生き残されし彼女たちの顛末 第1部 第15章 セッション
翌7月17日の水曜日、梅雨が明けて真夏の太陽が照りつける中、ジョンの店には午前中だけで、3件のコンピュータ関連の修理依頼が持ち込まれた。いずれも他の工房で断られたという難物揃いで、口々に「張道寛に聞いた」と言われた。修理のすんだ5件の連絡もあり、ヒカリとジョンと二人がかりで捌いた。
午後はジョンが出張修理に出かけたので、ヒカリが一人で店番。3件の引渡しと2件の新たな注文をこなしながら、午前中に受けた分のうち2件の修理をすませた。
18時に店を閉め、簡単な料理で夕食をとっていると、蒸し暑い空気の中を通って19時頃、ダイチが現れた。椅子を一つ用意し、ジョンが温めてきたスープで食事に加わる。
食事が終わるとジョンは、[じゃあ、あとは二人で]と言い残し、自分の部屋に姿を消す。
「いろいろと聞きたいことはありますが、やはり『星』のことから教えてくれませんか?」とダイチ。
「そうですね。わたしも全部理解してるわけじゃないけど、知ってる限りお話しします」
ヒカリが話し出す。
「星」は、約1年後の2290年6月半ば頃に地球に衝突する予定であること。「星」の衝突のことをインパクトということ。正式名称ではないが「星」は「マオ」と呼ばれていて、直径は約100km。恒星間天体で、太陽を巡る軌道を回る小惑星ではないが、小惑星としても巨大な部類に入ること。比較すると、6500万年前に衝突して恐竜の絶滅を招いた小惑星に対して、直径で10倍、体積で1000倍になること。直撃を受けた地点は一瞬のうちに蒸発してしまい、地球表面のおよそ10分の1は一瞬で焼き尽くされ、約40%には焼けた岩石が降り注ぎ、ほぼ全域に台風の風速を上回る猛烈な衝撃波が襲うと予測されること。また、インパクトの場所が海の場合、猛烈な津波が陸地を襲うことも予測されること。
「直接の影響は、このように言われています」とヒカリ。
「ということは、衝撃波や津波のことを考えなければ、地球上の半分くらいは持ちこたえられるかもしれない、ということですか?」とダイチ。
「そういうわけにもいかないんです。第四次大戦のあと『核の冬』という気候変動の時期があったそうですね」
「そう聞いています。爆発に伴って発生した塵が大気に留まり、数年間太陽光線が遮られて気温低下をもたらしたと」
「マオのインパクトにより巻き上げられた物質が大気中に留まることで、『衝突の冬』といえる現象が起こり、地球全体が少なくとも数十年に亘って、太陽光の不足と気温低下に見舞われるとされています」
「数十年ですか」と驚きながらダイチが言う。
「その他にも、大気中に放出された物質が化学反応を起こして酸性雨を降らしたり、オゾン層も破壊されることが予想されます」
「今でも第四次大戦の影響でオゾン層がやられ、紫外線が強いことが問題になっていますが、それよりさらにひどくなるのですね」
「おそらく」
「それで、連邦のAIの予測では地球のどの辺に衝突するのですか?」
「それが、『直前になるまでわからない』というのです」と、申し訳なさそうに言うヒカリ。
「だから、危険な地域の住民を事前に安全なところへ避難させる、という選択肢が取れなかったのですね」と言って一呼吸おくと、さらに続けるダイチ。
「結局ネオ・トウキョウもネオ・シャンハイも『空っぽ』になってしまった」
「その通りです」
「わかりました」深刻な話をして、疲れた様子のヒカリを見たダイチが言う。
「じゃあ、今日はこのくらいにしておきましょう。続きはまた、明日聞かせて下さい」
帰り際にダイチはジョンの部屋をノックする。顔を出したジョンに言う。
[ありがとうございました。明日もお邪魔します]
[どうぞご遠慮なく]とジョン。
店の前に昨晩から停めてあったエアカーに乗って、ダイチは家へと向かう。
【深刻そうな話だったね】と、ダイチの表情を見たジョンがヒカリに言う。
【ええ。トップシークレットです。今のところは】
翌日も同じ頃、ダイチはジョンの店を訪れ、夕食をすますとジョンが自室に閉じこもり、ヒカリとダイチの会話が始まった。
本日の話題は「ターミナル・ケア」と「カテゴリ」について。マオのインパクトについて公表され、市民投票の結果、連邦A級規則が成立したこと。規則に基づきカテゴリ分けが行われ、約1億人の地球上の連邦市民のうち、500万人が「カテゴリC」として火星への移住組に選ばれたこと。「カテゴリA」とされた大半の市民には、順次、安楽死処置である「ターミナル・ケア」が施されたこと。そして、火星への移住の完了を見届け、レフュージの運営を最後まで担ったヒカリを含む500万人が、「カテゴリB」として6月30日に一斉にケアを施されたこと。
「そのA級規則に対して、抗議は起こらなかったの?」とダイチが聞く。
「もちろん抗議は起こりました。大規模な暴動で死者も多数出たレフュージがあると聞いています。けれど、僅差で規則が成立すると、急速に抗議活動は下火になりました」
「どうして?」
「連邦A級規則に、『カテゴリS』という特別なカテゴリが定められていて、規則に反対する言動を行った者は、『カテゴリS』に『昇格』することになっていたんです」
「『カテゴリS』?」と怪訝そうにダイチが言う。
「人間の最も崇高な権利の一つである『抵抗権』を行使した勇者たちに対して、『カテゴリSへの昇格』という『栄誉』が与えられるという触れ込みでした」
「で、『カテゴリS』に昇格すると、どうなったの?」
「猶予をおかず、即刻ケアが施されました」
「なるほど、体のいい『処刑』ということか」と納得した風のダイチ。
次の日、話題はヒカリの家族とその顛末について。
「つらいだろうから、無理に話さなくていいよ、ヒカリ」と気遣うダイチ。
「ありがとうございます、でも、やはりこれは話しておかなければならないと思う」とヒカリは言い、おもむろに話を始めた。
最初にケアされたのが、夫のオガワ・カゲヒコの両親。夫婦揃ってケアされたこと。
しばらくおいて次がマモルおじいちゃんの双子の弟で、ヒカリの義理の祖父であったミヤマ・マサル。写真を渡され、ヒカリの実の祖父がミヤマ・マモルであることを始めて告げられたのが、マサルおじいちゃんとの最後の面会のときだったこと。
それから、ヒカリの両親がこれも夫婦揃ってケアされた。最後の面会のときに「マモルおじいちゃんが大陸でまだ生きているかもしてない」と言われたこと。
ここまできて、ヒカリの目にうっすらと涙が浮かんだ。
「ヒカリ、無理しなくてもいいから」
「ごめんなさい。自分で話し始めたのに…少しだけ気持ちを落ち着かせて下さい」
しばし沈黙が流れる。そして再びヒカリが話を続けた。
「家族の中で唯一のカテゴリCだった息子のオガワ・マモルは2年前に火星に向かったの」
「そのときいくつ?」
「8歳になったばかり。夫のカゲヒコと二人で見送ったわ。昨日のことのように覚えている。そのカゲヒコはマモルが火星に発ってから…1ヵ月後にケアされました」
「じゃあ…キミは2年間ひとりだったんだ」
ヒカリの瞳をのぞき込むようにしてダイチが言う。
「火星の息子とは連絡を取り合ってたわ」
「いま10歳かな?」
「ええ。おかげさまで仲良しさんもできて、元気でやっているみたい」
「そしてキミは6月30日にケアされるはずだった」
「そう、でもわたしのケアは失敗した。確率的には、ネオ・トウキョウでわたし一人のはず。それから、前にお話ししたような経緯で今ここにいます」
その日の夜、ヒカリは夫との最後の日々のことを思い出していた…
---------------------------------------------
夫カゲヒコは、連邦A級規則の成立後すぐに、火星移住支援特別プロジェクトに転属となり、地球から月を経て火星へと向かう移住者のロジスティクスを担当するチームに入った。 火星に向かう「自力航行型居住モジュール」の建造・配備計画の進捗状況を管理し、移住者のスケジューリングを行い、地球から月へのシャトル便の運行計画を作成。燃料や物資の手配、移住者の移動時と火星到着後しばらくの期間の食料・水・生活必需品の手配も必要だ。
カゲヒコは多忙を極めた。なかなか話をする時間もとれない日々が続いた。
地球と火星が大接近する2287年8月前後に実施される、移住者全体の約3分の2を運ぶ「大作戦」の計画立案が進み、やっと一段落つきかけた5月に、カゲヒコが8月25日にケアされることになった旨の通知が届いた。
息子のマモルの火星への出発を2ヵ月後に控えて、やっと家族一緒の時間が取れるようになった。2週間の「メイドノミヤゲ」も。
7月30日、火星へ向かうべく月へのシャトル便に乗る、8歳になったばかりのマモルを、夫婦揃って見送った。
残されたわずかな夫婦二人の時間。普通に朝食を食べ、普通に出勤し、普通に夕食をともにした。休日に3回ほど外食をした他は、食事はほとんど家で食べた。
カゲヒコはもう、激しく求めることはなく、夜は二人、やさしく抱き合って眠った。
それぞれの両親のお墓参りにも行った。カゲヒコのオガワとヒカリのミヤマ、別々のセメトリーに両親の墓標が、そしてミヤマのほうには、マサルおじいちゃんの墓標がおばあちゃんと並んであった。
「わたしたちは別々になるんだよね。あなたはオガワに、わたしはミヤマに」
「まあ、こんなに早く来るとは思ってもみなかったような…」
「寂しくない? わたしは大丈夫だけど」
「ぼくにとっては、死んだあとのことなんかより、いまこうしてきみと過ごしているこの日々が、何より大切だから…」
いつになくはっきりとした口調でそう言って、カゲヒコはわたしの腰に手を回した。
ケア1週間前の8月18日に、カゲヒコは西15区の公立第4ホスピタルのターミナルケアセンターに収容された。おじいちゃんや両親と同じセンターだ。
ケアの前日、24日の夕方に面会に行った。
「元気そうだね」とカゲヒコが言った。
「そうね」とわたしは答えた。
「ぼくは元気、というか、なんというか、明日麻酔をかけられるわけだけれど…」
相変わらずカゲヒコはつかみどころがない。
「マモルは順調に火星に向かってるようで、なによりだ。あいつなりに考えて、粋な計らいを考えてくれた」とカゲヒコ。
「ミユキちゃんのピアノ、ほんとに上手ね。仲良しさんができてよかったわ」
カゲヒコからこのとき聞いたところによれば、連邦統治委員会は、2282年の連邦A級規則の成立を待たずに、「対策要領」のまとめられた2279年頃から、自力航行型居住モジュールの建造・配備や月シャトル便の増強、移住者用の生活物資製造設備の月や火星での建設など、規則が成立することを見越した「事前」準備を進めていたのだという。
「しかしその、このタイミングって、ぴったりというか、火星に行く人たちの支援に対するご褒美というべきか、それとも役目が終わって用無しになったっていうことか…」
カゲヒコがちょっと目を逸らすようにして言った。
「あなた、ほんとによく頑張ったわ」
「たしかに、忙しくはしてたけどね」
彼の視線が再びヒカリの瞳に注がれた。
「きみはひとりになっちゃうけど、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫、って言いたい。けど、いまだから言うけれど、ほんとは…いえ、大丈夫」
「あと2年って、長いようで、短いような気がするような…」
「できるだけ穏やかに過ごすようにするわ」
面会の時間が終わりに近づいた。
「きみと一緒に暮らして、ぼくは幸せだったと思うけど、きみに対してぼくはきみが同じように感じてくれるような…」
「幸せだったに決まってるじゃない!」
目を大きく見開いてわたしは言った。
「いままで本当にありがとう。もっと長くいっしょに…」
「その先は言うだけ野暮」
「わかった」
「それじゃあ行くね」とカゲヒコ。
「それじゃあ」とわたし。
椅子から立ち上がって、どちらからともなく近づいてギュっと抱きしめ合う。
心臓の鼓動を20ほど数えたところで、カゲヒコが、回した腕をはずす。
そのまま向きを変えて、彼は収容者用の入口へと向かった。
ドアの前で振り返ってカゲヒコが呟く。
「グッナイ」
「グッバイでしょ」
「いや、ぼくは明日、眠りに入るのだから…」
「それじゃ、グッナイ」
ドアを開けてカゲヒコが出て行った。
遠ざかる足音。やがて聞こえなくなる。
立ち尽くすわたし。
自分たちの面会が今日の最後だったからだろうか、立会ロボットから退室を急かされることもない。
振り返って面会者用のドアに向かおうとするけれど、足が動かない。
瞳から涙が溢れ出てきた。心配させまい、とこらえていたのが、堰を切ったように。
その場にしゃがみこんだ。
一人きりの面会室で泣いた。ただひたすら泣いた。
1週間後届いたカゲヒコに関する通知は、開封せず、そのままにした。
---------------------------------------------
ヒカリとダイチの会話が始まって4日目の土曜日。今度はダイチがヒカリに、マモルおじいちゃんのこと、家族のことを話して聞かせる番になった。
レフュージ開設から5年ほど経ったころ、国際連邦は長江流域のレフュージ外の住民の状況について調査する目的で、ネオ・シャンハイとネオ・トウキョウから武官と文官を募って調査隊を結成した。ネオ・トウキョウの若き行政官だったミヤマ・マモルは募集に応じ、選抜され調査隊に加わった。調査隊は当時50万ほどの人口があった上海を念入りに調査した後、長江を上って当時人口4万の武漢に到達した。
調査を通じて知った、レフュージ外の住民の置かれた状況に心を痛めたマモルは、独断で、レフュージ外住民のレフュージへの速やかな収容を提言するレポートを、連邦本部に提出した。その直後、調査隊の活動は突然中止となり、隊員には帰還命令が出された。連邦のとった措置に納得がいかず、また、調査を通じて知り合った住民を見捨てるような形で帰還するのが忍びなかったマモルは、帰還命令を無視する形で当時滞在していた武昌に残り、暮らし始めた。それが2237年、いまから52年前のこと。
ミヤマ・マモルは懇意となった武昌地区の有力者楊清道(ヤン・チンダオ)の妹、楊可馨(ヤン・クゥアシン)と結婚し、中国名を楊守(ヤン・ショウ)と名乗るようになった。マモルが28歳のときに二人の間に生まれたのが、ダイチとサユリの父親である楊優一(ヤン・ヨウイー)ことミヤマ・ユウイチだ。父ユウイチは21歳のときにニッポン人を両親に持つ一歳年下のユリコと結婚し、ユウイチが22歳のときにダイチが、23歳のときにサユリが生まれた。
「マモルおじいちゃんは10年前に、サユリさんは1年前に亡くなったって仰っていたけど、他のご家族はどうされているの?」とヒカリが聞く。
「祖母の楊可馨が亡くなったのは20年前だった。父のユウイチは15年前、母のユリコは13年前に亡くなった。二人とも病死だった」とダイチ。
「じゃあ…ご両親を亡くされたときは、まだ…」
「ああ、母が亡くなったとき、私は14歳、サユリは13だった。祖父がまだ生きていたのと、従伯父、つまり祖母の兄にあたる楊清道の息子である楊清立(ヤン・チンリー)と徐冬香(シュ・ドンシアン)の夫妻が、親代わりになって私たちの面倒をみてくれた。いまの自分があるのも二人のおかげだよ」
「それからダイチさんとサユリさんはどうされたの」
「私は初級中学を出ると、上海の高中、つまり高級中学へ進んだ。高中は上海に5高あるだけで、武漢にも重慶にも成都にもない。高中を出ると武昌に戻って自経団で働き始めた。サユリは初級中学を出ると教員養成の訓練校に入り、小学校の教師になった。明るくて人付き合いがよく、生徒から慕われるいい先生だったと思う」
「サユリさんとわたし、性格的には反対みたいね。わたしは基本的に人付き合いが苦手」
「サユリが突然発症したのは、幼なじみのカオルと婚約して1年経たない26歳のとき。第四次大戦のときに使われた生物兵器のウィルスが突然変異したものにやられ、手の施しようがない、と医者から言われた」
ダイチの表情が見る見る曇っていく。
「上海の医者にもあたってみたが、治療の方法はないとのことだった。発症して3ヶ月、27歳の誕生日が過ぎてすぐあとに逝ってしまった。6月30日だった」
ダイチは黙り込む。申し訳なさそうにヒカリが言う。
「つらいこと思い出させてしまって、ごめんなさい」
「…いや、それはお互い様だよ」
(つづく)