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生き残されし彼女たちの顛末 第2部 第26章 上海ふたたび

 武漢から長江をさらに1200kmほど遡ったところにある重慶は、武漢の繊維・衣料品に対して、化成品、そして医薬品の主要な供給元になっている。さらに長江本流から離れて西北西に400Kmほど入ったところにある成都は、宝飾品のほぼすべて、そして高級雑貨の多くを製造している。それぞれの産品は他の地区、とりわけ大市場の上海へと運ばれる。成都の産品はキャラバンを介して、ネオ・シャンハイまでもたらされていたという。
 重慶の約24000人と成都の約5000人をあわせて、武漢より奥におよそ3万人が住んでいる。8月19日のマオ委員会での決定を受け、ダイチは重慶と成都の自経団への本格的な働きかけに入った。
 かねてからマオの件について連絡を取り合っていた、重慶副書記で第2支団の書記である、旧知の韓一諾(ハン・イーヌオ)と、ダイチは20日にビデオ通話で話し、合わせてマオの詳細についてMATESで資料を送った。韓一諾から間もなく、直接話を聞きたいとの依頼がきた。重慶の支団副書記以上の幹部と成都の書記、副書記に説明できる会合を、重慶で設けてくれるようダイチが依頼。翌日、23日の午前中でどうかとの返答が返ってきた。急遽22日の午前中にダイチ、カオル、高儷の3人(病み上がりのヒカリは連れて行かないことにした)で重慶に向けて出発、翌日、重慶の9人と成都の2人の合わせて11人の最高幹部の前で、マオのインパクトとネオ・シャンハイへの避難の計画について話した。
 昼食をともにした後、ダイチのエアカーで3人は帰途についた。武昌に帰り着いたのは22時頃。ヒカリは自分で作った簡単な夕食を一人ですませて、もうすでに眠っていた。

 28日に重慶の韓一諾からダイチに連絡が入った。重慶の書記・副書記と成都の書記の4名で、武漢を30日に訪問したいとの申入れだった。重慶出張メンバー3人に武昌から副書記のグエンとヒカリ、漢陽から書記の孫強が加わった6人のメンバーで武昌の支団オフィスで応対した。重慶、成都とも幹部クラスに諮った結果、武漢の対策案に異論は無い、という結論。その中で水運の便がない成都から、避難の際住民を運ぶ手段について懸念が示され、ダイチが、国際連邦との交渉の際の、最重要課題の一つとして取り扱うことを約束した。重慶からは、一般住民に告知するタイミングについて質問があり、ダイチから、上海の幹部クラスの意思統一を図ったのちに、国際連邦に交渉し了解を得て以降、ということを述べた。
 最後に、毎週月曜のマオ委員会をビデオ会議で重慶、成都とも繋ぐこととし、各自経団の書記・副書記が参加することとした。こうして長江沿岸内陸の人口合わせて約6万の3つの都市が、マオ対策に一丸となって取り組むこととなった。

そしてまたひとつ「来月」がやって来た。

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(周光立からの9月1日付MATESメッセージ) 

楊大地へ
 武漢・重慶・成都が一つにまとまったとの知らせ、喜ばしい限りだ。
 9月になった。あとおよそ9か月。上海も本格的にとりかからなくてはならない。そこで、以前から話している上海の情勢について、最新の事情も含めておさらいしておく。
 知っての通り、歴史的な経緯から上海には根強く「反国際連邦」の感情が残っている。自経団ができる以前のことを覚えている長老連中が中心だが、おれたちと同じ世代の中にも、彼らから話を伝え聞いて、連邦に対して反感を抱いている連中がいる。おれに言わせれば、そいつらの持ってる「反連邦」意識なんてものは、長老たちと違って実体験に裏打ちされていない、薄っぺらなものなんだが、かえって性質(たち)の悪い面がある。
 おれの身内にもそんなのが一人いる。前にも話したが、おれのいとこで周光武(チョウ・グゥアンウー)という男。おれより1つ年上。上海の副総書記の一人で、第7自経団の書記をやっている。ちょっと前、ネオ・シャンハイへの避難の可能性について、それとなく話してみたところ、即座に[連邦に頭下げるのか? ありえない!]と言った。
 自分としては、「爺さん」の威光に頼っている気は毛頭ないが、やはりここ上海で「周光来の孫」というブランドの持つ力は否定できない。そのことが周光武にもいえる。だから彼のもつ上海幹部クラスへの影響力は馬鹿にできない。上海自経総団の総書記と副総書記9名のうち、周光武以外の8名と話をしてみた。彼らの反応から推し量って「おれに近い者」と「彼に近い者」という区別で分けると、おれ側がおれを含めて4名、彼側が彼を含めて3名、残り3名が中立、となった。仮に中立の3名を説得しておれ側につけたとしても、7対3ということになる。お前が武漢・重慶・成都をまとめてくれたように、上海でも、少なくとも最高幹部クラスがひとまとまりになっていないと、大規模な作戦を滞りなく進めることはおろか、その前段階である、連邦に対峙して交渉することすら覚束ないだろう。
 長老連中の了解を取りつけられるかも重要だ。上海の幹部には、この問題について長老たちの意見に従おうとしているものも多い。そして長老たちを動かせるとすると、「爺さん」から説得してもらうのが、一番手っ取り早い。
 その他にも、上海全体に影響を与えかねない頭の痛い動きが起こっている。
「キャラバン・コネクション」と呼ばれる、レフュージから来るキャラバンを相手にした、商物流事業者のグループのことは、お前も知っているだろう。彼らが運んできた食材やらのお世話に、好物のエビも含めておれもなっていたし、お前だって恩恵を受けていたはずだ。虹口街区を根城としている彼らは、ネオ・シャンハイが「空っぽ」になったことで、儲け口がなくなった。観測気球の意味も込めて、意図的にキャラバン・コネクションの連中に、「ネオ・シャンハイへの避難」という情報を流した。すると、上海中の不満分子と結びついて地下組織を結成した。いわく「AF(Anti Federation:反連邦)党」という。
 キャラバン=連邦との商売でさんざ儲けたくせに、儲け口がなくなった途端、「反連邦」というのもいかがなものかとは思うが、経済的な動機で動いている連中には、なにか儲けのネタをちらつかせれば乗ってくる可能性がある。そういう手合いはまだ扱いやすいだろう。
 面倒なのは、思想的に彼らと結びついて動いている連中だ。一定以上の世代は「爺さん」の威光でもって動かすこともできるだろうが、若い世代にはどこまで通用するか。周光武に宗旨替えしてもらい、影響力を発揮してもらうよう話をするしか、ないのかもしれない。
 いずれにせよ、そろそろ「爺さん」を担ぎ出さなければならない時期になっていると思う。そのために、ヒカリさん、高さんにこちらに来て「爺さん」に会ってもらいたい。近々、お前も一緒に3人で上海に来てもらえないだろうか。できれば他の幹部連中にも会わせたいから、1週間くらい滞在してもらえると嬉しい。
返事を待っている。
そちらはまだ暑いかい。こちらは幾分凌ぎ易くなってきた。くれぐれも体に気をつけて。あまり無理するなよ。
周光立

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 周光立のメッセージを読み、ダイチは「ヒカリ、高儷を連れて一週間ほど上海へ滞在する」ことについてカオル、グエンの両副書記、高儷の上司にあたる民生局副局長の呉桂平、ヒカリのボスのジョン、そしてヒカリと高儷に了解を求めた。ほどなく全員から同意の返信がきた。それからダイチは周光立とビデオ通話で話した。上海出張の件、そして周光来との会見のアレンジを依頼した。日程は会見の日に合わせて組むことで、ダイチは2日の幹部会とマオ委員会で上海出張について報告した。「いよいよ上海ですね」との声が上がった。
 第一線から退いた人物とはいえ、周光来とのアポをとるのは、並の人間には大変なことだが、そこは「孫の特権」、周光立は2日のうちに、9月5日木曜日の10時から14時の時間帯をおさえ、会見をアレンジした。ダイチ、ヒカリ、高儷は前日4日に移動して上海入りし、翌週の11日まで約一週間上海に滞在、12日に武昌に戻る予定となった。

 周光来の屋敷は黄浦街区の北西の外れにある。ゆったりとしたオフィス兼住居スペースと、財宝の一部を保管する倉庫のスペースからなる、周光来とその家族の地下シェルターだった施設を、そのまま使っている。
 孫の周光立が運転するエアカーの助手席にダイチ、後部座席にヒカリと高儷が座り、9月5日の朝9時半頃、3人が宿泊した周光立の自宅を発った。よく晴れたうえに夏の置き土産の熱気が上海の街を覆い、相当な暑さだ。
 第4自経団オフィスの横を通り、左に曲がって新中山路を北上、さらに左に曲がって東西一路の大通りに入ると、エアカーは西へと向かう。10分ほど運転して第1地区を抜けると、周光来の屋敷の入口である、地下へのエレベーターに到着した。横の駐車スペースにエアカーを停めると、4人は車から降りてエレベーターへ向かう。
[子供の頃は第1自経団の区域に住んでいて、歩いて行ける爺さんの屋敷には、よく遊びに行ったものです]と周光立は歩きながらヒカリと高儷に向けて言った。
エレベーターに乗ると、さらに続ける。
[いとこの周光武という1歳年上の奴と、たいてい一緒に。もちろん『顔パス』でね]
 屋敷のフロアに着いてエレベーターホールに出る。9時50分着。
[周光立。4名です]と名乗る。
[お待ちしておりました]
モニターから声がして、屋敷の入口の頑丈なドアがゆっくりと開く。
 中に入ると、60歳くらいだろうか、背筋がしゃんとした年配の女性が迎えてくれた。
[ご案内します]と言うと、絨毯敷きの廊下の奥へと彼女が歩き出す。
 4人は彼女について廊下を歩いていく。ヒカリと高儷は暗灰色の絨毯の足触りを新鮮に感じながら進む。廊下の右側の入口から三つ目の濃い茶色の木製の扉の前で、一同は止まった。金色のレバー式のドアノブを下げて扉を開けると、彼女は部屋に入り、扉を手で支えながら[どうぞ]と4人を招じ入れた。
 初めての来訪となるヒカリと高儷にとって、アンティークの家具が揃った伝統的な空間は、写真やビデオでしか見たことがないものだ。
 60平方メートルくらいの広さだろうか、部屋の床には、廊下とは違う深緑色の絨毯が敷かれている。天井には、光ファイバーで採り入れた屋外光でオレンジっぽく光るシャンデリア。ドアから見て右手の壁際には、周光来の執務机らしき重厚な木製の大きな机がデンと構え、その後ろにはこげ茶色のレザー張りで肘掛のついた背の高い椅子。部屋の中央やや左寄りには大きな楕円形の茶色の木製の卓子があり、曲線の緩やかな部分に両側3脚ずつ、両端の部分に1脚ずつ、合計8脚の木製の椅子が置かれている。卓子の幕板と椅子の高い背板には古風な文様の彫刻が施され、肘掛のついた椅子の座面は、ビロードが張ってある。
 卓子の左側の緩やかな曲線側に、ダイチを中心にして奥に高儷、手前にヒカリが座り、奥の部分に周光立が座った。これも背筋がピンと伸びたアシスタントらしき若い女性が、冷えた茶を運んできて4人の前に置いた。
 机の反対側の壁に沿って、木製の戸棚や本棚が並ぶ。全体の統一感を乱さない程度に、それぞれの表面には文様や文字、飾りの彫刻が施されている。奥の壁には左側に掛け軸。描かれているのは中国の古の聖人君子だろうか。細かい字で漢詩が左上に添えられている。

(つづく)


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