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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第37章 チーム・アーウィン+1(プラスワン)

 ミシェル・イーは、本名を于杏(イー・シン)という。香港系の中国人女性で、国際連邦統治委員会総務局で、レフュージ統括部のリーダーを務める。高儷と同い年の32歳。
 彼女は、元は法務局に所属していたのだが、3年前に就任したウイグル人の法務局長と反りが合わず、2年前に転属を願い出て総務局所属となった。レフュージ統括部自体は、いまは業務がほとんどなく、総務局長がいろいろな案件で遊軍的に対応にあたらせている。
 丸顔にクリクリっとした目。胸元に垂らしたセミロングの黒髪。柔らかく丸みを帯びた体つき。法務局長を議論で負かす切れ者には見えない、柔和な雰囲気を全身に漂わせている。

 9月23日月曜日。武昌支団幹部会の後、マオ委員会を開催。先週金曜の臨時委員会に参加できなかったメンバーのため、ダイチが内容をかいつまんで説明する。
 住民の動向について、副総区長の郭偉が発言する。
[ネオ・シャンハイへ避難する、という話が広まっています。MATESで見ているようで]
[たしかに上海の取りまとめの頃から、そういう情報が上海のアカウントで書き込まれ、拡散されているようです]とカオル。
[住民に対して私たちからどのように話をするべきか、そろそろ正式に決めていただくべき頃合いかもしれません」と総区長の何志玲。
[わかりました]とダイチ。
[とはいうものの、現状ではまだ確定情報としてお話ししていただける段階ではありません。ですので「武漢の全員が安全に「星」をやり過ごせる方策について、近々発表があるので、いましばらく待つように」ということではいかがでしょう]
[現時点ではそこまでがぎりぎり、というところですね。わかりました。私と郭副総区長で手分けして、武昌の区長たちに伝えます]
[よろしくお願いします。漢陽、漢口、重慶、成都も同様にお願いします]とダイチ。

[よろしいですか?]とPITで参加の上海の周光立が切り出す。
[本日午前中に上海総書記会があり、連邦との交渉の上海側の代表者に私が選任されました。つきましては他地域の交渉代表者を決めていただきたいのですが]
[これまでの経緯も考えれば、楊大地の他にはいないと思うが]と漢陽書記の孫強。
[武漢、重慶、成都のみなさん、3地域の交渉代表者として、楊大地武漢副書記を選任するということでよろしいですかな]と委員長の楊清立。
[異議なし][異議ありません][異議なし]…
 ということで、ダイチが連邦との交渉代表者を周光立と務めることが決まった。
[シカリと高儷には、引き続き「交渉補助者」としてサポートして欲しい]と周光立。
 こちらも異議なし。
[今後の進め方としては、どのようになるのかな]と楊清立。
「連邦側の協力者である元上司たちと、上海で水曜の夕方にビデオ会議を行い、手順を決めます。そのため水曜から土曜まで楊大地、高儷とわたしで出張する予定です」とヒカリ。
[水曜の会議の後は、どうするのかな]
「周光立と高儷には、協力者と連絡を取りながら交渉準備を行って頂くことになります」
 陳春鈴が、羨ましそうに高儷の顔を見たのを、張子涵は見逃さない。
[きみと楊大地は、どうするのだね?]
「交渉の成り行きを考えて、『プランB』の準備をしようと思います。詳細はいずれお話ししますので、今はご勘弁願います」
[了解した。くれぐれも無理をしないよう、気をつけなさい]
「わかりました。お気遣いありがとうございます」
 委員長の楊清立が他に発言の無いことを確認し、閉会を宣する。

「なんでその『プランB』のために、ネオ・ティエンジンへ行かなければならないんだい?」
 前日の夕食後、自宅のリビングでソファに腰かけたダイチが、向かい側のヒカリに問いかけた。今日の夕食後の片づけはヒカリの当番だが、頼んで高儷にやってもらっている。
 二人の前に置かれたコーヒーのカップ。持ち上げて一口啜るとヒカリが言う。
「ネオ・ティエンジンのシスターAIに仕掛けをする。詳しいことは道中でお話しするわ」
「『道中で』というのは、ボクが同行するってことだよね。どうして?」
「あら、『わたしと一緒は、いや』ということ?」
「そうじゃなくて、ボクが行かなければならない理由を聞きたい」
「ことの重大さを考えると、責任ある立場の人に立ち会ってもらうべき、と考えたの」
「そのことはわかった。けれどボクは、上海への長期滞在が続いて、ただでさえ仕事がたまっている。時間的余裕が無いんだ」
 事実、ここのところダイチの帰宅はたいてい深夜になっている。この日にしてもヒカリから「話があるから早く帰って」と言われなければ、何時になっていたかわからない。
「だからこそ、なのよ。あなたは自由な時間を作れるようにしなければならないわ」
 ヒカリが少し前に身を乗り出して言う。
「これからマオ対策が本格的になるでしょう。そうなるとダイチ、あなたは周光立と一緒に、プロジェクト全体を引っ張っていく立場になるのよ」
「たしかに、そうだ」
「だとしたら、いま抱えている業務を思い切って他の人に任せないと、回らなくなるわ。あなたの身も持たないでしょうし」
「うん」
「たとえば副書記になったグエンさん。わたしの見る限り、まだまだキャパあると思う。それにカオルだっているし」
「カオルには、今まで以上にマオ対策のほうに関わってもらうつもりだが」
「ならばなおさらのこと、あなたの分とカオルの分を、他の人に割り振っていかなくちゃ」
「わかった。キミの言うことは、たしかにその通りだ。さっそく明日にも、グエンさんとカオルに話をする」
 コーヒーカップを口に運ぶダイチ。さらに続ける。
「ところで、ティエンジンへはどうやって行くつもり?」
「エアカーって、1回の充電での航続距離は、1000キロくらい?」
「ああ、そんなもんだ。武漢と上海の片道1回で充電が必要になる」
「エアカーではやはり無理。だから、マリンビークルで行こうと思う。わたしがネオ・トウキョウから乗ってきたアルトっていうビークルが、ネオ・シャンハイにいるわ」
「たしか高儷を送ってきた」
「そう、その子よ。今日ざっと計算してみたら、ティエンジンまで片道20時間。だから木曜の午前中に上海を発って、向こうでいろいろやってもたぶん土曜の朝には戻れると思う。それにマリンビークルだと、レフュージ内に入るのが他の方法よりも簡単だし」
「わかった。キミのプランに任せるよ」
「そういえばあなたは、海は初めてよね。波間を進む船旅も、いい気分転換になるかもね」

 9月25日の水曜日、上海第18支団オフィスの小会議室で、ヒカリのPITのモニター映像がエア・ディスプレイに大きく映し出された。アーウィンの呼びかけに応じて、ヒカリたちにインパクト予想地点の情報をもたらした、「チーム・アーウィン」とでもいうべき、連邦統治委員会情報通信局と科学技術局の局長をはじめとする6人。
 さらに1人、アジア系の女性が加わっている。それが総務局レフュージ統括部リーダーのミシェル・イー。アーウィンが総務局長に今日の会合への参加を持ちかけたところ、「自分は立場上出るわけにいかないから」と言って、部下である彼女を代わりにアサインした。

【アーウィン部長、いまどちらにいらっしゃるのですか?】とヒカリ。
【ああ、君たちに伝えたインパクト地点の予測情報を解析するために、トンチャイ・シリラックとフアン・マリーア・マルティネスが格闘したときに使った、年代物のサーバーが置かれている保管スペースにいる。いろいろと考えたが、ここが一番覚られにくそうだ】
 情報通信局情報支援部員のトンチャイ・シリラックはタイ人。科学技術局観測予報部員フアン・マリーア・マルティネスはウルグアイ人。ともに20代の男性だ。
【ミヤマ・ヒカリさんですね。本当に生きていらしたのね】とジャミーラ・ハーン。パキスタン人の50代の女性で情報通信局長である彼女とは、会議で顔を合わせたことがある。
【お久し振りです、ハーン局長。この通り、たしかに生きています】
【あなたと、そして高儷さん。ご家族を喪っていらっしゃるのですよね…ごめんなさい、思い出させてしまったかしら。でも、私たちもみな、親族や友人を喪っているのですよ】
【お心遣い、ありがとうございます】と高儷。
 双方合わせて11人が自己紹介をし、本格的な議論に入った。
【いただいた書面で、要望事項のおおまかなところは把握できました】と穏やかなメッツォアルトの声でミシェル・イー。
【一つは、マオのインパクトの直接的影響と環境変化に対応するため、シャンハイ・レフュージに避難し、連邦市民の地位を得て国際連邦の保護を受けられるようにしたい。もう一つは、現在の自治組織と通貨システムについてそのまま持ち込みたい、ということですね】
[そうです。それが上海自経総団、武漢、重慶、成都各自経団が、一致して連邦に要望する事項です]と周光立。
【マオの災厄から逃れる場として、ネオ・シャンハイを提供することについては、人道的な見地から異論は少ないでしょう。もっともマザーAIがどう判断するかは別ですが】
【マザーAIとどう対決するかは、しっかりと策を練らなければならない問題だね】と科学技術局長のヌワンコ・オビンナ。ナイジェリア人の50代の男性。
【上海を初めとする4地域の住民に連邦市民としての地位を与えつつ、同時に独自の自治組織と通貨システムを維持することが可能かについて、既存の法令の枠組みの中で2つのアプローチを検討してみました】とミシェル・イー。

(つづく)


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