生き残されし彼女たちの顛末 第0部(前日譚) 6)国家? 信教の自由?
(火星授業記録その10)
よろしいですか。それでは再開します。
さきほど「国際連邦暫定統治機構が、実際に『国家』といえるかどうか」ということをお話ししました。みなさんはどのように思いますか?
――さっき説明していただいたように、三権分立の仕組みで連邦市民を統治しているから、「国家」といえるんじゃないでしょうか?
Fさん、よい意見です。たしかに国家が持っている機能、つまり仕組みやはたらきや権限といったものをすべて備えています。
それでは、なぜ「暫定」統治機構と呼ばれるのでしょうか?
――「暫定」って、どういう意味ですか?
「暫定」ということばの意味について確認してみましょう。タブレットを見てください。
~ディスプレイ表示内容~
暫定:正式に決めるまでの間、仮に決めておくこと。一時的な措置。
つまり、国際連邦が行っている統治は、一時的な措置であるということです。本来正式に統治をおこなうのは、さきほどみなさんがあげてくれたような、主権を持つ「国家」でなければならないのです。
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このへん、完全にプライマリースクールのレベル超えてると思う。アドバンスド・クラスなればこそ、ってことかしら
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(火星授業記録その11)
そもそも国際連邦は、それ自体は主権を持った国家ではありません。「連邦」という名前がついているので国家のように思ってしまうかもしれませんが、主権国家であるロシア連邦やギニア湾岸共和国連邦とはちがって、主権をもつ国家が等しい立場で加盟している集まり、国家連合でしかないのです。
第四次世界大戦が終結するまでは、国際連邦にはいまのような統治のしくみはありませんでした。あくまで主権国家が集まって、紛争を話し合いで解決したり、国家間で協力して行う事業のとりまとめを行ったりするための組織でした。
たしかに国際連邦が発足した当初は、あとでお話ししますように、加盟国の主権の重要な部分を段階的に連邦に移していく、という目標はありました。しかしそれは実現しないままとなってしまいました。
例外的に月や火星を含む宇宙空間については、国際連邦が主権を持って管理を行っていました。しかしそこに住んで活動するひとたちは、すべて出身国の国民としての地位を持っていました。現在のような「連邦市民」という地位もありませんでした。
状況が変わったのは第四次世界大戦の結果によるものです。
最初のほうでお話しした通り、地球上のほとんどの地域が生活できない状態になってしまい、いくつもあった国家がすべて機能を果たすことができなくなってしまったのです。地球上に生き残った人たち、そして月や火星などに住む人たちに対して、国家としての役割を果たすものが必要になったのです。
そこで、正式な国家が再び機能するようになるまでの「一時的な措置」ということで、月に本部を移していた国際連邦が、それらの人々に「連邦市民」という地位を与えて統治する仕組みを作ったのです。
だから国際連邦「暫定」統治機構と呼ばれるのです。
したがって「国際連邦暫定統治機構が、実際に『国家』といえるかどうか」という問いに対する答えとしては、
~ディスプレイ表示内容~
国際連邦暫定統治機構自体は「国家」ではない。
正式な国家が再び機能するようになるまで、国家の役割を一時的に
行っているもの。
ということになります。
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「信教の自由」という言葉が突然思い浮かんだ。
カゲヒコのご両親のことを思い出したからだろうか。
国際連邦暫定統治機構のもとでは、もちろん「信教の自由」が保障されている。
ただし、数ある宗教のうちの10については「公認宗教」という形で一定の便宜が図られている。内訳は、キリスト教系が3つ、イスラム教系が2つ、仏教系が3つ、あとヒンズー教とユダヤ教。
カゲヒコのご両親は、仏教系の3つの公認宗教のうち「大乗連合」に属する一宗派の熱心な信者だった。
二人ともカテゴリAが決まってから一層熱心となったようで、カゲヒコやわたしに、会うたびに帰依を勧めるようになった。
「あなた方もいずれその日を迎えるのですから、インディペンデントのままではつらいでしょう」
特定の宗教を信仰しない立場をインディペンデントという。
5年前、ターミナルケアセンターの面会室での最後の面会のときにも、熱心に帰依を勧めた。
「気持ちはありがたいけれど、僕もヒカリも宗教は必要とはしないのであって、帰依するもなにも、つまるところ支給の安定剤と睡眠剤で十分なわけなんだ」とカゲヒコが言った。
どちらかというとお母さんのほうがより熱心だ。
「そうそう、マモルちゃん、はるばる火星までひとりで行かなきゃならないあの子にこそ...」
「いいかげんにしてくれ。子供とはいえ、彼にも信教の自由はある!」と、めずらしく断定口調で語気を荒げるカゲヒコ。
「まあ個人の自由なんでしょうから...無理にとは言いませんけれど...」
いよいよ面会時間が終わりとなった。
涙ぐみながらカゲヒコのお母さんが言った。
「私たちの最後の願いは、あなた方が心安らかにその時をむかえることです。どうか仏様のご慈悲のありますよう」
「ありがとう。母さんたちもどうか心安らかに」とうっすら涙を浮かべたカゲヒコ。
実の親子の間で、最後のときまで入信を勧められ断っての繰り返しに終始してしまった、カゲヒコの心境はどんなだっただろう。
いくつもの戦争の火種にすらなってきた「宗教」って、いったいなんなんだろう。
そして、信仰はいざその瞬間、カゲヒコのご両親に味方してくれたのだろうか。
1週間後に、「ケアが施された」という通知を涙ながらに受け取ったカゲヒコの姿を見ながら、わたしは思った。
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(つづく)