星座の先のエピローグ ~生き残されし彼女たちの顛末 第6部~ 第102章 地球、ママ、ネオ・シャンハイの人たち
2299年5月2日。調査ミッションのメンバーを乗せたスペースプレインがネオ・トウキョウのターミナルに着陸した。
ネオ・トウキョウへの登録手続きとMPワクチンの接種が行われる。第四次世界大戦では生物兵器が大量に使われた。閉鎖されたレフュージの空間で、厄介な病原体が起こす疾病の発症と流行を防止する目的で、MPワクチンは、レフュージの開設以来ずっと接種されてきたものだ。効果は10年で、少なくとも10年に1回は接種する必要がある。
手続きを終えると、さっそくママとミユキにMATESで報告。「お疲れさま」の返信。
2日の休養の後、ボクは20ある調査隊のうち、地質調査を中心に活動する第17調査隊に配属された。
配属翌日には、レフュージ外でのフィールドワークに出た。5人の正隊員に同行する見習い隊員として、調査用スーツに身を包んで外に出たボクは、「夢に見た」地球の現実に直面することとなった。
突風と津波で滅茶苦茶になった構築物や船舶などの残骸。その上に降り積もる噴出物。どこまでも広がるその光景の上に、曇った空から降り積もる雪。かつてのトウキョウなら、5月は陽光降り注ぐ春の季節だというのに。
放射線レベルも高い。第4次大戦由来の放射性物質が、マオの衝突の際の突風や津波で掘り起こされるような形で現れ、また、吹き上げられ噴出物とともに降り注いだ。
植物は、枯れ草や低木がところどころ確認される。動物は昆虫らしきものを少し見かけただけだった。
【もう少し温かくなったら、地衣類やコケも加わって、緑が増える。そうすれば昆虫や小型の脊椎動物が現れるよ】と、先輩隊員が教えてくれた。
1ヶ月ほど見習い隊員として過ごしたのち、ボクは、第17調査隊の准隊員兼専任ミニプレイン操縦士として、正式に辞令を受けた。
その日の調査地点によって、徒歩、エアカー、ミニプレインのいずれかが移動手段となる。ミニプレインのときはボクが操縦し、調査地点まで隊員を運ぶ。作業自体も少しずつ教えてもらい、7月1日付で准隊員から正隊員に昇格した。
ボクが調査隊の正隊員になったその日、火星ではミユキがアカデミー中期課程に進級した。前期課程のときと同様、ピアニストとしての活動により特待生待遇で、音楽の単位は半数以上が免除された。前期課程と同じく、修士号2つを2年で取得する計画だった。
そして彼女は同じタイミングで、重大な発表をした。
2299年11月をもって演奏活動を休止する。理由は学業に専念するため。彼女がコンクール1位となって、まる4年のタイミングでの休止となる。
7月1日付でリリースされたこの発表は、音楽界のみならず、火星全体の大ニュースとして伝わった。取材の依頼が例によって殺到。今回も先生が単独記者会見をアレンジした。
会見の冒頭に彼女はこう言った。
「わたしは、火星でトップクラスのピアニストから卒業します。そして、宇宙でトップクラスの音楽教師を目指します」
この一言で多くの記者が納得したらしい。その後いくつか質疑応答があって、記者会見は1時間もしないうちに終わったという。
11月の最終コンサートは、コンテスト会場となった思い出のホールで開催されることになった。それまでは、今までと同じペースでリサイタルを行う。「1382居住区の住民限定」の土曜日のミニリサイタルも続けたけれど、ラウンジの入口を限定して、住民かどうかのチェックを行うようになったという。
10月に入ってすぐ、ママから「10月中旬にネオ・トウキョウに出張する」という連絡があった。レフュージのシスターAIの定期メンテナンスへの立ち会いと、システム運用についての打ち合わせ。10月11日から17日の1週間滞在の予定で、15日の日曜日は終日休みとのこと。
ママは、シャンハイ・レフュージを統括する自治組織の「自経団」本部のシステム部長の職にある。同時に、国際連邦情報通信局の特命GMの肩書を持っていて、シャンハイ周辺のレフュージのシステムのサポートも行っている。
ボクは調査隊長に、15日は終日休みとしたいと申し出て、許可をもらった。
10月15日朝9時。ボクはママが滞在しているゲストルームの扉をノックした。
「マモル?」
「うん」
ロックを解除してママが言う。
「どうぞ」
部屋に入ると、ママが座っていたチェアから立ち上がり、そしてボクたちはハグした。
10秒くらいしただろうか。どちらからともなく腕を外して間近に向き合った。
「本当に大きくなったわね。パパよりずっと背が高い」とママ。
「ママは、変わらないね」
「そんな。十分オバチャンになったわよ」
ママに勧められて向かいのチェアに腰かけると、ボクは改めてママを見た。
確かに顔が少し丸みを帯びて、目じりや額に微かに皺が見える。重要な職責をこなしていることからくる、貫禄のようなものも漂っている。
それでもスリムな体型は昔のまま。たぶん、12年前ボクとさよならしたときに着ていた服だって、今でも無理なく着れるだろう。
そう考えながら、ママが着ているワンピースを眺めていると、ママが言った。
「これはね、私のもう一人のいとこのサユリさんが着ていたものなの」
「サユリさんって、病気で亡くなった」
「そう。ダイチの一つ下の妹で、私がウーハンに辿り着く1年前に亡くなった」
そう言うと、ダイチおじさんと何人かで写っている写真を見せてくれた。
「この人がサユリさん。ね。私にそっくりでしょう?」
「本当だ。入れ替わっても気づかないくらい似ている」
「社交的でよく笑う人だったらしいから、性格は正反対だけどね」
「ところでマモルは、朝ご飯は食べたの?」
「軽く」
「じゃあ、お腹に余裕はあるわね。これを一緒に食べましょう」
そう言ってママは、テーブルに置いてあった箱を開いた。
茶色で文様が入ったような丸いお菓子が12個。
「月餅っていう中国の昔からあるお菓子。あなたに会うって言ったら、張子涵(チャン・ズーハン)が持たせてくれたの」
「ありがとう。いただきます」
一つ取って包みを開ける。甘い、いい香りが広がる。ひとくち口にする。
美味しい。夢中になって2つ目を食べていると、喉がつかえた。ママが、部屋のドリンクサーバーから温めのニッポン茶を持って来てくれた。一気に飲み干す。
「あわててなくても、時間はあるし、月餅もいっぱいあるし」
「このお菓子は、張子涵さんが作ってるものなの?」とボク。
「うん。彼女も手広くやっているからね。本来は『運ぶ』のが彼女の仕事なんだけれど、みんなレフュージに固まっちゃったから。運ぶ『もの』は無くならなくても、運ぶ『距離』が無くなったっていうわけ」
「なるほどね」
「それでも『距離』を稼ぐ事業にも手を広げているのよ。ミニプレイン1機の運行権を落札して、避難のときに連邦から派遣されていた航宙士を招いて、シャンハイの周辺のレフュージとか、遠くは連邦の総支部があるムンバイにまで物や人を運んでいるらしい」
「やり手なんだね」
「そうね。それに少しおめかしすれば、美人でスタイル抜群のレディになるのよ」
「ダイチおじさんとハイスクールの同期だった人は、どうしてるの?」
「周光立(チョウ・グゥアンリー)ね。彼は今でも総書記。シャンハイ・レフュージの自経団全体のトップで、2291年に公選制になってから3期連続で当選している。任期3年で再選は3期までだから、来年には退任するけれど」
「奥さんは?」
「陳春鈴(チェン・チュンリン)も元気よ。少女っぽさはそのままに、総書記夫人としての風格が出て来たから面白いわ」
「陰陽博士のヤストモさんは元気?」
「老いてますます盛んなり、ってところかな。最近なんと、ウェブ占いを始めたの。アプリ開発には、ママもプライベートで駆り出されたわ」
「離れ離れになった『国際結婚』の人たちは?」
「ミシェル・イーがシャンハイに戻ることができないまま2年経ったとき、張皓軒(チャン・ハオシェン)が連邦本部職員にアプライして、選考に受かって月に赴任。二人は月で一緒に暮らせるようになったの」
(つづく)