生き残されし彼女たちの顛末 第5部 第83章 あしたは来月
日付の変わる5分前、12人は底冷えする屋外に出た。大きめの輪を作って並ぶ。
1分前。張子涵が正確に合わせた時計を見ながら10秒ごとに秒読みする。残り10秒から皆でカウントダウン。「3」になったあたりで各々ライターに点火する。
「0」と同時に皆、手に持った爆竹に火をつけ投げる。
爆竹のはじける大きな音。それに負けないくらい大きな声で皆が叫ぶ。
「新年好(シンニィェンハオ)!」
「新年快樂(シンニィェンクァィラ)!」
それから皆は、思い思いに花火に点火する。
カオルの隣に立ったヒカリが、カオルを向いて言う。
「あけましておめでとう、だね。カオル」
「あけましておめでとう、ヒカリ」
街中が爆竹の音、そして火薬の匂いに包まれた。
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~カオル(李薫)の独白~
花火の光に映えるヒカリの横顔。
こみ上げてくる懐かしさ…
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夜が明け、武漢の空はきれいに晴れ上がっていた。武昌出身者は親戚や恩師、友人のもとへ拝年の訪問へと向かった。ヒカリは、高儷とシリラック、ハバシュを誘って、散歩がてら、武漢長江大橋を案内した。
【第四次大戦の間、よく残りましたね】シリラック
【武漢付近で長江にかかっていた橋は、ほとんど破壊されたらしいから、残ったのは奇跡と言われています】とヒカリ。
【武漢へ飛行するときの目印のひとつなんです。こうして渡ってみると、なんか不思議な気持ち】とハバシュ。
橋の下を流れる、ゆったりとした川の眺望。
【もうすぐ、ここを多くの人がネオ・シャンハイに向けて移動するのね】と高儷。
2月12日。春節2日目。武漢自経団には、自経団生みの親で、ヒカリの実の祖父にあたる楊守ことミヤマ・マモルが提唱して始まった「合同拝年」という催しがある。自経団スタッフ同士が新年の挨拶に訪問するのを、まとめて行う場を設けることで、親戚や友人と過ごす時間を長く取れるようにしよう、という趣旨である。
会場は持ち回りで今年は武昌の番である。春節2日に開催されるためケータリングは休業。皆が飲み物やスナックなどを持ち寄って、立食パーティー形式で行われる。
定刻の14時。武昌の大会議室は、武漢3地域の幹部に上海対策本部の面々も加わり盛況を呈していた。
楊清立武昌顧問の発声で「新年好!」の乾杯。ネオ・シャンハイへの移動という一大プロジェクトが始まる前の、緊張感が漂いつつも和やかなひととき。そこここに談笑の輪ができ、握手を交わす者もいる。
14時少し過ぎ、上海から到着した周光立が、陳春鈴を伴って入ってきた。周光来の孫である上海副総書記と、武昌出身のその実質的フィアンセの到来に、場内の視線が二人に集まった。進行役のグエンがマイクを周光立に渡す。
[ええー…何かとお騒がせしております]
会場が一瞬ざわつき、すぐに元に戻る。
[ここ2ヶ月ほど、私の身にもいろいろとありましたが、支えになってくれる人たちに恵まれて、どうにかやっています]
そういうと周光立は、陳春鈴のほうを向いた。はにかむ彼女。
[みなさまのご協力があれば、移動プロジェクトの成功は間違いないものと思っています]
会場から拍手が起こる。
[みんな無事で、ネオ・シャンハイでお会いしましょう。ありがとうございました!]
周光立が締めくくると、会場から一層大きな拍手が起こった。
武昌第6区メインストリートから少し入ったところの地下に、最大収容人員約500名のこじんまりとしたアリーナがある。音楽、演劇などのライブパフォーマンスの会場になるとともに、会議等も行われる。11月の助理会(区長助理総会)も、武昌の回はここで開催された。
春節2日目の18時半、上海対策本部の10人は、アリーナの門をくぐり指定された席へと向かった。全員のチケットは、入口で受け取ってダイチが持っている。
カオルは、ヒカリの隣に座れるように、座席へと向かう間、ヒカリの隣を歩き続けた。
ステージ正面の少し高いところの10人並んだ席。そのステージ側から向かって、ダイチ、張子涵、ジョン・スミス、ヒカリ、カオル、高儷、シリラック、ハバシュ、陳春鈴、周光立の順に座った。
いったん会場が暗転すると、バンドのメンバー7人がステージに入ってくる。最後のチューニング。終わると、ステージの照明がフェイド・インし、リーダーの「ワン・ツー・スリー・フォー」とともに一曲目がスタートする。ヒカリの顔に浮かぶ笑顔。彼女のお気に入りのニッポン語のナンバーだ。終わった恋を前向きに生きて行こうとする女性を描いた、ミディアム・テンポの明るい曲が終わると、リーダーの女性のMCが始まる。
「新年好!」
客席から「新年好!」が返ってくる。
[ありがとうございます。私たち「北斗七星」のライブにようこそお越しくださいました。1曲目は20世紀から21世紀にかけて活動したニッポン人女性アーティストのナンバー。ある催しに呼ばれたとき、主催者からこの曲の演奏を頼まれて、急遽音源から譜面を起こして演奏しました。いまではレパートリーの一つになっています…それでは2曲目をお届けします…]
MCの後、オリジナル曲を3曲続けて演奏した。3曲目は去年の10月に周光来邸で演奏した「十七夜」。
[…ええと、それでは少し私たちのバンドのヒストリーを。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私はここ、武昌の出身です。上海の高中を卒業して、戻って一度は家業に加わりました。それでも音楽を続けたくて、4人で始めたのがこのバンドです。最初のバンド名は「北斗星」。プロになりたくて、「3年たって芽が出なかったら戻ってくる」という条件で、親に許してもらって上海に出ました。おかげさまで3年目までにそれなりのヒット曲をいただいて、新しいメンバーも加入して、3年ほど前メンバーが7人になったときに、バンド名を「北斗七星」に変えました。そういえばこの前、MATESに「メンバーがもう1人増えたらバンド名は?」という質問が寄せられました。う~ん。悩ましい。「北斗七星プラスワン」とか…ちがうか。えへへ、すみません。それでは次の曲…」
今度は21世紀のアーティストのカバー曲を2曲続けた。
「ここからしばらくニッポン語でMCやります。仲間のニッポン人が観にきてくれているのと、次の曲が、またニッポン語の曲なので…」
ボトルの水を一口。さらに続ける。
「去年の秋、古いアーカイブスを何気なく漁っていると、21世紀に公開されたボカロ曲に出会いました。作者について、何もわかりません。この曲の他に残っているのは数曲だけ。詞も曲もありきたりなのに、どうしても心から離れません。それで譜面を起こして仲間に見せたら「レパートリーに入れよう」ということになりました。おそらく200年以上埋もれていた曲です。それではお届けします…」
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「あしたは来月」
あなたと歩いたこの道
今は一人歩く
いつか並木も過ぎた時の分
梢を高くする
どうしてだろう
溢れ出る想いが
薄れていく
なくなってく
あしたは来月
流れてく月日の早さに
あしたはもう来月
立ち止まることもできずにいる
頬をなでる優しい風
新しい季節告げる
そして窓辺に置いた鉢植えの
花も落ち実をつける
どうしようもなく
流されるだけなの
愛しい時間(とき)
遠くなってく
あしたは来月
移ろう季節の中で
あしたはもう来月
一人きり日々を重ねる
あなたのいないこの世界で…
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~カオル(李薫)の独白~
右隣のヒカリの横顔を見ると、頬に一筋、涙が伝っていた。
僕は、手すりの上のヒカリの左手に僕の右手を重ねた。
ヒカリは、自分の左手を裏返しにした。
僕はヒカリの左手を、優しく握りしめた。
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お願いだから
忘れさせないでいてね
あの横顔
眼差し 声
あしたは来月
流れてく月日の早さに
あしたはもう来月
立ち止まることもできずにいる
あしたは来月
移ろう季節の中で
あしたはもう来月
一人きり日々を重ねる
一人きり日々を重ねる
あなたのいないこの世界で
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春節2日目の夜に催されたバンド「北斗七星」の演奏会は21時に終わった。上海対策本部の10人は、リーダーの田洋子(ティエン・ヤンツー)ことニッポン人タムラ・ヨウコの楽屋に向かった。
「ヨウコ、久しぶり。とてもいいライブだったよ」とダイチ。彼女とは、上海の高級中学時代の同級生だ。
「ダイチくんにそう言ってもらえると、嬉しいね」
ライブの高揚した気分が続いている様子のヨウコは、皆の方を向いて続ける。
「みんな、来てくれて本当にありがとう」
[とても楽しかったですわ]と高儷。
[お久しぶりです。高儷さんでしたっけ]
[覚えていてくださったんだ。嬉しい]
「そしてこちらがダイチのいとこの…ヒカリさん」
「はい、そうです。お気に入りの曲をまた聞かせていただいて、嬉しかったです」
「あなた方は、たしかあのとき、連邦からの調査団の」
【はい。エンジニアのシリラックです】
【パイロットのハバシュです】
「じゃあ、お二人はいま、上海の対策本部に」
[そうです。あと、ミシェル・イーが対策本部にいますが、春節は上海で過ごしています]と周光立。
「ニュース画像見ましたよ。まさかカオルくんと同期の張皓軒とゴールインとはね」
ヨウコと初対面なのは3人。
[はじめまして。ダイチの幼馴染の張子涵です。いいライブでした]
[ありがとうございます]
[ダイチたちとは武昌の自経団からの付き合いのジョン・スミスです。楽しかったです]
[嬉しいです。お楽しみいただけたなら]
そして、はにかみながら陳春鈴。
[あの、ええと…3年前に上海に遊びに行ったときに、ライブ観ました]
[じゃあ、ちょうど「北斗七星」になったばかりの頃ですね]
[はい…そうだ、忘れてた。名前は陳春鈴です]
[私たちの分の2枚を、急にお願いして申し訳ありませんでした]と周光立。
[なんのなんの。全員一列並びでご用意できたので、ラッキーでした]
二人は「合同拝年」が終わった後に陳春鈴の両親のところに行き、そのまま過ごすつもりだったが、仲間がライブに行っていることを聞いた両親から「気兼ねしないで行ってきたら?」と言われて、急遽参加した。
「こちらにはみんな、明日までいるんだよね」とヨウコがカオルに聞く。
「うん。僕はこちらに残るけれど、他のみんなは明日中には上海に帰る」
「私たちも明後日上海に戻って、それからしばらく活動は中止になる」
「移動の間は、むつかしいですね」とヒカリ。
「メンバーが別々の自経団所属だから、移動のタイミングも違ってくるしね」
[移動が終わったら、ぜひ、ネオ・シャンハイでライブをお聴きしたいですわ]と高儷。
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2月13日。春節3日目。今日で春節休暇は終わり。
周光立と陳春鈴は、陳春鈴の両親に見送られて、昼過ぎに周光立のエアカーで上海へと向かった。陳春鈴にとっては、生まれ故郷の武昌で過ごすおそらく最後の日となる。
夕刻までの時間を思い思いに過ごした他のメンバー。ジョン・スミス、ヒカリ、高儷にとっても、おそらく武昌は最後となる。
全員ダイチ宅に集まって軽い夕食を食べた後、楊清立とカオルのエアカーに分乗して、武昌支団駐車場に駐機してあるミニプレインに向かう。
ハバシュは最初に降りて、プレインを起動させる。
楊清立と徐冬香夫妻は、上海に向かう全員と握手する。
[ダイチと張子涵以外は、次に会うのはたぶんネオ・シャンハイですね]と徐冬香。
[武昌第15支団は武漢で一番最後だから、5月半ばかな]と楊清立。
起動作業を終えたハバシュが、いったん降りてくる。
[道中、お気をつけて]と徐冬香。
【はい。ありがとうございます】
ジョン・スミスを先頭に次々とプレインに乗り込む一行。ヒカリ以外が乗り込んだタイミングでハバシュが乗り込む。
「それじゃあ」とカオルにヒカリ。
「じゃあ、また」とヒカリにカオル。
ヒカリが乗り込むと、乗降口が上がり、ほどなくプレインは上海に向けて離陸した。
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(つづく)