生き残されし彼女たちの顛末 第2部 第20章 お爺様のこと
そのあと周光立、ダイチ、ヒカリの順で自己紹介をした。
[お爺様の不思議な縁で、いまこうしてヒカリさんとダイチさんが一緒にいるのね]と感慨深げに高儷が言う。
[上海の自経団の話は昨日しましたが、そもそも「自経団」という形の自治組織を最初に作った立役者の一人が、彼らのお爺さんである楊守なんですよ]と周光立が高儷に言う。
[優秀な血筋なんですね。ヒカリさんは、そのお年でネオ・トウキョウの上級幹部だったし、ダイチさんも武漢の幹部だし]と高儷。
「ありがとうございます。自分ではそんなとは思ってませんけど…」とヒカリ。
[ときどき自分には「荷が重い」と思うことがあります」とダイチ。
[二人ともニッポン人だな。「謙遜の美徳」ってやつかい。おれは違うぜ。爺さんがだれだろうと、おれは実力で今のポジションにいる」と周光立。かなり酔っ払ってきているようだ。
[そう言えばお爺様にはご無沙汰しているが、お元気かい?]とダイチ。
[89にしちゃ元気なんだろうけれど、相当ガタはきているみたいだ]
「89歳! どういう方か、お聞きしてもいいでしょうか?」とヒカリ。
周光立が、祖父について話し始める。名は周光来(チョウ・グゥアンライ)。実業家の家柄で、地下組織ともつながりがあったとのこと。中国を中心に、朝鮮半島、東南アジア、北西アジア、そして日本を含めた広範囲を統治した「中華連邦」の解体が始まった頃から、資産を貴金属・宝石に交換し、第四次大戦の兆しが表れるとすぐ、地下深くに疎開させた。大戦後、それらの財宝の信用をもとに通貨の発行に乗り出し「上海真元銀行」を創立した。
[武漢も重慶も成都も、「上海真元銀行」の発行した通貨を使っている]とダイチ。
周光立がさらに続ける。ネオ・シャンハイが住民の受け入れを始めたとき、周光来にも話がきた。しかし大戦を防げなかった連邦に対して懐疑的であったうえに、自らが発行する通貨の流通が認められない、ということからネオ・シャンハイに加わることを拒否した。その当時、連邦が用意していた上海の仮設居住区には約80万人がいたが、そのうち約40万人が周光来と行動をともにし、ネオ・シャンハイに加わらない道を選んだ。
ネオ・シャンハイの門が閉じられてから「遅れて」やってきた約10万人と合わせて、人口50万の都市が、確立された統治組織のない状態に置かれた。苦心惨憺の日々を過ごしていた周光来。連邦から調査隊が来たときに、「条件次第ではネオ・シャンハイに合流してもいい」と告げたものの、調査隊は打ち切りになり引き上げてしまった。さらに苦労を重ねていたところ、武漢の武昌地区の自治組織のことが耳に入ってきた。短期間のうちにうまく機能するようになり、武漢全体がその自治組織「自経団」によってまとめられたという。
周光来は武昌に赴き、ニッポン人でかつての調査隊の一員であった楊守と、その義理の兄である楊清道に話を聞き、上海に自経団を立ち上げるための協力を要請した。楊守と楊清道は快く応じ、上海を10地区に分けて運営する自経団と、とりまとめる自経総団が立ち上がり、住民自治をベースとして統治する仕組みが、徐々にではあるが上海でも機能し始めた。
[じゃあ、周お爺様がずっと上海の自経団を率いてこられたの?]と高儷。
[最初に2年ほど総書記をやったけれど、すぐに他の者に任せて、自分は上海真元銀行とその他の事業のほうに専念した。行政という世界には肌が合わなかったんだと思う]と周光立。
[とはいえ、今でも上海の最高の実力者であることには間違いない]とダイチ。
[そう。マオのインパクトのことについても、どこかの段階で爺さんに出馬願わなければならんことになるだろう]と周光立。
[今回は無理だが、近いうちに私とヒカリで説明に上がりたいと思う]とダイチ。
[高儷にも立ち会ってもらうといい。ネオ・トウキョウとネオ・シャンハイの生き残りが揃うと、リアリティーが増す]
しばらく他愛もない話が続いたあと周光立が切り出した。
[高儷にはさっき話したんだが、彼女にはいったんダイチたちと一緒に武昌へ行ってもらうのがいいと思う]
[上海にいると、やはりまずいか?]とダイチ。
[不穏な動きをする勢力が、かなり大きくなっている。彼女の存在が知れると面倒なことになるだろう。現時点では、最も落ち着いている武昌に行ってもらうのが安全だと思う]
[わかった。高儷はそれでいいですか?]と高儷に聞くダイチ。
[みなさんが一番いいと仰る方法に従います。ヒカリさんもいらっしゃるので安心です]
16時に始まった会食は3時間経過し、用意された食事もビールも、ほぼ尽きた。高中時代の思い出話に花を咲かせ始めていた周光立とダイチは、酔いにまかせて夜の上海の街へ繰り出そうと話をしていた。
(いつものダイチと全然違う)と思うヒカリ。
[申し訳ないが、ここからは高中の同窓会。お二人にはお留守番をお願いしたい]と周光立。
[ヒカリが寝る部屋だけ教えてやってくれ]とダイチ。
[左から2つめのベッドルームであります!]
[じゃあ、あとはよろしく]
二人は出かけていった。
しばらくお茶を飲んで酔いを醒ます高儷とヒカリ。
「ああ、おいしいお料理だった。全部ケータリングかしら」とヒカリ。
[ほとんどケータリングだけれど、一皿、私が作りました]と高儷。
聞くと、一番手の込んだ角煮風の代用肉の煮付けだそうだ。野菜も彩りよく盛ってあった。
「お料理ができるんですね。レフュージ暮らしにしては。ほんと珍しい」
[趣味でね。よほど忙しかったり疲れていたとき以外は、クッキングマシーンは使ったことないんです]
「高儷。わたしにぜひ、お料理を教えて下さい!」
[はいはい、結構ですよ。それではまず、今日の食器の後片づけから]と微笑む高儷。
「了解しました!」
ビールのせいか、いつになく陽気なヒカリ。高儷と二人で食器やコップをキッチンへ運ぶ。
何時まで飲んだくれていたのかわからないが、周光立とダイチは翌朝7時には起きてきた。先に起きた高儷とヒカリがキッチンで朝食の準備。コーヒーの香りがただよう。
「あれ? ヒカリ、料理をするの?」とダイチ。
「修業を始めたところです」とヒカリ。
並んでキッチンに立つ高儷とヒカリ。背丈は同じくらいで細身のシルエットも一緒。高儷のほうが、腕が細く少し長く伸びているようだ。その腕を横から見ながらヒカリは(このひとがディスプレイを操作している姿、とても綺麗だろうな)と想像した。
ほどなく卵メインの洋風の朝食ができ上がった。ダイチとヒカリの皿の目玉焼きは、黄身がつぶれている。
[こちらが、ヒカリが作った分、ということだな]とダイチ。
[初めてにしては、殻が混ざっていないだけ上出来ですよ]と高儷。
朝食を終えると、ヒカリがダイチと周光立に手伝ってもらいながら食器の後片づけをし、高儷は荷物のうちここ数日に広げたものをバッグにしまって、武昌への出発準備をした。
上海第4自経団のオフィスに出勤する周光立と、武昌へ向かう他3人。みんな準備が整い、9時少し前にドアの外に出た。今日も暑くなりそうだ。
周光立とダイチが固く握手し、軽くハグをして再会を誓うと、みなそれぞれに挨拶をして、周光立は自分のエアカーに、他の3人はダイチのエアカーに乗り込んだ。周光立のエアカーが先に動き出し、軽くクラクションを鳴らして発進する。遅れてダイチのエアカーが動き出す。運転席にダイチ、助手席にヒカリ、後部座席に大きな荷物と並んで高儷が座った。
しばらくすると高儷は、後部座席で荷物にもたれ掛かって寝息を立て始めた。起こさないように小さな声で、ダイチがヒカリに話しかける。
「武昌での高儷の住まいのことだが、ボクの家にきてもらうことにしようと思う。ついてはヒカリ。キミもこの際、ボクの家に移ってはどうかな?」
「でも、ジョンのところで仕事があるから。いつもダイチに送ってもらうわけにもいかないし、歩くとなるとちょっと遠い」
「小さなクルマをヒカリ用に用意しようと思うが、どうだろう。足の問題はそれで解決する。食事の問題は高儷にお願いできるし、サユリの服とかもキミに使ってもらえるし」
「わかりました。けれど、ひと月近くお世話になったジョンにちゃんとお話をして、OKだったらそうします」
途中で通り雨に遭い、武昌に着く頃には一段と蒸し暑くなっていた。ダイチはエアカーをジョンの店の前に止めた。高儷をジョンに紹介し、ヒカリの住まいのことについて話した。
[親戚同士が一緒に住むのは、ごく自然なことだ]と言ったうえで、ジョンは、
【「善は急げ」だ。今晩から楊書記のところに移るといい】とヒカリに言う。
【え、そんな急な…】とヒカリ。
【大して荷物も無いだろう】といささか突き放すように、ジョンが言う。
【わかりました】と言うと、ヒカリは自分の部屋へ荷造りに行った。
ヒカリが準備をしている間、ジョンと高儷が話をする。
[ヒカリのおかげで、コンピュータ系の注文がとんでもなく増えたんですよ]とジョン。
[ヒカリさんは、優秀なエンジニアでいらっしゃるのですね]と高儷。
[そうそう、たまにはみんなで飯でも食いにきて下さい、私の手料理でよければ]
[お料理をなさるのですね。私も料理はすきです]
そうこうしているうちにヒカリの準備ができた。ジョンに挨拶する。
【昼間はこれまで通りなので、これっきりってわけじゃないけれど、ほんとにいろいろとお世話になりました】
【こちらこそ。お前さんが来てから、楽しませてもらったぜ。これからもよろしくな】
[ヒカリのクルマの手配ができるまでは、私が送り迎えします]とダイチ。
ダイチのエアカーに3人が再び乗り込み、ジョンの店を後にする。
(つづく)