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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第42章 「30、115」

 武漢も朝晩は、ひんやりと感じようになってきた。
 またひとつ「あしたは来月」となる日が訪れ、ヒカリが「生き延びた」期間は、まる3ヶ月となった。
 9月30日月曜日、恒例の武昌支団の幹部会とマオ委員会の後、ダイチはジョンと張子涵に幹部用会議室に来てもらった。
[連邦の調査団が来るんですか?]とジョンが切り出す。
[連邦統治委員会次第ですが、おそらくやって来ることになると思います]とダイチ。
[武漢にも来るのかい?]と張子涵。
[日程次第だけれど、1日くらい武漢の視察にあてるかもしれない]
[ところで、お呼びになられたのはどういう用件でしょう]
[順調にいけば来月中にも協定が成立して、大手を振って準備にとりかかることができるようになります]
[忙しくなるなあ、楊書記]
[そうだ、張子涵。だからいま抱えている通常業務を、グエン副書記はじめ、他のスタッフにやってもらうようにし始めた。ヒカリに言われてね]
[どれだけ人手があっても足りなくなるだろう]とジョン。
[そこで相談なのです。お二人には専任スタッフになって、上海へ長期滞在できるようにしていただきたい。いかがでしょう]
[ヒカリはどうなるんですか?]
[彼女にはネオ・シャンハイのシステムまわりの対応で、上海に張り付いてもらうことになると思います]
[うちの店ですが、コンピュータ系のハイレベルの仕事はかなり減ってきて、電気系も含めて比較的容易な仕事が中心になっています。だから他の工房に回しても問題ないと思います。これから準備を始めれば、客に迷惑かけないで店仕舞いすることは可能です]
[あたしのほうは、要所さえ押さえておけば、商売を回していくことはできる。オフィスがあるから、上海滞在も問題ない]
[ありがとう。ポジションは、周光立が上海の組織について考えているので、それが決まってからということですが、10月末をメドに専任になれるよう、準備を進めて下さい]
[あいよっ!]
[了解です。楊大地]

 翌日、10月1日火曜日。風が吹き青空を雲が流れていく。太陽が雲間から覗いてあたりがぱっと明るくなったと思うと、雲間に隠れ光が遮られる、その繰り返しだった。
 朝食をすますとダイチがヒカリに言う。
「今日は休みだよね」
「ええ」
「午前中で仕事を片づけて戻ってくるから、午後からちょっと出かけないか」
「どこへ行くの?」
「約束していた、『30、115』の場所へ行こうと思う」
 ヒカリが武漢に辿り着くきっかけとなった、祖父マモルの写真の裏に書かれた「30、115」、つまり北緯30度、東経115度の場所に行ってみることを、ふたりは出会った最初の頃に約束していた。
「これからいろんなことが本格的に動き出すだろうから、その前に行っておきたい」
「わかりました」
「あら、今日はお二人でデート?」と出勤準備をしながら高儷が言う。
「よかったらご一緒します?」とヒカリ。
「そうねえ…ご遠慮しておきますわ。お二人にとって特別な場所のようだから」
 上海へ向かうときに使うハイウェイを、ダイチのエアカーで東南東に向け1時間ほど走る。ハイウェイを下りて南西に向かい、少し南下すると市街地の跡がある。黄石(ファンシー)と呼ばれた都市を抜けてさらに10分ほど南下する。ナビゲーションに従い右に曲がり進むと、小高い山が連なった、その山裾から少し登ったあたりの窪地に辿り着いた。
 目的地のようだ。広葉樹の森の中、少し開けたところで車を止める。
辺りを見渡しながら、二人は車から降り立つ。
「あなたが持っていたほうの写真の裏に書かれていた、『31、113』の場所には、たしか斜面に入口のあるシェルターがあった、って言ってたわよね」とヒカリ。
「そうだ。かなり大きい本格的なシェルターだった」
「じゃあ、ここにもあるかもしれない。探してみましょうか」
「そう…いや、やめとこう」とダイチ。
「どうして?」
「ここにいると、風がとても気持ちいい…しばらくこうしていたい」
 森を抜け、木々の葉を揺らして渡る涼しい風が、頬をやさしく撫でて通り過ぎていく。
「…ほんと。気持ちいい」
 梢の合間からときどき降り注ぐ午後の陽光。照りつける真夏の日差しは去り、やさしく包み込む穏やかな光。
「秋になったね」とダイチ。
「うん…こっちにきてから、ひとつ季節が過ぎ去ったわ」とヒカリ。
「こういう場所で木洩れ日を浴びたり、風を感じたりするのも、ネオ・シャンハイに行ったら、もうできなくなるよね」とダイチ。
「うん。VRで体験することはできるけれども。あくまで仮想現実だから」とヒカリ。
「第四次大戦から60年でここまで生態系が戻った。マオの影響で失われてしまうのかな」
「かもしれない。けれど、たぶん長い年月をかけて、また戻るんだろうと思う」
「その頃には、ボクとキミはおじいさんとおばあさんだろうね」
「そうねえ。生きてる間にそんなときがくるかなあ」

「マモルお爺ちゃんは、何を伝えたかったんだろう」と帰途のエアカーの中でヒカリが言う。
「やはりあそこにも、シェルターがあるのかなあ?」
「うん。まあ調べようと思えば、支団の書庫で古い資料を見ればわかると思うけど…そのことはボクたちにとっては、そんなに大事なことではないように思う」
「じゃあ、数字の意味は? 武漢ということを伝えたかったのなら、正確な緯度、経度を書くこともできたはず。たしかにシンプルな数字ではあるけれど、微妙にずらした2つの地点にしたのは、どういう思いだったんだろう」
「マモルお爺ちゃんの家系は、結果的に2つに分かれた。キミの家系とボクの家系。両方に同じ写真を残した。裏に2つの異なる緯度経度を書いて、その地点をつなげた線上に武漢が現れる。2つの家系の子孫が『つながって』武漢で巡り会うことを望んでいたのだろうか」
「偶然ではなく、必然だった、ということかな」
「偶然や必然を超えた、『運命』のようなものを、お爺ちゃんが用意してくれたんだと思う」
「運命、か。わたしが生き残ったのも、そういうことだものね」
「そうだ、マモルお爺ちゃんのお墓に参って行かないか」
「それはいいわ。お願いします」
 ダイチのエアカーは、黄石から武漢への道のちょうど半ばあたりに差しかかっていた。

 連邦統治委員会の定例会は週に1度、木曜日に行われる。委員会メンバーは委員長と各局を担当する13名の委員。連邦暫定統治機構の行政を担う各局は14あるが、監察局は担当委員も局長も存在せず、マザーAIの監察ユニットだけが存在する。
 委員会には14名のメンバーの他、各局の局長、または代行者が陪席する。陪席者は審議には参加できないが、議長たる委員長に認められた場合に、発言することが許される。
 10月3日のUTC9時から開始した委員会では、最初に、総務担当のマリア・ティマコワ委員から提出された、AOR(Aliens Outside the Refuge)である中国人周光立と、ニッポン人ミヤマ・ダイチの連名による、申入書の取り扱いについてが議題となった。
【本件審議について動議があります】
【どうぞ】と委員長のサラーマ・ラムズィは、法務担当委員ミカエル・パウリ・マキネンに続けるよう促す。
【本件審議および採決から、中国人及びニッポン人をルーツに持つ委員を参加させないことを提案します】とフィンランド人のマキネン委員。
 委員のうち、副委員長で人事を担当するヨシノ・イブキがニッポン人、科学技術担当委員のキャシー・リウ他1名が中国人。動議が認められると、この3名が審議および採決から外されることとなる。
【趣旨説明は法務局長のアルプテキンから行わせたく、発言許可を求めます】とマキネン。
【法務局長が発言することを認めます】とエジプト人でコプト教徒のラムズィ委員長。
【えー、本件申入書は、中国人及びニッポン人のAORの連名によるもので、旧中国領のAORコミュニティーの利害に関わるものです。公正な取り扱いのために民族感情を排するべきところから、中国人及びニッポン人の委員は審議および採決から除外されるべきと考えるものであります】と法務局長のエイサ・ユスプ・アルプテキンが発言する。
【反対動議】とキャシー・リウ委員。
【どうぞ】とラムズィ委員長。
【本件審議および採決が、全員で行われることを提案します。我々委員は就任の際、「法と正義および人道に従いその権限を行使する」と宣誓しております。特定の民族感情によってその判断が狂わされるということは、あってはならず、また、そのようなことはありません】
【動議および反対動議に対して、意見のある方はありますか】
【総務担当委員に聞きます。今回の申入れのあったAORコミュニティーには、中国人とニッポン人のみが居住しているのですか】と情報通信担当委員のサミュエル・トマ・ルナール。アーウィンやヒカリの上司筋にあたるフランス人。
【ファン・レイン総務局長による発言を求めます】とロシア人のティマコワ委員。
【総務局長が発言することを認めます】
【詳細な内訳、構成比は承知しておりませんが、今回の申入れ主体のコミュニティーには、中国人、ニッポン人の他に、旧中国の少数民族、インド系、東南アジア系、欧州系などの、様々な民族をルーツに持つものが居住しているとのことです】とオランダ人のマルフリート・ファン・レイン総務局長。
【仮に民族の問題を考慮するにしても、本件は中国人、ニッポン人のみが関わるもの、とは言えないのではないでしょうか】とヨシノ副委員長が発言。
 しばらく間をおいて、ラムズィ委員長が言う。
【他に意見がなければ、動議および反対動議について採決を行います。マキネン委員の動議に賛成する方】
 マキネンのみが挙手をする。
【それではリウ委員の反対動議に賛成する方】
 マキネンと議長たる委員長を除く、全員が挙手する。
 法務局長のアルプテキンは、苦虫を噛みつぶしたような顔。
【採決により、本件申入書の審議および採決は、全委員が参加して行うこととします】
 一呼吸おいて、ラムズィ委員長が続ける。
【本件の審議に先立って、委員長として、当該AORコミュニティーに調査団を派遣し、報告させることを提案します】
【異議なし】【異議ありません】と委員たち。
【調査団の人選および日程は、本件の提出者であるティマコワ委員に一任することとしましょう。よろしいですね】

(つづく)


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