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生き残されし彼女たちの顛末 第0部(前日譚) 9)二つの大戦

(火星授業記録その16)

 それでは再開します。

 これから先、20世紀以降の戦争と、戦争をなくそうとした取り組みの歴史についてみていきます。
具体的な国の名前はできる限りわからないような形でお話ししていきたいと思います。
 この授業の記録は、地球のいろいろな国にルーツをもつ人たちが見ることになります。それらの国の中には、かつて起こった戦争で中心的な役割を果たした結果、多くの命が失われる原因を作ってしまった国もあります。具体的な国の名前を挙げることによって、不必要な偏見を与えてしまうことが無いようにするためです。

 よろしいでしょうか。

 さて、いわゆる「世界大戦」の最初のものは20世紀のはじめ、1914年に起こりました。ヨーロッパの広い部分が戦場になり、アジアの西端に位置する中近東にも戦線は広がりました。アフリカ、アジアなどでも戦闘が行われました。
 戦争が始まる引き金となったのは、民族独立組織のメンバーが起こした暗殺事件でしたが、戦争の背景としては、ヨーロッパをはじめとする世界における経済的利益の対立がありました。
 これがのちに「第一次世界大戦」とよばれる戦争で1918年まで続きました。

 ~ディスプレイ表示内容~
  第一次世界大戦(1914~1918年)
  死者1600万人

 犠牲者の数は、世界中で死者が1600万人、負傷者が2000万人以上と考えられています。この中には民間人、つまり軍隊に属して戦っている人以外の一般人の犠牲者も何百万の単位で含まれています。人口の10%以上が亡くなった国もありました。それまでの戦争とは桁違いの犠牲者の数でした。

 科学技術の発展で武器が高度になり、殺傷能力、つまり人を殺し、傷つける能力が高くなったことにより、軍人・民間人問わず大量に犠牲者が出ることとなったこの大戦を省みて、二度と戦争の惨禍を起こさせないようにする国際的な話し合いが始まりました。
 そうして1920年に生まれたのが国際連盟です。
 国際連盟規約で参加国は、紛争の解決にあたって戦争に訴えない、という原則にしたがうことが定められ、国際連盟が国際平和機構として、国と国との間の紛争の平和的な手段による解決の場となることが期待されました。

 しかし、残念ながら平和は長く続きませんでした。国際連盟は、発足時点で当時の大国が加わらなかったばかりか、十分な機能、つまりはたらきをすることができないまま、重要な参加国が次々と脱けることとなりました。
 1930年代に入り、東アジアで、そしてヨーロッパで、民族意識などにあおられつつ、その内実は経済的利益の対立による紛争状態がおこり、それに続く形で1939年にヨーロッパで世界大戦が始まり、1941年には東南アジア・太平洋地域での戦闘がはじまった結果、東アジアでの戦いも世界大戦に含まれることになりました。
「第二次世界大戦」と呼ばれる戦いで、南北アメリカ大陸を除くほぼ世界すべての大陸が、戦争の舞台となりました。

 ~ディスプレイ表示内容~
  第二次世界大戦(1939~1945年)
  死者6000万~8000万人

 1945年の終戦までの犠牲者は、民間人も含めて死者が6000万とも8000万とも言われています。「ホロコースト」と呼ばれる特定の民族に対する大虐殺による犠牲者もいました。
 そして、何よりもその後の世界に影響を与えたのは、1945年に核兵器が開発され、初めて使用されたことです。
 その破壊力もさることながら、爆発の際に発生する放射能の影響とそれによる健康被害が長く残ることも大きな問題でした。

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 ユダヤ人虐殺、といえば...

「カテゴリA」は「アウシュビッツ」の「A」
「カテゴリB」は「ビルケナウ」の「B」

「市民投票」の前にこんなMATESが公開され、「炎上」した。

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(火星授業記録その17)

 第一次世界大戦後に発足した国際連盟が、世界大戦がふたたび始まることを防げなかった反省から、のちに第二次世界大戦の戦勝国となる国が中心になって、より強力な国際平和機構を作るということで準備し、1945年に国際連合が発足しました。
 国際連合、略して「国連」における平和を維持するための重要な機関が、安全保障理事会です。紛争の解決のために、国連として軍隊を組織して派遣することも含めて、大きな権限を持っていました。これから先は略して「安保理」といいます。
 安保理は、戦争の発生を防ぎ、戦争の災禍から人々を守るという点では必ずしも十分な役割を果たしていたとはいえませんでした。
 その大きな要因として、安保理の構成と権限の問題がありました。
 安保理を構成する15ヶ国のうち第二次世界大戦で勝利した側の主要国5ヶ国には、「常任理事国」という地位と「拒否権」という権限が与えられ、他の14ヶ国が賛成した議案であっても、常任理事国のうち1国でも反対すれば、その議案は成立せず、実行することができないのです。
 先に20世紀の後半は「冷戦」の時代であったことをお話ししましたが、常任理事国の内部は、冷戦で対立する双方の側にわかれていました。冷戦が終わる1989年までの間は、冷戦の影響を受ける形で安保理は十分に機能しませんでした。それでは冷戦後はどうかというと、大国間が対立する形は残り、機能は不十分なままとなりました。

 この時代を通じて、核兵器の数がものすごい勢いで増加しました。最初は1ヶ国、しばらくして2ヶ国となった核保有国、つまり核兵器を持っている国の数は、冷戦の時代に6ヶ国に増え、その後さらに増えて9ヶ国となりました。
 核軍縮、つまり核兵器を減らしたり、最終的には地球上から核兵器を無くす核廃絶を目指そうという取り組みが、核兵器を保有する大国間の話し合いや、国際連合での決議などで行われました。そのような取り組みは、核兵器の削減や核実験の禁止などの成果につながったものもありましたが、全体としては核兵器を無くす方向へは向かいませんでした。
「相手からの核兵器による攻撃を防ぐもっともよい方法が、自分たちが核兵器を持って、相手から攻撃されたらすかさずこちらからも核兵器による攻撃を行えるようにすることだ」という、「核抑止論」とよばれる考え方が、核兵器の削減、廃絶への動きの妨げとなったのです。

 第二次世界大戦の直後から各地で戦争や紛争が起こり、世界規模の大戦には至らず、また核兵器も実際の戦いで使用されることはなかったものの、世界から戦いの銃声が止むときはほぼありませんでした。

(つづく)


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