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星座の先のエピローグ ~生き残されし彼女たちの顛末 第6部~ 第95章 チビっ子

 初めて出会った時点で、もうすぐ7歳になろうかとするミユキの身長は、やっと110センチ。8歳になったばかりのボクより25センチ低くて、ニッポン人7歳女子の平均身長よりも10センチ低かった。
 そんなミユキのことを、ボクは時々「チビっ子」と呼んだ。あるときはふざけて、あるときはさりげなく。
 ボクが「チビっ子」と呼ぶと、ミユキは怒る。怒った表情を作るのが苦手な彼女は、その薄い唇をとんがらせて、精一杯怒りの意思表示をする。
 でも本当は、ボクは敬意を込めて「チビっ子」と呼んでいるのだ。
 ピアノに取り組んで長時間猛練習をする彼女。そのダイナミックで力強い演奏。彼女の小さな体の、どこからこれだけのエネルギーが出て来るのか? ボクは驚嘆している。

 ボクとミユキは、航行中の午後を音楽室で過ごした。もちろんミユキはピアノの練習。ボクはといえば、床に寝そべって自習用教材に目を通す。巡回教員の先生が呆れるほど、ボクは音楽室に入り浸っていた。ミユキのピアノを聴きながら勉強する。今から振り返っても、至福の時だったと思う。

 2288年5月31日に、ボクたちの乗った船は、火星への着陸フェーズに入った。月上空を出発してからほぼ9ヶ月が経っていた。
 火星への宇宙船の着陸は、地球より大気圧が遥かに低く重力も低い環境で、減速を行う必要がある。そのための画期的な技術が開発されてから、着陸の難度が大幅に低くなった。とはいえ、今回の火星移住プロジェクトでも、これまでに起こった宇宙船の事故のうち9割は火星への着陸の際のもの。乗客乗員が犠牲になった事故も、3件だが起こっていた。
 5月31日の15時。ボクたちの船の全乗客は、個室を出て客席区画に集まり着席することになっていた。集合時間ギリギリに現れたのは、小柄な少女、ホシノ・ミユキだった。
「音楽室でピアノ練習してた」とミユキ。
「ギリギリだね」とボク。
「だって、このあとわたしの部屋にピアノが入るまで、弾くことができなくなるから」
 ボクたちは隣同士の座席に座って、火星への着陸フェーズを過ごした。減速Gは感じたしエンジンや機器の音は聞こえたけれど、その他はたまに揺れを感じるくらい。ボクもミユキも、最初は緊張して臨んでいたけれど、だんだんとほぐれていった。それでも言いつけを守って、トイレ以外は席を立たずにいた。

 ボクたちの船、すなわち「自力航行型居住モジュール」は、いったん火星上空で停船した。他のモジュールの到着を待ち、居住区として設置する準備ができてから着地した。正六角形のモジュールが8つと、真ん中に火星で準備されていた同じ形のコアの、合わせて9つが引っ付いて、一つの居住区として火星の大地に据え付けられた。
 こうしてボクたちは、火星に3つある居住区群のうち、メラス居住区群の第1382居住区の一員となった。
 ミユキのためのピアノは、居住区のコアに準備されていた。着陸してから2日後、ミユキの部屋に運び込まれた本格的なグランドビアノ。もともと荷物の少ない部屋だったが、勉強用のデスクとベッド以外のほとんどのスペースを占めてしまった。それでもミユキは全然平気だった。大事なピアノのためなら、狭いのも苦にならないのだろう。もっとも「チビっ子」には、さほど広いスペースは必要ないのかもしれない。

 7月1日から、学校が始まった。地球を出発する前に飛び級でプライマリースクールの3年次になっていたボクは、航行中の自習の習熟テストの結果、無事4年次に進級した。1年次だったミユキも2年次に進級した。そして二人は、ボクたちの「船」だった第3モジュールの、プライマリースクールの生徒になった。
 学校は、集合学習は週3日。終日が2日、午前のみが1日。その他の2日半の分は、教育アプリでの自習だった。
 ミユキは朝早くに起きて、集合学習のない日は午前中のうちにその日の勉強を済ませ、午後はずっとピアノの練習をしていた。
 土曜と日曜、彼女はメラス居住区のアカデミーの1つに片道1時間かけて通って、ピアノのレッスンを受けた。
 二人とも違う学年で学校に通うようになり、そのうえ、ミユキにはピアノのレッスンがあった。ボクたちの部屋は完全防音になっているので、隣の部屋といえども彼女がピアノを弾く音は聞こえてこなかった。
 音楽室で、彼女のピアノの音を聞きながら毎日二人で過ごした時間は、遠くになった。ボクは、ボク一人の時間を勉強に、そしてトレーニングに打ち込んだ。
 心穏やかな日々が続いた。地球のママとは3ヶ月に1回ビデオ通話をし、普段はMATESで連絡を取り合った。ミユキとは、できる限り一緒に食事をとるようにした。

 2289年の5月の半ば、おそらくママとは最後になるのであろうビデオ通話の日がきた。この日はミユキに頼んで、一緒に通話に入ってもらった。
 30分の持ち時間が終わってママの画像が消えた後、その場に立ち立ち竦んだボクは、スタッフの人に促されて、ミユキと一緒にビデオ通話室を出た。
「来月の…30日なんだよね」とミユキ。
「うん」
「…ピアノのビデオなんだけど、ママのリクエストの曲を、わたしが演奏するのはどうかしら。よほど難しい曲でなければ、弾いたことなくても2週間練習すれば、大丈夫だから」
「わかった。ママに聞いてみる。ミユキ、ありがとう」
 ボクはさっそくママにMATESを送って、リクエストを教えてくれるように頼んだ。
 二日経って、ママからリクエストが来た。「ショパンのバラード第1番ト短調」だった。
「何度か弾いたことがある」と、ママのリクエストを聞いたミユキが言った。
「練習して完成度を上げるね」
 その言葉通り、彼女はショパンのその曲を練習した。アカデミーでのレッスンのときにも、特別にお願いして指導を受けたという。
 6月13日の夜に、居住区の副区長さんになっていた「事務長さん」にお願いして、特別に30分だけラウンジを貸し切りにしてもらった。三脚も借りた。ボクによる曲紹介に続けて、グランドビアノでのミユキの演奏、そして二人でのメッセージを、三脚に乗せたボクのPITで録画した。二人で動画チェック。OK。
 翌6月14日はママの28歳の誕生日。朝一番に「お誕生日プレゼント」という名目で、ショパンのミュージックビデオを送った。昼食をとっているときにママから返信がきた。「ありがとう。宝物にします。ミユキちゃんによろしく」。
 同じ日に、ボクとミユキの飛び級が決まって、7月から、ボクはプライマリースクールの6年次に、ミユキは4年次になるという連絡がきた。

 6月29日、ママの「その日」の前の日に、6年次アドバンスド・クラスの生徒への特別授業があった。20世紀からの戦争と、平和を守ろうとした人類の歴史、そしてマオのインパクトと人類の対応についての授業だった。7月からボクたちの担任になるニシノ・アンナ先生によるその授業は、地球からやってきた生徒にとっては、つらい内容を含んでいた。みんなが涙を流すときもあった。それでも最後には、授業を受けて本当によかったと思った。
 公開されていた授業の動画を見たのだろう。ママからボクを気遣うMATESが、6月30日の朝一番に届いていた。
「ママ。ボクは大丈夫です。心配しないでね」とだけ書いたMATESを返した。

 お昼過ぎにママから返信がきた。
「安心しました。ママはもう寝ますね。おやすみなさい」

 ママの「その時」、トウキョウ時間6月30日の24時。眠った状態で電磁波を受けて最期の時を迎えるという。時差9時間。日曜の15時をボクは部屋で、一人で過ごした。
 レッスンから帰ってきたミユキ。夕食を食べると、ボクをラウンジに連れて行った。
 ショパンのト短調のバラードを、ボクのために弾いてくれた。情感溢れる演奏だった。
 ボクの右の頬に、一筋だけ、涙が伝った。

(つづく)


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