生き残されし彼女たちの顛末 第2部 第35章 張子涵、交渉する
さらに3日遡り、9月16日月曜日。
武昌支団の幹部会に続きマオ委員会。ビデオ会議で漢陽、漢口、重慶、成都を結び、上海の周光立がPITで参加。上海での一連の面談結果を改めてダイチから報告し、周光立が補足説明をした。
[実は先ほど、長老の黄美帆の口添えで、持盈商業流通集団の田国勝董事長との約束が取れそうだ、との知らせがあった]と周光立。
[5つあるキャラバン・コネクションの首領とも同時に会えるらしい]
[それは何よりだ。張子涵、ついに出番だよ」とダイチ。
[ほいきた。それでいつなんですか、周光立]
張子涵は、上海に出かけたときに何度か周光立と挨拶を交わしたことがある。
[候補が2つあって、19日木曜か20日金曜。どちらも16時から、とのことだ]
[あたしの都合を言わせてもらうと、19日午後だな。午前中に、上海に行くべきかどうか迷っていた用事があって、ちょうどいい]と張子涵。
[私も19日で構わない]とダイチ。
[よし、じゃあ、それで先方に連絡する。確認できたらMATES入れておく]と周光立。
委員会のあと、張子涵がダイチのデスクに来て言った。
[今回は「ビジネス」流に進める話だから、あたしに主導権握らせてもらうことで本当にいいかな。もちろん肝心な点については、事前に指示しておいてもらうことが前提だけれど]
[張子涵、きみの力を借りるわけだから、「きみに任せる」ということで私は構わないし、周光立も構わないと思う。当日会合に向かう前に基本方針のすり合わせだけさせてくれ]
[了解しました!楊書記]警務隊員風の口調でおどける張子涵。
[それから…]と張子涵が続ける。
[ちょっと趣向を凝らしたいと考えているんだが、いいよな?]
[何をするんだい?]
[それは…秘密。安心しな。法に触れるようなことはしないから]
周光立から「19日16時でOK」とのMATESがダイチと張子涵のもとに届いたのが、その日の20時頃。張子涵から返信で「当日会合に先立って3~40分ほど準備をしたいので、別室の用意を先方にお願いしてほしい]と周光立に依頼。
9月18日朝。武漢は本格的な秋の到来を思わせる、爽やかな晴天だった。
ダイチの運転するエアカーは助手席に張子涵を乗せて、上海へと8時に出発した。ヒカリと高儷が見送る。
武昌街区の間は地上を手動走行していたエアカーは、街区の外れを過ぎるとふわりと浮かび上がり、空中の自動走行に移った。
[これこれ、この浮かんでる感じ]と張子涵がはしゃいだ声で言う。
[ふだん地べたを走行している身から言うと、これが羨ましくてたまらないんだよね]
ダイチが道路に沿って進む「道路上空走行モード」にしているのを見て、張子涵が続ける。
[あのさあ、せっかくのエアカーなんだから、なんで目的地モードにしないんだい?]
「目的地モード」にするとエアカーは、設定した目的地へ、障害物だけ避けて最短距離となるルートを、道路とは関係なく進む。
[私は、慣れた方法に従ってるだけだ]とダイチ。
[その、ニッポン人の生真面目さは、あんたのいいところではあるんだけれど、どうも杓子定規になるのがいけない。自分の殻を破って挑戦することで、見えてくるものもあるだろう…なんてちょっと大げさかな?]
このまま放っておくと、いつまでも喋っていそうな張子涵に、ダイチが言う。
[先は長い。よかったらひと眠りしてくれてもいいんだぞ。昨日は遅くまで仕事を片づけるので、寝不足じゃないのかい]
[たしかに寝不足。楊大地サマと二人っきりでドライブできるのが嬉しくて、嬉しくて、なかなか寝つけなかったのさ]と、いかにもわざとらしく、恥ずかしそうな仕草をする張子涵。
[…なんてね]と元に戻る。
[あのなあ、わかってると思うが、今回の上海行きは遊びじゃないんだからな]
[はいはい、わかってますよ。「蜜月旅行(ハネムーン)」じゃないことくらい]
[なんだ、それは?]
[第四次世界大戦前まであった風習で、結婚したてのカップルが、二人きりで旅行にでかけたんだとさ。そういやあたしたち、こうやって二人きりで車内に納まっていると、結婚したてのカップルに見えるかな]
[もし見えるとしたら、同性カップルだな]
[…ははは、まったくだ」と大きな声で張子涵が笑う。
[ところであんたこそ、昨日の晩は相当遅くまで仕事片づけてたんだろ。眠くないのかい。あたしは上海往復の運転のときは、いつも眠気と戦う時間帯がある]
[この車には「視線感知センサー」が装着されている。運転者の目の向きや目蓋の状態を感知して、大幅に視線がそれたり居眠りしたりしていると、手に微弱な衝撃波が流れてアラートをかけるようになっている。技術自体はずっと昔のものらしいが、この辺りの車では滅多に装着されていない〕
[さすがエアカーだな…ねえ、ちょっとでいいから運転席に座らせてくれないか?]
[それは駄目だ]
[なんで? どうせ自動運転なんだろ]
[今回の上海での交渉には張子涵、きみという存在が欠かせないんだ。私には、何よりもきみを無事に送り届けるという責任がある]
[じゃあ…帰りならいいだろう?]
[そういう問題じゃ…]と言うダイチを遮って張子涵が言う。
[「ご褒美」ってことならどうだい、交渉が上手くいったときの。ささやかでもそういうのがあると、やる気がでるんだよね。「もちべーしょん」って言うんだったっけ]
[しょうがないなあ。じゃあそういうことにしよう]
[やっほーい! そうこなくっちゃ、楊大地。あたし、絶対に交渉成功させるんだからね]
再び9月19日16時過ぎ。
持盈商業流通集団本部の大会議室での面談。最初にダイチが、そして周光立が、これまでと同じ説明を行った。周光来のビデオメッセージは、順番を変えて最後に放映された。
[話はわかった。連邦と和解して、ネオ・シャンハイに逃げ込むしか方法がないということだな]と、董事長の田国勝が持盈側の発言の口火を切る。
[それで、我々にどうしろというのだ]
膝に手を置いて背筋を伸ばしていた張子涵が、手を卓の上に移して言った。
[まずは、この計画に持盈、そして南京会を初めとするキャラバン・コネクションが同意して支援すると約束して欲しい。そうすれば上海のビジネス界は、みんなついてくるだろう]
[たしかに計画に従えば、命が助かる可能性は高いだろう。しかし、我々のビジネスはどうなるのだ]
[ネオ・シャンハイからの流れ者に聞いた話では、あちらでは、ロボットが何でもかんでもやってしまい、我々のような物を運ぶ仕事はほとんど人手ではやらない、ということだぞ」
田国勝の左隣、陳紅花との間に座った50代の男性が不機嫌な顔をして言う。キャラバン・コネクション首領の筆頭格である、南京会会長の林孝通(リン・シアオトン)だ。
[あたしが聞いたところではロボットの他に、家やオフィスに配送不要で直接届ける仕組みもあるらしい]と、序列二位である江東会会長の陳紅花。
[ネオ・シャンハイにあるロボットや仕組みを全部使うと、そういうことになってしまう。けれど今回の計画ではそうはならない。だよな、周光立]
[そうだ、張子涵。「人間にできることは人間に」という方針だ]
[だから、移ったらすぐに人手でものを運ぶ仕事が無くなる、ということにはならない。便利な仕組みであっても人の仕事を奪うようなものは、しばらくは使わない]
[そのへんも含めて]と南京会会長の林孝通が割って入る。
[結局連邦と交渉することになるんだろう。我々はそもそも連邦を信用していない。何も正式な話のない中で、取引量が減っていったかと思ったら、今年に入ってぱたりと止んでしまった。流れ者の話から何となく状況はわかったが、永年のビジネス・パートナーである我々に対して、ひとことも正式な話はなかった。そんな連邦が話を聞いてくれるのかい?]
[その気持ちはお察しする、林会長]と張子涵。
[でも、これから交渉する連邦の相手はちょっとちがう。このへんは楊大地から話をしてもらうのがよいかな]
[先ほどお話ししたネオ・トウキョウの生き残りは、ヒカリと呼ばれている女性です。私のいとこなのですが、お話しした中で、現時点の衝突地点の予想と、ネオ・シャンハイは比較的安全な位置に存在するという情報、これはヒカリの連邦時代の上司にあたる人物が、大変な尽力のうえもたらしてくれたものです。連邦には、私たちの立場を考え支援してくれる人は少なからず存在します。けれど…厄介なのは、レフュージも含めて連邦がその運営の全体を頼っている、マザーAIなのだそうです]
[なんですかい、そのマザーなんとか、てのは?]と林孝通。
[コンピュータです。上海や武漢のサーバーとは比べ物にならない、大規模かつ高性能で、人間の頭脳よりはるかに高速な情報処理能力があります。現在連邦の人間はすべて月や火星に住んでいますが、宇宙空間での生存のためには、マザーAIになかなか逆らうことができない。マザーAIが人間に逆らって機能を停止したら即、死につながるからです]
[コンピュータ相手の交渉に成否がかかっている、ということなんだが、シカリもその上司もコンピュータの専門家で、どのように交渉を進めればいいか、連邦の中の味方作りも含めて動き始めている。あたしは、多くの連邦の人たちが応援してくれて、私たちの意向を無視しない形で、マザーAIに納得させるようにしてくれると信じている]と張子涵。
[だから、連邦と和解する、という方針に同意してほしい]
[あたしはいいと思うね]と陳紅花。
[わかった、そういう連中がいるのなら。張子涵、あんたの言うことを信じよう]と林孝通。
[連邦との問題は了解した。配送の仕事が無くならない方向で進めてくれるというのもそれでいい。だが、上海と武漢や重慶を結ぶ水運の大きな仕事はなくなってしまう。これは間違いないだろう。張子涵、あんたのとこだって大打撃だ]と田国勝。
[それは確かにそうだ。でもな…]
一呼吸おいて、張子涵が続ける。
[武漢で初中出たあと通った商業訓練校の、最初の授業で教わったのが、「利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授く」という言葉だ]
[「論語」だな。私も知っている]
[上海、長江流域のビジネス関係者は、星の衝突で大きな危機を迎えている今こそ、この言葉に従うときなんじゃないか。あんたらにはぜひ、その先陣を切ってもらいたいと思う]
[それはもっともだ。けれど、事業を大幅に縮小しなければならなくなる。船乗りを筆頭に仕事にあぶれる連中が、かなりの数出てしまう]
[商業訓練校で習った2つめが「生き続けたく場変わり続けよ」だ。環境の変化にあわせてビジネスも変わっていかねばならない。あたしに言われなくても、田董事長なら先刻ご承知だろう。水運がなくなるなら、それに代わる新しいビジネスを作るが、あたしたちの流儀じゃないかい?]
[新しいビジネスを軌道に乗せるには時間がかかる。その間、どうやって食いつなぐんだ?]
[そうだ。食い扶持がなくなったら、配下の者どもが何をしでかすかわからんぞ]と林孝通。
[ネオ・シャンハイへの移動に伴って就業の機会が失われる人たちには、自経団が責任をもって当面の生活を扶助し、新たな就業の機会を早急に作っていきます。お約束します]と、自信たっぷりの口調の周光立。
[わかった。そこまで考えてもらえるのであれば、同意する、ということでみんないいな?]と言って田国勝はキャラバン・コネクションの首領たちの顔を見まわす。みな、頷いている。
「趣向」の効果もあってか、ここまではおおむね張子涵のペースで進んでいる。
(つづく)