生き残されし彼女たちの顛末 第0部(前日譚) 2)おはよう、アカネ
オフィスが見えてきた。
東第2区、「ネオ・カスミガセキ」と呼ばれるエリアの一角に建つ10階建てのビル。その7階のパーキングの入口手前で、エアカーが一時停止し、向きを変える。
車体認識完了。パーキングのゲートが開く。吸い込まれるようにエアカーが中に入る。
100台は駐車できるスペースに、止めてある車はほんの数台。閑散としたパーキングの指定の場所まで進んで、エアカーは停止する。
オフィスへの入口をクリアし、廊下を20メートルほど歩くと、透明アクリル板で仕切られた自分の部屋の前に立つ。ロックが解除され、ドアを開けて中に入る。デスクにバッグを置き、椅子に座る。
ディスプレイが起動する。わたしが使っているのは、古風な据え置きタイプのディスプレイ。ミドルスクールのときからエア・ディスプレイはどうも苦手だ。
「出勤時刻8時23分」とシスターAIの声。国際連邦本部の「マザーAI」に対して支部AIは「シスターAI」と呼ばれている。
「ヒカリ、おはよう」
「おはよう、アカネ」
アカネは、シスターAIのわたし専用のボイスインターフェースにつけた名前。いつも通りの朝のあいさつ。
「未読のMATESはテキスト3件、ボイス4件 ビデオ1件です」
「了解」
「いつも通りモニタリング画面を見ますか?」
「そうね、表示してちょうだい」
表示されるモニタリング画面を次々と見る。それが終わるとMATESをチェック。いまのところ対応すべき案件がないことを確認する。
いくつかのメッセージに返信すると、さて、火星の授業記録の続き。
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(火星授業記録その3)
まず初めに、みなさんの出身地を教えてください。
ネオ・トウキョウの人、手を挙げてください...15人ですね。
ネオ・ティエンジンの人...5人ですね。
ネオ・シャンハイ...3人。
火星生まれの人は...1人。
それでは、あとひとりですね。出身地はどちらですか?
――ネオ・バンコクです。
そうすると、クラスの25人のうち24人が地球出身ということですね。
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わたしは、ネオ・トウキョウで2261年に生まれた。
父のミヤマ・マサヒロと母のミヤマ・カヨコは、まだ開設から数年しかたっていないネオ・トウキョウで生まれた。
父方の祖父母は、さきの大戦より前にニッポンのヒョウゴというところで生まれた。かつてコウベという美しい港町のあったところだ。
母方の祖父母は、ニッポンのカナガワ。かつてヨコハマというこれも美しい港町のあったところだ。
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(火星授業記録その4)
こうやって確認したのは、みなさんを区別したり差をつけたりしようというわけではありません。地球の様々なところからきた人たちやその子孫がいっしょに暮らしているこの火星に、みなさんも加わったのだ、ということを言いたいからです。
人類が火星に最初に降り立ったのはいつでしょうか。これはもう習いましたよね。
Aさん、どうぞ。
――えーと、2035年です。
では、最初の有人基地ができたのは?
――2081年ですか?
そうですね。それでは、最初の恒久居住区を作ったのはいつでしたか?
――2127年です。
そうです、2127年です。さすが、しっかり勉強してられますね。
恒久居住区とは「恒に人が住む場所」という意味ですが、具体的には、探査だけの目的でなく、火星への移住、つまり火星に生活の本拠地を移す人たちが住む場所ということです。そうやって火星の上に地球人類がいつも住んでいる、という状態になってから、ほぼ160年経ったことになります。
あとでお話しする第三次世界大戦がなければ、有人基地も恒久居住区ももっと早くにできていたかもしれない、と言われています。
恒久居住区の最初の設置から97年の間、途切れることなく火星への移住が続きました。2175年からは大規模な開拓団が編成されて、地球の各地からさらに多くの人々が火星に移住するようになりました。
2127年から97年の間に、あわせてどれくらいの人類が地球から火星に移住したでしょうか?
Bさん、わかりますか?
――あわせて、たしか100万人くらいだったと思います。
そうです、約100万人です。
移住した人たちの多くは、火星の主な産業である鉱物資源の採掘と宇宙船の建造を行う仕事と、それらの人たちが必要とする食料や生活物資を生産する仕事に就きました。地球のいろいろな場所からきた人たちが、力を合わせて、火星での人類の拠点を立ち上げ、拡げてきたのです。
転機が訪れたのは2225年、地球で第四次世界大戦が始まったときです。破滅的な戦闘の結果、翌年までのあいだに、地球上はほとんど人が住めない状態になってしまいました。
火星への開拓団の移住も止まりました。
月に本部を移していた国際連邦が、大戦のあと地球上に生き残った人たちのため各地に設置した居住施設が「レフュージ」です。みなさんのうち24人は、ネオ・トウキョウなど地球各地のレフュージで生まれ、国際連邦規則に従って火星に移住してきたのですね。
これらについては、あとで詳しくお話しします。
ちなみに私は、火星で生まれ、育ちました。開拓団で来た祖父母の孫です。
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わたしが夫のオガワ・カゲヒコと出会ったのは、アカデミーに同級生で入学したときのこと。2つ飛び級したわたしは16歳、1つ飛び級したカゲヒコは17歳だった。
週末ごとに東27区のネオ・アキバに通っては、買ってきたコンピューターキットを組み立てたりソフトを動かすことが趣味の、ちょっと変わった少女時代を送ったわたしには、どこか飄々としてつかみどころのないカゲヒコがお似合いだったのかもしれない。
ふたりはほどなくおなじ部屋で暮らすようになり、わたしが18になると同時に婚姻手続きをし、アカデミー前期課程を修了すると、ほどなくマモルが産まれた。
そのときカゲヒコは19歳。法学士と社会学士の学位を得た彼は、行政官としてトウキョウ・レフュージ統治府に任用された。
前期課程で情報科学士と電気工学士の学位を得たわたしは、2年間マモルの育児をしながらアカデミー中期課程を修了し、情報科学修士の学位を得た後、技術官として統治府に入った。
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(つづく)