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生き残されし彼女たちの顛末 第0部(前日譚) 18)ターミナル・ケア

(火星授業記録その26)

 2279年、連邦インパクト対策特別小委員会の存在が明らかにされ、マオのインパクトとその対策についての案が発表されました。
 大きく分けて2項目からなる対策でした。

~ディスプレイ表示内容~
 「恒星間天体マオ インパクト対策要綱」
  (2279年連邦インパクト対策特別小委員会発表)
   対策1:地球上の可能な限りの者を火星に移住させること
       移住者は公平な方法で選び出すこと
   対策2:地球に残るものについては、インパクトによる苦痛から
       逃れさせるために、事前に安楽死をさせること

 ひとつは可能な限りの火星への移住、そしてもうひとつは残るものの安楽死、ということです。
 当然のごとく大きな議論が巻き起こりました。
 本当にインパクトは起こるのか? インパクトを避ける方法は本当にないのか? 避難するとか、地上で助かる方法はないのか?
 さらに、いったいどれくらいの人数が火星に移住できるのか? 選び出す「公平な方法」とはどういう方法なのか?
 これまで極秘として一般に知らせていなかったことにも批判が起こりました。
 そして「安楽死」とは、いったいどういうことなのか?

「安楽死」について説明します。
 安楽死は、苦痛を与えずに死をむかえさせることをいいます。安楽死といえども人の命を奪うことですから、そうそう簡単に行うことはできません。一般的には、もう回復する可能性がなく、死を迎えることがあきらかな状態の病気の患者に対して、その苦痛を取り除くために行われるものとされています。
 マオのインパクトによって、地球上に残った人々の多くが恐怖と苦痛の中で悲惨な最期をとげる、ということはたしかであるとして、そのことが安楽死が許される条件として十分かどうか、特にこの点が大きな議論となりました。
 対策要綱が発表された翌年2280年に、対策要綱をより具体的にした形で連邦規則の案が作成されました。「火星移住およびターミナル・ケア連邦A級規則」案と呼ばれるものです。正式名称はタブレットに表示されている通りです。「ターミナル・ケア」とは、連邦規則に従って行われる安楽死のことを指す言葉として、連邦規則案作成のときに作られたものです。

~ディスプレイ表示内容~
 「火星移住およびターミナル・ケア連邦A級規則」案
  正式名称:「恒星間天体マオのインパクト対策としての火星移住計画
       および非移住者の安楽死措置に関する連邦A級規則」案

「連邦A級規則」ですので、さきにお話ししました通り、決定には関係する市民による市民投票が必要とされました。与える影響の重大さを考えれば当然のことといえるでしょう。
 連邦規則案は連邦評議会での審議を経て2281年に可決し、市民投票が実施されることになりました。
 この規則案は地球のレフュージに住む市民にのみ影響するものなので、投票する権利があるのはレフュージ在住の市民のみとなりました。私のように火星に在住する市民は、当然のことながら投票できませんでした。
 連邦評議会での可決から市民投票までの半年の間、ふたたび議論の渦が巻き起こりました。さきほどお話ししたような議論、なかでも「ターミナル・ケア」の部分が議論の中心となりました。
 2282年5月、インパクトの予想時期の約8年前、市民投票が実施されました。
「火星移住およびターミナル・ケア連邦A級規則」案について投票の結果は、賛成多数となりました。その結果をうけて、規則は7月に正式に成立しました。

――質問よろしいですか。

 はい、Pさん。おねがいします。

――どうして対策が決まったのがインパクトのわずか8年前だったのですか? もっと早くに、たとえば2265年の段階で対策を始めていれば、火星に移住できる人数だってもっとたくさん可能だったかもしれないかと思うのですが。

 するどい質問です。
 そうですね、ひとつにはインパクトの確率が、2265年の時点では、まだ50%、つまり「五分五分」の状況だったということが挙げられるかと思います。
 衝突するという都合の悪い確率が50%ということは、衝突しないという都合のいい確率も50%ある、ということです。人間の行動パターンとして、自分に都合の悪い情報を過小評価、つまり小さくとらえるという傾向があります。これを「正常化バイアス」というのですが、当時の連邦の担当者がこの正常化バイアスの状態に陥っていた可能性が考えられます。
 また、発生すれば確実に多数の犠牲者がでる事態について、発生するかどうかが「五分五分」の段階で発表すると、地球上の市民の間に不用意な形で混乱を起こすかもしれないということを憂慮した、ということも考えられます。
 その後、インパクトの確率は上がり続けたのですが「インパクトが起これば確実に犠牲者がでるのだけれど、果たして誰が犠牲になるかわからない」という状況で、それを避けるための方法も見つからず、「安全」な場所、つまり月や火星に脱出できる人数にも限りがある、という、すべてのひとを納得させられそうな解決策が得られない、いわば「袋小路」の状態になってしまったのだと思います。
「もうこれ以上どうしようもない」という状況になって、結局「ターミナル・ケア」、つまり安楽死を基本とする対策案をとして出さざるを得なくなったのだと思われます。いわゆる「苦渋の選択」となってしまったのです。
 こんな回答でよろしいでしょうか。

――私には納得できません。でも、先生の説明は理解できました。

――関係する質問です。よろしいでしょうか。

 はい、Qさん。どうぞ。

――火星にきてから、ライブラリーで読んで知ったのですが、地球に接近する小惑星が地球にインパクトするかどうかは、100年前には予想できる、ということだそうです。さきの小惑星にしても、ずっと以前から衝突の可能性が検討されていて、50年以上前には「確率95%」という予測が発表されていました。どうしてマオについては、25年前になっても「50%の確率」としかならなかったのですか?

 そうですね。私もその点は疑問に思って、サイエンス担当の先生に聞いてみました。けれど、明確な理由はわからないということでした。
 軌道予測を困難とした理由として、マオが小惑星ではなく恒星間天体だったことがあるのではないか、ということでしたが、たしかなところは現時点ではなんともいえない、ということです。
 とにかく、マオの軌道の予測は一般の小惑星に比べて困難だったことは確かなようです。

 ...よろしいでしょうか。

――わかりました。ありがとうございます。

 いったんここで休憩をとりましょう。

(休憩)

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(つづく)


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