星座の先のエピローグ ~生き残されし彼女たちの顛末 第6部~ 第96章 大陸の街とインパクト
突然のことだった。
アーウィンのおじさんからの、そのメッセージがきたのは、8月の12日。
「どうか、気を落ち着けて読んで欲しい」というフレーズで始まるMATES。
「君のママ、ミヤマ・ヒカリさんは生きている」
「えっ!? 悪い冗談だったらやめて欲しい」と思いながら、続きを読んだ。
「君のママは今、ネオ・トウキョウから海を挟んだ中国の、内陸の街に住んでいる」
ママのケアが失敗したこと。ネオ・トウキョウを脱出して大陸に向かったこと。レフュージ外の住民の住む中国の海沿いの大きな街を経て、内陸の街に辿り着き、いとこの男性に巡り会ったこと…
これだけ具体的に書いてあると、信じないわけにはいかなかった。
メッセージの締め括りはこうだった。
「君の気持が落ち着いたら、ママからメッセージを送りたいと言っている。OKになったら、いったん私に連絡をして欲しい」
ママが生きていて嬉しいとか、よかったとかいう感情よりも、「信じられない」という気持ちに支配された。一晩寝て、記憶の中のママの姿、そして声を思い起こした。大陸の街で暮らしているところを想像した。もう一晩寝て起きたとき、ママが生きていることの幸福感が込み上げてきた。
ミユキはどう思うだろうか…少し落ち着くと、そのことが気になった。
朝食の席で、おそるおそる隣のミユキに、このことを伝えた。
「そう」とだけ言うと、ミユキは無表情になった。
そのまま何も言わすにそれぞれの部屋へ戻った。
やはり…と思っていたところに、ミユキがMATESを送ってきた。
「複雑な気持ち。でも、よかった。マモルのママが生きていて、本当によかった」
ボクは、アーウィンのおじさんにMATESを送った。
「ママに伝えてください。メッセージ待ってますと」
しばらくして、ママからメッセージが届いた。
「元気ですか? ママはいま中国のウーハンというところにいます。元気です」
その日は自習だったので、ミユキに付き合ってもらってママへのメッセージを送った。
「ボクたちも元気だよ!」
PITを斜めにしてミユキと二人で写した写真を送った。
しばらくすると、ママを中心に三人で写った写真とメッセージが届いた。
「ママもこちらで仲良しができました。そのうちの二人。女の人はママのお料理の先生のガオ・リーさん。男の人はママのいとこのダイチさんです」
ママたちは深刻な問題を抱えていた。1年しないうちにマオのインパクトが訪れる。ママとダイチおじさんと仲間たちが住んでいる街の人口は、4ヶ所合わせて46万人ほど。
海沿いの一番大きな街であるシャンハイの対岸にあるレフュージ、ネオ・シャンハイへ避難することでインパクトをかわせないか、とママたちは考えた。ママはアーウィンのおじさんにお願いして、マオのインパクト予想地点からネオ・シャンハイは相当離れていて、避難場所として使える、という情報を得た。
ママとダイチおじさんは仲間を増やしていき、月の国際連邦と交渉して、ネオ・シャンハイへ避難することを可能にした。システムのエキスパートであるアーウィンのおじさんは、立ちはだかる連邦のAIを、議論で打ち負かしたという。
システムの責任者の一人になっていたママは、年末に、大変な事件に巻き込まれた。国際連邦の支援を受けることに反対するグループに身柄を拘束されて、連邦の助け無しに避難できるようにすることへの協力を、銃を突きつけられて強要されたという。幸い一晩で解放されたけれど、ショックでしばらくママは静養することになった。
実際のレフュージへの避難は2290年2月半ばから始まった。奥地の街からスペースプレインで運んだり、長江という大きな川を船で運んだりして、46万の人の移動を4ヶ月かけてやりきった。
恒星間天体マオは、2290年6月13日のUTC22時10分、上海時間の翌14日6時10分にインパクトした。現地時間でちょうどママの29歳の誕生日だった。
悲しい話。ダイチおじさんが、インパクトによる突風に巻き込まれて亡くなった。取り残された仲間の一人を救おうとして、身代わりになったという。
ネオ・シャンハイでのマオのインパクトによる直接の犠牲者は、ダイチおじさん一人。ママのいとこだから、ボクにとっても親族。悲しかった。
「ダイチが亡くなって、ママと血の繋がりのある人は、こちらでは一人もいなくなってしまいました。でも大丈夫。仲間がいっぱいいます。そして火星には、マモル、あなたがいます」
ボクが「地球に行きたい」と思うようになったのは、この頃からだった。
また7月が来て、ボクはミドルスクールの1年次に、ミユキはプライマリースクールの5年次に進級した。7月29日の誕生日でボクは11歳に、そしてミユキは9月9日の誕生日で10歳になった。
ミドルスクールの教室とプライマリースクールの教室はすぐ近くにある。6年次の担任だったニシノ・アンナ先生に、ボクは、ことあるごとに相談に行った。先生はいつも親身になって相談にのってくださった。
新学年になってすぐのある日、ボクはニシノ先生のところに行った。
「マモルくん。元気そうですね。今日は何のご相談?」
「…ご存知ですか。ボクのママはマオのインパクトをやり過ごして、地球で生きています」
「話はお聞きしてますよ。お元気でいらっしゃいますか」
「はい。ありがとございます」
「ひょっとして用件は…地球に行きたいので方法を教えて欲しい、ということかしら」
「その通りです」
「そうですね。インパクト後の地球をどうするかについて、国際連邦で議論が始まっていると聞いています。まだ決まったわけではないですが、火星から地球へ行くためには、一つは航宙士になること。それから連邦職員になること。そして地球の調査ミッションのメンバーになること、という選択肢があるのではないかと思います」
「そのためには何をすればいいですか?」
「まず何よりも体力づくり、でしょう。航宙士にせよミッションメンバーにせよ、頑強な体であることが要求されます。それから勉強。特にミッションメンバーということになると、調査に役立つ分野についてアカデミーで学んで、学位を取ることが条件になると思います。情報が入ったら、お教えしますね。」
「わかりました」
「焦らず着実に実力をつけておくのが、結果的に近道になると思いますよ」
ボクは今まで以上にトレーニングと勉強に取り組んだ。その甲斐があって、1年後の2291年7月、ボクは飛び級でミドルスクールの3年次になった。
ミユキはプライマリースクールの6年次に進級し、ほどなく11歳になった。ピアノの先生からの勧めで、聴衆を前にした演奏に取り組むことになった。毎週土曜日20時頃から、ラウンジのグランドピアノでミニリサイタルを始めた。毎回40分程度で、2、3曲を演奏した。小柄で11歳には見えない少女の演奏は評判になり、1ヶ月後にはラウンジがほぼ一杯になるくらいの聴衆が集まるようになった。隣接する居住区から聴きに来る人たちもいたという。
ボクは毎回彼女の演奏をPITで録画して、ネオ・シャンハイのママに送った。
(つづく)