生き残されし彼女たちの顛末 第0部(前日譚) 8)お昼休みの来訪者
(火星授業記録その15)
「経済的な利益の対立」とならんでもうひとつ、戦争の原因として挙げておきたいのが「思想や信条の対立」です。
古くから異なる宗教や宗派の間の対立が多くの戦争の原因となってきたことがありました。また、異なる民族の間の対立が原因となった戦争も多くありましたが、「民族としての意識」というとらえ方をすれば、この分類に含めてもいいと考えます。
そして「思想や信条の対立」のひとつとして、イデオロギーの対立もあげることができます。イデオロギーという言葉も定義がとても難しいのですが、戦争との関係でみていますので、ここでは「国家や社会を運営する基本的な考え方」と説明しておくことにとどめておきます。
20世紀の後半、「自由主義・資本主義」をかかげる国々と「社会主義・共産主義」をかかげる国々の間で、イデオロギーの対立による「冷戦」とよばれる対立する状態が続きました。世界規模の武力衝突にはならなかったために「冷たい」「戦争」という意味の「冷戦」と呼ばれましたが、地域が限られた戦争は、イデオロギー対立が関わる形で行われました。
それでは、実際に行われた戦争の原因が、これらの2つにきれいに分類できるかというと、そういうわけではありません。
宗教を名目、つまり表向きの理由として行われた戦争が、実際には経済的な利益の獲得の要素が含まれたケースもたくさんあります。
また経済的利益の獲得が目的であるのを、その目的を覆い隠す意図で、民族としての自立や自尊心、国際的な正義などを名目として戦われたものもいくつもあります。
このあと20世紀以降の戦争の歴史について、おおまかにですが見ていこうと思いますので、その中でもお話ししていければと思います。
では、ここで休憩をいれることにしましょう。
(休憩)
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「ヒカリ、お昼ですよ」と、いつも通り12時を告げるアカネの声。
自分専用のボイスインターフェースの声は自分で好きに選ぶことができる。
わたしは、21世紀はじめに登場し一世を風靡したという女声ボーカロイドの声を使っている。昔、ネオ・アキバで見つけて買ったものだ。
コーヒーメーカーからコーヒーをいれてきて、朝作って持ってきたサンドイッチの昼食。
食べ終わって、一息ついた頃合に部屋のドアをノックする音。
「どうぞ」
ロックが解除されると、いささか不敵な笑みを浮かべた男性が入ってきた。
「副支部長殿」ともったいぶって話すのは、第2セクションリーダーのトノオカ・ヤスシさん。
「権利休暇が最後に5時間分残っておりますので、それを取得し本日はこれにて退勤とさせていただきたく、そのご了解をいただきに参上しました」
「了解しましたよ。トノオカさん」
わたしより10歳年上のトノオカさんは、当然、といった風に応接のソファーに腰掛け、足を組んだ。わたしもソファーに移って向かい合う。
「ところで副支部長殿は、定時まで勤務なさるのですか?」
「いつものお願い。『副支部長殿』はやめてください。ご質問の答えですが、定時まで勤務します」
「二日酔いの遅刻で権利休暇使いまくってる私とちがって、ミヤマさん権利休暇はほとんど取ってないのだから、今日ぐらい早く帰られてはいかがですか?」
「帰ったって、夕飯食べてシャワー浴びて歯みがいて寝るだけですから」
「なんと健全な。私のような飲んだくれとはまったく違いますね」と口元にシニカルな笑みを浮かべる。
わたしもシニカルに返す。
「こんなご時世じゃなかったらトノオカさん、飲み屋の立派な『タイショー』になれたでしょうね」
「私これでも軍籍をもっており、階級は大尉であります」
「大将への道は遠い!」
「ミヤマさんこそ、その年で副支部長ですから、世が世なら連邦統治府の局長にでもご出世されたのでは?」
「あまり出世とか興味ありませんの。こんなご時世ですから『幸いなことに』とでもいうべきかしら」
遠くに視線を向ける。人気のないオフィス。かつては部下にあたるたくさんのスタッフが行き交っていた。
「飲み屋のタイショーはともかく、これでもね、夢はあったんですよ。世界中のありとあらゆる種類の酒を飲み尽くすって...たいした夢じゃないですね」
「あら、すてきな夢じゃないですか」
「まあ、こんなことにならなければ、『世界中の酒を制覇』にもっともっと近づけたんでしょうね。言っても仕方ないことですけれど」
「私は大した夢はなかったですわ。家族が元気でいて、仕事がうまくいって、虫歯にならないで...なんかあまりに平凡ですね」
「ミヤマさん、たしかお子さんが火星に行かれたとか」
「はい、息子がひとり、2年前に行きました。いま10歳です」
「ならば、ミヤマさんの夢は、お子さんにつながっていくのですね」
「ありがとう。そう言っていただくと、気持ちが晴れたようです」
「トノオカさんは、今夜はどうされるんですか?」
「飲み仲間と集まって、ひとしきり飲んで騒いで、そのときを迎えます」
「それはなにより。トノオカさんらしくていいわね」
「ミヤマさんはおひとりで大丈夫ですか。よろしければ我々の会にご招待しますよ」
「どうもありがとう。でも、ひとりで迎えることにしていますから」
ソファーから彼が立ち上がる。スラックスの皺を手でさっと払い、その手を襟元にもっていくような仕草を見せる。
「すみません。貴重な時間を、馬鹿話にお付き合いさせてしまった」
「いえいえ、楽しいお話でしたわ。」
「では、これにて退散します。どうかよい残りの一日を」
「トノオカさんも、楽しんでくださいね」
ドアのところで振り返るトノオカさん。
笑みは消えて、真顔になっている。
「貴女の部下でいれたこと、幸せでした。ヒカリさん」
そう言うと彼はドアを開けて出て行った。
あんな感じだけれど、トノオカさん、実力があってほんとに頼りになるスタッフだった。
涙腺が刺激されるのを感じる。
「ご一緒できて、本当によかったですわ」と心の中でつぶやく。
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(つづく)