生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第50章 ヒカリ、再起動する
上海等4つの地域のAORコミュニティーに関する調査報告書は、10月15日火曜日の夕刻に、調査団団長であるオビンナ科学技術局長から委員会に提出、受理された。
報告書の作成作業は、調査団が12日土曜日の上海時間10時半(UTC2時半)にネオ・シャンハイを発ち、大気圏を離脱した直後からMP1027号の機内で始まった。収録された12時間を超える上海と武漢の映像を、二手に分かれた2日目の分を中心に5人の調査団メンバーで見て、睡眠をとった後、分担を決め報告書の草案を作り始めた。自経団の歴史と制度に関する事項をオビンナ団長とマルティネス、自経団の運用と住民意識に関する事項をアーウィン副団長とシリラック、上海真元銀行に関する事項をミシェル・イーが担当した。草案作成作業は、14日月曜日のUTC8時に月に到着する直前まで続いた。
到着後、集約された草案を調査団の5人、および情報通信局長のジャミーラ・ハーンと科学技術局観測予報部長のゼレンスカヤの7人で査読し、翌15日火曜日、7人が集まり、修正を加えて報告書として完成した。
12日の午後に長江新報で配信された記事は、当然ながら大きな反響となった。一般のMATESユーザーの反応は、思ったよりも好意的なものが多かった。自経団からの正式のリリースを求めるものも多数あったが、このタイミングでのリリースは見送った。
区長・区長助理クラスからの問い合わせも多数入った。「住民に対してどう説明すればよいか」というものがほとんどだった。「連邦に申入れをし、交渉を行っていることは事実。すべての住民の安全のために 考えられる最良の策である。首尾よくゆけば今月中には協定が締結される見通し。締結後、速やかに内容の説明を行い、助理会決議に諮ることとなる」という内容で住民に説明するよう、周光立、ダイチたちから依頼した。
---------------------------------------------
[決定的だな]
[ああ、決定的だ]
[本当にいいのか? 周副総書記]
第35支団オフィス内の第7自経団書記の執務室。食品卸業者でAF党党首でもある袁毅志と周光武の密談。
[切り札に関する情報が入った。おれのシナリオに、まさにぴったりのものだ]
[彼らにこのままやらせておいても、大丈夫なんだな?]
[やりたいだけやってもらったところで、切り札を切る。タイミングはまだ先だ]
---------------------------------------------
10月17日木曜日の連邦統治委員会定例会で、15日に提出された調査報告書が審議された。AORからの申入書を却下する理由は無いことが確認され、聴聞会とマザーAIへの諮問を実施することとなった。総務担当委員のマリア・ティマコワから、結論を出すまでの時間を短縮するため、(1)聴聞会は次回定例会のタイミングで行い、調査団メンバーおよびその上長あわせて7名、およびAOR代表者を出席させるため、VRミーティングとすること、(2)AIへの諮問を聴聞会と同時に行うこと、が提案され、賛成多数で決定した。
翌週木曜日に、連邦統治委員会による聴聞会とマザーAIへの諮問が同時に行われることになり、周光立、ダイチ、ヒカリ、高儷が招致されていることが、アーウィンから報告書の内容とともに伝えられた。彼らの参加場所はネオ・シャンハイのVRミーティングルーム。接続のテストと当日についての打ち合わせのため、前日23日の上海時間17時からVRミーティングを行うこととなった。
21日月曜日のマオ委員会。24日に連邦の聴聞会が行われることが報告された。
[いよいよ大詰めだね]と楊清立委員長。
[ところで、そろそろ実行部隊の体制について考えなければなりませんが、武漢、重慶、成都は委員会組織を継続されるということでしょうか]と、PIT参加の周光立が発言。
[私はそう考えていますが、みなさんはいかがでしょう]とダイチ。
[比較的小さな所帯ですので、キーパーソンが兼務する現在の形で進めてみるのがよいと思います]と重慶副書記の韓一諾。
[上海はどうするのかな]と楊清立が周光立に聞く。
[上海は、規模から考えると専任組織を立ち上げる必要があると考えます。ネオ・シャンハイの準備を進めるためにも、専門的な知識・技能をもったスタッフを揃える必要があります]
[その部分は、他3地域も上海に頼ることになるのでしょうね]とグエン副書記。
[つきましては、シカリ、高儷には、上海に常駐していただきたい。ネオ・シャンハイ再起動と調整のキーパーソンたる、知識と技能をお持ちですから]
[その点にはみなさん異論はないとは思いますが、よろしいでしょうか]と楊清立。
[異議なし]の声。
[ヒカリと高儷もよろしいですね]とダイチ。
[はい。構いません]と高儷。
「最初から、そのつもりでいましたから」とヒカリ。
[それから、ジョン・スミスと張子涵、あなたたちも上海スタッフに加わっていただくこととしたい]とダイチ。
[もうすぐ準備が整います]とジョン・スミス。
[あたしはいつでもOKだよ]と張子涵。
[みなさん異論はないですね]と楊清立。
[異議なし]の声。
[ありがとうございます。心強い限りです]と周光立。
翌22日の午後、ダイチ、ヒカリと高儷は武昌から上海へ移動し、周光立の自宅に一泊。
23日水曜日の上海は曇り空。周光立を加えた4人で午前中に軽く打ち合わせをし、昼食後、埠頭へ向かった。双子の警務隊員と落ち合い、13時の待ち合わせの時間にやってきたアルトに乗り込む。1時間ほどでネオ・シャンハイのマリンビークル基地に到着する。
[ああ、懐かしいわ。ここからアルトに乗って、それで私は救われた]としみじみと高儷。
「周光立は、ネオ・シャンハイは初めてでしたっけ」とヒカリ。
[調査団の出迎えにエアターミナルには行ったけれど、建物の中は初めてだ]と周光立。
[私も、ここから非常用食料の貯蔵庫まで往復しただけ。ティエンジンで避難フロアの中まで入ったけれど、レフュージの中に本格的に入るのは初めてだ]とダイチ。
「高儷にとっては、故郷になるのよね」
[そう、マイ・ホームタウン。ここからは私がご案内しますわ]
高儷が双子の姉の潘雪梅と並んで先頭で進んでいく。例によって最後尾は妹の潘雪蘭。
地下第6層からイマージェンシー・キーでエレベーターを起動させて地上に上がる。乗り捨ててある大型のエアカーに6人で乗り込む。高儷の運転で20分ほど進んで、シャンハイ・レフュージ統治府本部オフィスビルに着く。先ほどと同じ隊列で建物に入り、5階のメインオペレーションルームに着くと、時刻は15時になっていた。入口のドア横のパネルにイマージェンシー・キーを送信するとドアが開き、次々と天井のライトが着く。
警務隊員をドアのところに残し、4人で室内に入る。シスターAIのメインコントロール端末のパネルに、ヒカリがイマージェンシー・キーを送信する。しばらくスリープ状態だったからだろう。コントロール・ユニットの起動には数分かかった。端末のモニターをタップして、ヒカリがシスターAIのステータスを改めて確認する。
「OK。VRミーティングルームも含めて、すべて正常に機能しています」
廊下に出ると、6人は高儷の案内で、目的地のVRミーティングルームへと向かう。
途中一つのオフィスのドアのところで高儷が一瞬立ち止まる。
[私が勤務していたオフィスです。ここも懐かしいなあ]
さらに奥へと進む。メインオペレーションルームを出てから10分ほど経っただろうか、大きな両開きのドアの前に来た。右横のパネルにイマージェンシー・キー送信すると、ドアが自動で開く。ライトがつき、長方形の広い空間が開ける。500平方メートルくらいはあるだろうか。天井、四方の壁、床、ことごとくライトグリーン。6人が足を踏み入れる。
ヒカリと高儷以外の4人にとっては、初めて入るVRミーティングルーム。周囲がグリーン一色の空間に、いささか戸惑った様子だ。
入口横のパネルをヒカリが操作する。しばらくすると、彼らの前に3人の人物が現れた。ヨーロッパ系の男性。アジア系の女性。アフリカ系の男性。彼らは口々に「ハロー」と言う。
身構える4人。双子の警務隊員は反射的に腰のレーザー銃に手が行く。
「ご心配なく。テスト用のVRキャラクターです。ちゃんと作動しているようね」と言うと、ヒカリはパネルを操作する。3人のキャラクターが消える。
アーウィンたちとのVRミーティングは17時から。1時間半ほど時間がある。
[私のオフィスに行って、待ちましょう]と高儷。
シャンハイ・レフュージ統治府民生第1支部第2セクションリーダーだった高儷のデスクは、先ほど通り過ぎたドアを入った、民生第1支部のオフィスの中にある。100平方メートルほどの広々としたスペース。右手に透明アクリル板で仕切られた上級幹部の個室が並び、40席ほどのデスクとその間に配置されたミーティング用のラウンドテーブル。
[ここが私の席です]と言って、ほぼ中央のデスクの椅子に腰かけると、5人にその前のラウンドテーブルを勧める。警務隊の2人がドアのところに行こうとするのを呼び止める。
[マシンが生きていたらコーヒーを淹れますけれど、あなた方もいかが?]
[では、交替でいただきます]と言って潘雪梅がドアのところへ。残って同席する潘雪蘭。
パントリーに行った高儷が、コーヒーの入ったポットとペーパーカップを6つ持って戻ってきた。5つのカップにコーヒーを注ぎ、4人の前に置くと残り一つを自分の前に置く。
[最終日、6月30日がちょうどこんな感じだった。出勤している人がほとんどいなくて]
「高儷はリモートワークじゃなかったの?」とヒカリ。
[ええ。どうも家で仕事するのは苦手でね。ヒカリは?]
「わたしも同じ。ほとんど出勤してました」
[ざっと5年にわたって、このオフィスで、だんだん人がいなくなっていくのを見続けていた。ほんのわずか火星に行く人がいて、大多数はケアされる人]
「わたしも最初の2年は同じ。最後の3年は自室に挨拶にくる人を見送り、人が一人、また一人と少なくなっていくオフィスを目にしたわ」
思い出話は尽きない。40分ほどして潘雪蘭が立ち上がりドアのほうへ向かう。しばらくして潘雪梅が戻ってくる。高儷がカップにコーヒーを注いで彼女の前に置く。
16時半を回った。6人はオフィスを後にし、再びVRミーティングルームへと向かう。
17時5分前、ヒカリはPITで月のアーウィンを呼び出し、OKであることを確認する。入口横のパネルを操作するとグリーンの周囲がダークグレーに変わり、少し遅れて4人の人物が現れる。アーウィン、ミシェル・イー、マルティネス、それからシリラックだ。
[その節は、ありがとうございました]と周光立が、アーウィンに握手を求めに近づいた。
【君たちにとって我々は立体VR画像だから、さすがに握手は無理だね。お気持ちだけいただいておくよ】とアーウィン。
[そうでした。あまりにリアルなものだから]と周光立。
【そこにいるのは、上海でお世話になった警務隊の方だね。今日は一人かい?】
[いえ。もう一人はドアのところで警備にあたっています]と潘雪梅。
【明日の聴聞会には、4人みんなが出席するということで間違いないね】とアーウィン。
[はい。全員出席予定です]と周光立。
【全員に何らかの質問がいくと思うが、特段身構えることはない。今まで我々に話してきてくれたことを踏まえて、答えてくれれば問題ない】
[マザーAIについては大丈夫ですか]
【手ごわいことには変わりないが、戻ってから、シリラックやマルティネスにも協力してもらって、情報収集と解析を行った。対決するのに十分な材料は集まっている。しかし…】
[なにかあるのですか?]
【高儷、ヒカリ。成り行き次第だが、君たちにとって残酷なことに、触れなければならなくなるかもしれない。あらかじめ理解しておいてもらいたい。いいだろうか】
【アーウィン部長が必要、とされることでしたら、どんなことでも構いません】と高儷。
【わたしも同じです。お任せします】とヒカリ。
【ありがとう。ではそうさせてもらうよ】
【上海真元銀行については、委員からの質問はないと思います。あるとすればマザーAIですが…】とミシェル・イー。
【それについて、高儷とヒカリにもう一つ、私から説明しておかねばならないことがある】
【なんでしょうか】と高儷。
【実は、周光立とミヤマ・ダイチの連名で、私宛の交渉委任状をもらっている】
[武昌に来られたときに、私から渡していたんだ]とダイチ。
【では、明日は、アーウィン部長は…】
【そう、冒頭で委任状を提示して、その後は4地域の代表者の代理人の立場で参加する。マザーAIの対応は私が一手に引き受けるので、安心して欲しい】
[どうぞよろしくお願いします]と周光立。
【心強いですわ】と高儷。
ミーティングは30分ほどで終わった。口々に「ではまた明日」と言うと、ヒカリがパネルを操作し、4人の姿が消え周囲はグリーンに戻った。6人は来た時と逆のルートで18時半頃に待機しているアルトのところに戻り、1時間ほど揺られて上海側の埠頭に着いた。
パラパラと雨が降り始めた。
(つづく)