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生き残されし彼女たちの顛末 第5部 第91章 インパクト

 そして日付が変わって、ついにインパクト当日の6月14日土曜日。

 午前4時頃に、船内に衝撃が伝わり、徐々に船速が落ちてきた。
 船室で横になって仮眠をとっていたダイチと張子涵が起き上がり、ブリッジから降りてきた船長と合流して機関室へ向かった。
[推進ユニットのうち1つが稼働しなくなったようです]とカヤマ機関長。
[音がいまいち変だったやつですか?]と張子涵。
[はい。そうです]
[南通は?]とダイチ。
[ついさっき通過しました]と呉船長。
[このまま行くとシャンハイへの到着予定時刻は?]
[14時頃でしょうか]
[とにかく19時までにレフュージの中に逃げ込めば勝ちだ。このまま行こう]と張子涵。
[よしわかった。それではこのままお願いします]とダイチ。
[了解しました」と呉船長。
 ダイチが周光立にPITで連絡を入れた。「無事を祈る」との返信。

 そのまま眠れなくなったダイチは、一人で小雨模様のデッキにいた。
 PITの着信音が鳴った。ヒカリからだった。
「もしもし」
「もしもし、ダイチ? 起きてた?」
「ああ。どうした?」
「いや、本当にギリギリになって大丈夫かな、と思って」
「たしかにギリギリだけれど。どうにか間に合いそうだ」
「よかった。それでね…」
「うん。なんだい」
「カオルはどうしてるかな、と思って」
「無理が祟ったのかもしれない。すっかり元気がなくなって、ずっと眠っている」
「そうか…わたし、彼に謝らなければならないことがあって…」
「なんなら彼を起こそうか?」
「そうね…いや、やめとく。こちらにきて、落ち着いてから面と向かって言うわ」
「わかった…やっと、どうにかここまで来た。もうすぐボクらがそちらに着いて…このプロジェクトがいったん完了する」
「そうね。ダイチは本当にがんばったわ」
「やはり第一の功労者はキミだよ。キミがいなければ、すべてこういうふうにはいかなかった」
「わたしなんか」
「ボクはそんなキミのことを誇りに思う。キミもボクのことをそう思ってくれるかい?」
「ええ、もちろん」
「ありがとう。そうだ、会ってから言おうと思ってたけど、もう少し時間がかかるから今のうちに言っとくね。ハッピーバース…」
 ここまで話したところで、PITの通話が切れた。

 船の進行方向右側の雲の向こうを、赤味を帯びた大きな物体が斜めに落ちていくのが見えた。数秒後、長江河口の先に広がる水平線が赤く輝いたように見えた。

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 恒星間天体マオは、2990年6月13日木曜日22時10分(UTC)、上海時間の翌14日6時10分、南太平洋上の南緯21度13分、西経103度15分の地点に降下、インパクトした。
 直径100kmの球体が、衝突角度45度、秒速20kmで衝突したことによって、中心から半径約1000kmは火球の中に覆われ、半径約4000km、実に地表面の10分に1にあたるエリアが直後に炎に包まれた。
 天体が大気中を移動したときに生じる衝撃波は、突風と爆音の形をとって地球各地を襲う。衝突地点から15000km以上離れた上海にも、衝突から約13時間後に、秒速95mに相当する突風と、耳栓をしなければ痛みを感じるような爆音が襲うことになる。
 インパクト地点は水深4000mの海洋上で、海面が直径660kmにわたってクレーター状に抉られたようになり、押しのけられた海水が大きな津波となって太平洋を、そして一部はインド洋へと伝わった。太平洋を渡った津波は南北アメリカからアジア、オセアニアの広範な地域に伝わり、上海には衝突から約21時間後に85mから最大170mもの高さの津波となって襲うことになる。
 海底は直径約400km、深さ140kmのクレーターに抉り取られ、その衝撃がマグニチュード12の地震となって地球の隅々まで伝わった。
 大気で熱せられた天体は、衝突の際のエネルギーを得てさらに熱せられ、周囲を巻き込んで一瞬ドロドロに溶かされた後、急速に冷やされる過程で、数キロにも及ぶ巨大な塊から塵状のものまでさまざまな大きさになり、周囲の抉りとられて粉砕された岩石とともに爆発的な力で噴出された。あるものは高熱の火砕物の形で、またあるものはより温度の低い岩石の形で。半径500km圏内では厚さが平均2kmもの噴出物となって降り注ぎ、半径1000km圏内では平均250mの、そして半径5000km圏内でも厚さが平均2mの噴出物となって襲った。
 熱せられた状態で降り注いだ噴出物は、降下地点で火災を巻き起こし、最初の衝突の際に炎に包まれたエリアを遥かに凌ぐエリアにわたって、森林が、草原が焼き尽くされることになった。
 より小さな岩石となったものがさらに遠くに運ばれ、上海にも到達した。さらに小さな粒子や塵状のものは上空高くに巻き上がられ、長期間地球全体を覆うこととなる。
 抉られた海底のクレーターの縁が崩れ落ち、当初直径400km、深さ140kmあったクレーターが、直径910km、深さ2kmと平べったくなった。最初に発生した津波の後に、クレーターの周囲から流れ込む海水がぶつかって第2波の津波となり、海底の岩石の崩落によってさらに津波が起こり、第3波、第4波となって伝わっていった。

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~カオル(李薫)の独白~
 星がぶつかる時間だ。
 13時間後に突風が吹く…

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 連邦スタッフの撤収と同時に、ネオ・シャンハイの本部機能は、地下7層の避難エリアの中にあるメインオペレーションルームと隣接するオフィスに移転していた。レフュージを完全に水没させる津波の対策として、地下各層ごとに水密機構を作動させ、武昌からの撤収組の収容のために必要な部分以外は、すべて完了していた。
 14日6時10分を少し過ぎたところで、インパクトに関する情報が月のマオ対策支援グループGM補のハーニャ・ゼレンスカヤ科学技術局観測予報部長からもたらされた。最終の予測とほぼ同じ地点。シャンハイへの影響も予測と同じとのこと。
 突風の襲来まで13時間。インパクトに関する状況を周光立からダイチに伝えると、皆は武上号の無事の到着を、祈るようにして待っていた。

 朝7時からダイチは、呉船長、カヤマ機関長を初めとする武上号の乗組員にブリーフィングを行った後、武昌後衛部隊の全メンバーの前でスピーチを行った。ほぼ予測通りインパクトが起こったこと。12時間後には、上海を猛烈な突風が襲うこと。武上号は、現在推進ユニット1つで航行しているが、突風の5時間前にはシャンハイの埠頭に接岸できる予定であること。
 インパクト後もしばらくの間、武上号は「順調に」航行した。ほどなく噴出物が降ってきたが、大きくても小石程度だったので、船体や機関などにダメージはなかった。
 朝方のダイチのスピーチで、船内には楽観的な空気が流れていた。

 朝9時、月のハーニャ・ゼレンスカヤGM補から、マオの最新の観測結果が送られてきた。月時間では深夜だが、今夜は夜を徹して情報提供してくれるとのこと。予測通り、朝7時に上海で地震の揺れを観測。震度は3。レフュージ地下7層では微かに揺れを感じた程度。突風の到達が18時50分頃、津波の第一波到達予測が、翌15日午前2時30分頃と少し早まった他は、これまでの予測と変わらず。さっそく周光立からダイチへ伝える。

 月のゼレンスカヤGM補から届いた12時時点の観測で、突風の到達予測がさらに4分早まり18時46分になった。周光立がダイチに伝える。
 それからほぼ1時間が経った13時、武上号の推進ユニットが再び停止した。
 機関室があわただしくなり、カヤマ機関長以下スタッフ総員で再起動作業が始まった。
 機関室の状況を確認してから、ダイチと張子涵がブリッジに上がってきた。
「呉船長、シャンハイまであと6kmというところですか?」と張子涵。
「そう、直線距離で5.8kmです」と呉船長。
「機関が使えない前提で、どのようになるのでしょうか?」とダイチ。
「幸いこれから引き潮になるので、元に戻されることはありません。シャンハイに向けて少しずつですが加速して、17時から18時の間くらいに、ネオ・シャンハイの埠頭に接岸できるでしょう」
「推進ユニットがまったく使えない状態で、接岸は大丈夫ですか?」と張子涵。
「流れが複雑でなく流速が遅いので、比較的容易です」
「接岸が18時より遅くなることはないですね」とダイチ。
「大丈夫です。おまかせください」と言って笑みを浮かべる呉船長。
「了解。それではその予定で進めることで、シャンハイの周光立たちと話をします。船長から機関スタッフに説明して、あまり無理をしないでいい、とお伝えください」
 ダイチと張子涵は周光立たちに、武上号の状況と流されてシャンハイに到達する予定時刻を伝えた。陳紅花から「小型船3隻を救援に向かわせる」との話があったが、その場合のシャンハイ到着が17時を過ぎる予定であることを考えると、水上の乗り移りの危険もあることから、このまま武上号でシャンハイを目指すのが得策ということになった。
 その後ダイチは、機関スタッフを除く全員を前にしてスピーチした。機関は動かなくとも、シャンハイには突風に間に合うようにたどり着けることが確実になったこと、ただしギリギリになるので、接岸したらただちに下船できるように、各自準備するよう話をした。そしてこの言葉で締めくくった。
[いよいよゴールです。もうあと少しの間、気を引き締めていきましょう]

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 カオルは、ダイチのスピーチがほとんど聞こえない下層の船室の奥の、みんなから離れた場所に横になっていた。小さな声で時々呟いていた。
「僕は行かない…僕は行けない…」

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 武上号のネオ・シャンハイ到着は、6月14日の17時50分だった。空は不気味に暗く、電磁波としか言いようのない不思議なエネルギーが充満したように感じられる空気の中、時々小石大の噴出物が降ってきた。
 推進力を得られない中で呉船長が操船した結果、船体は登録ゲート入口の最寄りを少し行き過ぎ、歩いて10分ほどの地点に接岸した。携行品を抱えた乗客たちが、船体が固定されるとすぐ、ダイチを先頭に一斉に下船した。
[登録ゲートはあちらだ!]と舷側に立った張子涵が、腕で方向を示しながら叫ぶ。
[焦らなくていいぜ。まだ時間はある。忘れ物取りに戻る時間は無いけどな!]
 10分ほどで後衛部隊の下船が終わると、船長以下乗組員が下船し、一団となって登録ゲートに向かう。最後尾は張子涵。
 津波に備えて水密対策がされていることから、登録ゲートでの出迎えは最小限のメンバーだった。周光立と武昌書記グエンの他は、みなタスクを持っているメンバー。民生第一部の張皓軒は移動確認アプリ上のデータの最終チェック。同じく李勝文は、登録完了後の移動者の案内。民生第二部のアンナ・ポロンスキーと高儷は、登録スタッフが行う登録作業のチェック。そして技術第二部の林興建とジョン・スミスは、全員の避難区画への収容後の水密機構の点検、チェック…という具合だった。
 登録を待っている張子涵のところへ周光立がやって来た。
[本当にご苦労さま]
[スリル満点は嫌いじゃないが、このタイミングではご勘弁願いたいです]と張子涵。
 さらに周光立は、彼女の隣の男女に挨拶する。
[呉船長と香機関長ですね。周光立です]
[これはこれは、周副本部長。お会いできて光栄です]と呉船長。
[大変な航行、お疲れ様でした]
[人生最後かもしれない航行が、よもやこういうことになるとは思ってもみませんでした]
[香機関長もお疲れ様でした]と周光立は、カヤマ・ミクを向いて話しかける。
[は、はい。このたびは、不手際続きでご迷惑をおかけしました]
[何を仰います。貴女たち機関スタッフの働きがなければ、救援のために非常に困難なミッションを派遣しなければなりませんでした。こうやって船で全員運べたのは、みなさんのご尽力のおかげです]
[この上ないお言葉、ありがとうございます]

 登録を済ませた後衛部隊のメンバーが、次々と第7層の避難フロアに移動していく中、最初に異常に気づいたのは高儷だった。
[おかしいなあ…誰か李薫(カオル)がゲート通ったの、見ましたか?]
 最後の移動者の登録とワクチン接種が終わろうとしているところだった。
[楊大地、あんたと一緒じゃなかったのかい?]と張子涵。
[いや、私は張子涵と一緒だと思っていた]とダイチ。
 そのとき張皓軒の声が、登録ゲートのホールに響き渡った。
[1名登録の確認ができません…李薫です]

(つづく)


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