがとうございます。まさかこのリングに再会できるなんて、思ってもみませんでした」
[返させるとは言ったが、彼にとっては商売。少しくらいは儲けさせてやってくれまいか。10万5千元で買い戻す、ということでいかがかな]
[は、はい。私はなんなりと]と王黒娃。
「私も、それで結構です」とヒカリ。
[取引成立だな。王黒娃、お前の口座に財団から週明け早々にも振込みさせる。シカリ、財団の口座を劉静に教えてもらって、武昌に戻ったらそちらに振込みなさい]
「はい。来週早々に振込みます」とヒカリ。
[引き込まれそうな色の宝石ね]とリングを見た高儷。
「18歳の誕生日に、母からプレゼントとして貰ったものなの」
すっかり恐縮した体の王黒娃が、劉静に連れられて部屋から出て行った。
[協定の成立後、どのように住民の同意をとるつもりかね]と周光来が周光立に聞く。
[上海であわせて10000ある班のすべての同意を、通常の手続きでとるのは、さすがに手間と時間がかかります]と周光立。
[そうすると「助理会」の決議かね]
[はい。自経団ごとに助理会を開催しようと考えています]
助理会、正式名称は「区長助理総会」。自経団全体の利害に関わる事項について、迅速な意思決定が求められる場合に、区長助理の決議により決定する制度である。会合によって行う方法と書面により行う方法がある。
[今回は、全自経団員が関わる大掛かりな施策ですので、意識の統一のためにも会合の形をとろうと思います。お爺様、ぜひご登壇のうえお言葉をいただきたいと思います]
[そうだな。自経団全部で10回というのはなかなか骨が折れるが、各回冒頭に手短に話し、終われば退出させてもらうのであれば、なんとかできるかと思う]
[ありがとうございます。具体的なことは、改めてご相談させて下さい]
[劉静と話してくれればよい]
[閣下が上海の助理会でお話になられたお言葉を収録したものを、こちらで使わせていただいてもよろしいでしょうか]とダイチ。
[ああ、構わない。武漢も同じようにするのかね]と周光来。
[武漢の場合は、支団単位の助理会になります]
しばらく雑談をしていたところ、周光立のPITの着信音が鳴った。
[アーウィン副団長からです。いま、ネオ・シャンハイを飛び立ったと]
時刻は10時半になっていた。
4人も周光来の屋敷を辞し、いったん周光立の自宅に寄って軽く昼食をとると、ダイチ、ヒカリ、高儷の3人は、ダイチのエアカーで武昌への帰途についた。
「国際連邦調査団上海、武漢に来訪。星の衝突の影響を避けるためのネオ・シャンハイへ避難を連邦に自経団首脳より申入れ。それに対して派遣されたもの。近日中に協定発効か?…」
その日の13時ちょうど、長江新報で馮万会の署名入りの短い記事が配信された。
(つづく)