生き残されし彼女たちの顛末 第0部(前日譚) 20)メイドノミヤゲ
2282年10月に行われたカテゴリ分類の通知がきた。
わたし、夫のカゲヒコ、息子のマモル、わたしの両親、カゲヒコの両親、それから祖父母で唯一生きていたマサルおじいちゃんの中で、マモルだけがカテゴリCになり、その他は全員カテゴリAになった。
カテゴリCとカテゴリBはそれぞれ500万人だが、最初の分類で決まったのはそれぞれ450万人だった。残りの各50万人の枠については、一定の要件にあてはまる者の申請を受け、人間による予備選考、その後AIによる最終選考によって決められることとなっていた。
申請はカテゴリCへの繰り下げ申請という形をとり、選出されたものは「特別カテゴリC」という形で火星行きの500万人に加わることとなった。選考から外れたカテゴリAの者から閉鎖までのレフュージ運営に必要とされる者が「特別カテゴリB」に選出された。
特別カテゴリCには年齢制限はなく、申請できる要件としては、たとえば以下のようなものがあった。
・文化や芸術の分野で後世に残すべき顕著なものを持つ者
・医療従事者として顕著な技能を持つ者
・教育従事者として顕著な技能を持つ者
・その他移住後の火星居住区の運営に必要となる顕著な技能を持つ者
・火星移住の際に必要な航宙士・乗組員有資格者および
航宙士・乗組員養成中の者
ニッポンの天皇家やイギリスの王室などのロイヤルファミリーは「後世に残すべき人類の伝統・文化を体現するもの」として特別カテゴリCに選出されたらしい。
また航宙士や乗組員の養成をうけるべく志願する者がものすごい数になったこともいうまでもない。
マモルをひとりで火星にやるのが忍びないわたしとカゲヒコは、統治府職員であることから「移住後の火星居住区の運営に必要となる顕著な技能を持つもの」として申請した。
選考結果は翌年、2283年3月に通知された。
「厳粛かつ公正なる選考」の結果わたしは「特別カテゴリB」に繰り下げとなり、カゲヒコはカテゴリAにとどまった。
「修士号と学士号の差かな...」と、いささかなげやりな風でカゲヒコが言った。
ちなみにカテゴリC欠員時の繰り下げについて、「特別カテゴリB」のわたしはその対象にはならないこととなっていた。
こうして、マモルをひとりで火星にやることが確定した。
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(火星授業記録その28)
――質問よろしいですか?
はい。どうぞ、Tさん。
――カテゴリA、B、Cの並びが、逆じゃないかと思うんですけど。
いいところに気がつきました。
私も最初に連邦A級規則のこの部分を見たとき、違和感をおぼえました。特に「ケア」を施されるカテゴリBからカテゴリCに編入されるのが「繰り下げ」というのは、なんか「ちがう」のかな、と思いました。
しかしその後、規則制定のプロセスについて詳しく知って納得しました。地球人類が天体の襲来で全滅してもおかしくない危機に瀕したとき、可能な限りの人間、つまりカテゴリCの人たち、を火星に逃がすことで救おうとするため、地球に残る人たちは大きな犠牲を払うのだと。その犠牲に対しては、最大限の敬意を表さなければならない。そのことのあらわれとしてカテゴリの並び方も決められたのだ、ということです。
よろしいでしょうか。
――はい。わかりました。
カテゴリAとカテゴリCの人には、それぞれ通知が3ヶ月前にきます。Aの人にはケアの日程が、Cの人には地球を発つ日程が通知されるのです。
ただしカテゴリAの人については、3ヶ月前に自分で申し出ることで、自分の決めたタイミングでケアを施されるようにすることができました。
カテゴリCについては、自分で時期を決めることはできません。出発前に宇宙航行のための訓練が行われ、特に最後の1ヶ月間は訓練施設にはいり、毎日一日中訓練して過ごしたことは、地球からきた24人の人は体験すみですよね。
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カテゴリAの者とカテゴリBの者には、ひとり1週間の公認休暇が与えられた。休暇を過ごす費用は連邦の負担で、「メイドノミヤゲ」と名づけられていた。ニッポンの古い言い回しなのだそうだ。
過ごし方は自由で、休暇メニューもいろいろと用意されていた。VRを使った旅行体験メニューが人気だった。
ひとりあたりの「メイドノミヤゲ」の期間は1週間だが、家族が一緒に使う場合には、人数分あわせた期間を全員で取得することができた。また対象でない家族も同行することができた。
マモルへの通知とカゲヒコへの通知は、2年前に相次いでやってきた。
マモルへは「7月30日に地球を発つ」という通知が4月に届いた。
カゲヒコへの「8月25日にケアされる」という通知を受け取ったのが5月だった。
7月に入るとマモルの火星行きの訓練が本格化することから、6月の半ばに「メイドノミヤゲ」を家族揃ってとることとした。カゲヒコの分とわたしの分あわせて2週間、なにをするか考えたあげく、「VR豪華客船によるニッポンの港町めぐり」を選んだ。ヨコハマを皮切りに、ハコダテ、オタル、ナガサキ、モジ、オノミチと回ってコウベで終わる行程だった。わたしの母方の祖父母の生まれた場所にゆかりの街に始まり、父方の祖父母の生まれた場所にゆかりの街で終わる旅となった。
豪華な客船の豪勢なお食事とアトラクション。それらもさることながら、7つの港町の、おそらく20世紀後半から21世紀前半頃の様子を再現したのだろう、「近代的」な高層ビルのスカイラインや歴史的な町並み、そしてなによりも夜景の美しさを堪能した。
わたしたちにはワンベッドルームにリビングのついた高級クラスの部屋が用意された。家族それぞれにベッドが用意されていた。次から次へと繰り出される旅のメニューに、まだ8歳にならないマモルは、毎日部屋に戻るとシャワーもそこそこにベッドにもぐりこんでしまった。
わたしたちもシャワーをあびてそれぞれのベッドに入る。
ライトを消してしばらくすると、カゲヒコがわたしの側へとやってくる。
いままでとは別人のように激しく求めてくるカゲヒコ。
頬に汗とも涙ともつかないしずくが流れる。
そんなカゲヒコが、ただ、どこまでも悲しかった。
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(つづく)