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星座の先のエピローグ ~生き残されし彼女たちの顛末 第6部~ 第100章 星座の先のエピローグ

 年が明けて早々の2298年の1月2日、18歳のボクは、連邦の「地球調査ミッション」にアプライした。履歴書、志望理由の動画、学位証明書、C級航宙士認定書。必要書面等のデータを添付したフォームをウェブ提出する。2月に火星を発つミッションの募集締め切りにギリギリ間に合うタイミングだった。本来なら身体能力測定があるのだが、直近に認定されたC級航宙士資格があるので、免除となった。
 出願倍率は3倍弱。航宙士有資格者が有利と言われていたが、落ち着かない気持ちで発表日を待った。
 1月25日の夕方に、選考結果が届いた。
 20人のミッションメンバーに選ばれた! しかも配属がネオ・トウキョウ。シャンハイのすぐ近くだ。
 さっそくミユキに報告しようとしたら、アカデミーの授業があってまだ帰っていなかった。直接伝えたかったので待つこととした。
 地球に行く方法について教えてくださった、ニシノ・アンナ先生を訪ねてプライマリースクールに行き、選考結果を伝えた。
「すばらしい。目標を見失わずによくがんばりましたね」と先生。
「でもこれは、一つの通過点ですから。これからが本番ですね」
「はい。がんばります」
 それからアーウィンのおじさんとリチャードソン船長にMATESで報告。
 お二人とも「地球に行くには月を経由するから、是非会おう」と言ってくださった。
 それから、ママにMATESで報告しようとしていたところに、ミユキが戻ってきた。
 彼女を夕食に誘って、二人でカフェテリアに行った。食事を載せたトレイを持って、テーブルに隣り合わせに座る。
「ミッションに選ばれた」とボクはPITで通知を見せてミユキに言った。
「やったね。おめでとう」とミユキ。
「出発はいつ?」
「2月25日」
「あと1ヶ月だね」
「そうだね」

 しばらく黙って食べていたミユキが、ポツリと言った。
「そうか…マモルは、ママに会えるようになるんだ」
「うん…ボクはネオ・トウキョウをベースに活動するから、ネオ・シャンハイのママとは別の場所だけど」
「どれくらい離れているの?」
「プレインで2時間くらいらしい」
「じゃあ、その気になったらいつでも会えるね」
 食事がすむと、二人でラウンジに行った。ミユキがグランドビアノのチェアに腰かける。ボクは高音の鍵盤の側に立って、ピアノの縁に腕を置く。
 いろいろな曲の一節を小さな音で、次から次へと弾くミユキ。17歳になっていた彼女は、初めてここでピアノを弾いたときから随分と大きくなった。体格も、そして全身から放つオーラも。ピアノに「しがみついている」という感じだった彼女が、今では完全にピアノと一緒になって共鳴している。
 一通り弾き終わると、ミユキはボクに顔を向けて言った。
「寂しくならないって言ったら、嘘になる」
「ボクだって…」
「ママに会えるようになるマモルが、羨ましい。そしてわたしは、マモルに会えなくなる」
 そう言うと、ミユキはしばらく黙ってからこう言った。
「ピアノに打ち込んだのは、パパとママとの思い出を、悲しい色にしたくなかったから」
「…」
「最近やっと、楽しい色で思い出すことができるようになった。だから、わたしは大丈夫。先生、アカデミーの友だち、応援してくれる人たち、いろんな人たちがいる」
「…ボクは、いろいろな人たちに会えなくなる。ニシノ先生。ハイスクールやアカデミーや養成校の先生。友だち…そして誰よりも…」
 一呼吸おいて続ける。
「ミユキ…」
 そう言ってボクは、ミユキの瞳の奥をじっと見つめた。ミユキもボクの目に真っすぐに視線を向けた。
 しばらく見つめ合うと、少しだけ視線を逸らして、ミユキが言った。
「実はね、わたしがアカデミー中期課程に行って修士号を取ろうと思っているのは、地球に行くことができないか考えているからなの」
「そうなんだ」
「わたしの場合航宙士は無理だから、どのカテゴリであれ、修士号2つが必要だよね。いつになるかわからないけれど、地球でマモルのママに会えればいいな、と思っている」
「わかった。そうすれば、ボクたちもまた会えるようになるね」
 彼女はピアノを弾き始めた。
 ウォーレ・ソワンデのセレナーデ。彼女がコンクールの本選で自由曲として演奏した曲だ。その後のリサイタルでも何度も取り上げている曲。ナイジェリアで活動したこの作曲家がこの曲を書いた時代は、23世紀初頭、人類を破滅に追いやる全面戦争の足音が聞こえる暗い時代。彼も第四次大戦に巻き込まれて、命を落とすことになる。そんな背景を知って聴くこの曲の、どこまでも甘く、麗しい旋律は、何度聴いても切なく、悲しく響いた。

 ボクがミッションで旅立つ25日の5日前の日曜日に、ボクのハイスクールのときからの友だちが、壮行会を企画してくれた。夕方以降のラウンジを貸し切りにしてもらって、カフェテリアからのケータリングとドリンクでひとときを過ごした。
 ニシノ・アンナ先生。ハイスクールで履修科目の調整をしてくださった先生。アカデミーの指導教官。航宙士養成校の教官。ハイスクールの友だち。アカデミーの友だち。火星と月の往復シミュレータ訓練のときのパートナー。かつて「事務長さん」だった副区長さん。ミユキのピアノの先生。ミユキのアカデミーの友だち。演奏家仲間…
そして…ミユキ。
 合わせて60人くらいが集まってくれた。
 ニシノ先生の短いスピーチののち、乾杯。
 なごやかな日曜のゆうべのひととき。ボクは来てくれた人たちの間を回って言葉を交わす。ミユキの友だちが「ミユキの、大好きなお兄ちゃんにお会いできて嬉しいです」と言うと、隣にいたミユキが、はにかむような素振りを見せた。

 一通り全部の人と言葉を交わしたところで、企画してくれた友だちがマイクで話した。
「ご歓談のところですが、ここで、音楽を楽しみたいと思います。ホシノ・ミユキさん。よろしく」
 指名されたミユキが、グランドビアノに向かった。渡されたマイクで簡単に曲紹介。
「2曲ご披露します。1曲目は、マモルのお気に入りのピアノ曲、ベートーベンのピアノソナタ第30番から第一楽章です」
 この曲の中でも、ボクが一番好きなのが第一楽章。特に再現部で第二主題が奏でられる部分だ。何度聴いても体にじわんと感動が走る。
 4分ほどの演奏が終わり、会場から拍手が巻き起こる。いったん立ち上がって礼をすると、ミユキはマイクを渡されて次の曲の紹介をする。
「次は、ポピュラーの曲をお届けしたいと思います。地球でいま大人気のバンドの曲です…うまくできるか、恥ずかしいのですけど、弾き語りに挑戦します。それでは、北斗七星の『星座の先のエピローグ』」…

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さあ 遠くへゆこう
蒼い風にのって
さあ どこまでもゆこう
星空の果てへと

過ぎ去る季節を
ひとり見送り
そして
永遠(とわ)の彼方へ
想い届けて

そう 行き着く果てに
物語は終わり
そう そしてその先に
追憶が始まる

仄かな未来は
夢の隋(まにま)に
そして
瞬く時間(とき)は
星の合間に

光 溢れ出る
星座の先のエピローグ

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 彼女の歌声を本格的に聴くのは、ボクも初めてだった。透明感のあるメッツォ・ソプラノ。決して豊かな声量ではないけれど、抑揚がしっかりとした、情感溢れるパフォーマンスだった。へ長調のこの曲の最高音は1オクターブ上のへ音。音域的には少しきつそうだったけれど、しっかりと発声していた。何度も練習したんだろうと思う。

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ひとり 仰ぎ見る
星座の先のエピローグ

そして
過ぎ去る季節を
そっと見送る
だから
届けておくれ
星の合間に

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 後奏が終わる。残響が消えて、しばらく余韻に浸る。そして少しずつ拍手が鳴り始め、やがて大きな拍手の渦となる。しばらくピアノの前に立って拍手に応えていたミユキ。
 パフォーマンスを終えて、ミユキがボクのところにやってきた。
「とってもよかった。ベートーベン、耳に刻み込んだから」
「ありがとう。弾き語りは?」
「今日の60人は、ホシノ・ミユキの貴重な弾き語りに立ち会えた、栄えある60人だね」
「そんな、とてもご披露できるようなレベルじゃないんだけど」
「北斗七星の本拠地はネオ・シャンハイ。バンドのリーダーと、ママが知り合いらしい」
「じゃあ、地球に行って、ライブ演奏を聴けるといいね」
 壮行会は、2時間経った頃から人が帰り始め、2時間半経った頃にお開きとなった。

 片づけが終わると、ボクとミユキは並んで廊下を通って、自分たちの部屋に向かった。
「こうやって並んで部屋に行くのも、もうあとしばらくだね」とミユキ。
「出発前日には部屋を引き払って、月へ向かうスペースプレインに乗るから」
 ミユキの部屋の前まで行って、ボクたちは向き合った。
「今夜は楽しかった」とボク。
「わたしも」
 ミユキの部屋のところまで一緒に行った。
「それじゃあ、おやすみ」とボク。
「…お願いがあるの」とミユキ。
「なに?」
「『おやすみのキス』をしてくれるかな」
 ボクはしばらく黙った後、こう言った。
「…じゃあ、おでこだね」
 17歳のミユキの身長はコンクールの頃から少し伸びて150センチ。ボクは180センチを超えていた。身長差30センチをカバーするために、ボクは前のめりになって、顔を彼女の顔に近づけた。彼女が目を閉じる。

 彼女のおでこに、ボクの唇が触れた。
 そのまま5つ数えた。

 唇をおでこから離した。
「…おやすみ。マモル」
 そう言うと彼女は自分の部屋の扉を開けて、中に入った。
 ボクは、もうすぐ自分の部屋ではなくなる部屋の扉を開けて、中に入った。

(つづく)

※話中の楽曲(第6部テーマソング)です。



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