生き残されし彼女たちの顛末 第5部 第84章 移動始まる
2月14日。春節明けの金曜日。一般スタッフは一部を除いて出勤しない。幹部スタッフたちは「新年好!」の挨拶もそこそこに、あれやこれやと最終確認。準備を重ねてきたことはわかっているのに、本番前でみんなどこか落ち着かない。
連邦派遣のプレイン操縦士第2陣を乗せてネオ・トウキョウを発ったスペースプレインが、11時に到着。航空司令補のハバシュと、ヒカリが出迎える。成都移動時に運用する最大定員250名クラスのプレインが配備され、シャンハイ籍の1機とあわせて大型プレインが2機揃った。到着した要員は、成都移動時のスペースプレイン操縦士としてA級航宙士1名とB級航宙士1名。さらにミニプレインの残りの操縦士としてB級航宙士8名とC級航宙士7名。
あと一人、ヒカリが出迎える賓客がいた。和装の老人で、伸びるにまかせた白髪頭と髭。そう。ニッポンの由緒ある貴族の末裔を自称する「陰陽博士」のケイトクシ・ヤストモだ。ヒカリがネオ・トウキョウを離れて大陸に渡るきっかけを作り、背中を押してくれた人物。手違いで「ケア」を免れ、ずっとネオ・トウキョウの地下第5層で過ごしていた。
「お元気そうで、なによりです」とヒカリ。
「おまえさんも息災な様子で、なによりじゃ」とヤストモ。
ヒカリは地上走行型のミニバンで、ヤストモを本部オフィスに案内した。
「しかし、よくこちらに来られる決断をされましたね」とニッポン茶の入ったカップをヤストモに渡しながらヒカリ。
「ずっとわしは、あちらでその日を迎える決意でおった。そうしたら「新年の祝いだ」と、あのアーウィンが酒を持ってやって来おった。一献傾けるうちにすっかり意気投合しての。それで説得されたわけだ」
「そうですか。アーウィンGMの…」
「占ってやる、と言ったら、あの男、丁重に断りやがった。はっはっは」とヤストモお得意の高笑い。
「ムンバイへ行くという選択肢は、なかったのですか」
「そういう話もあったのだが、最寄りのシャンハイということで落ち着いた。お前さんもおるしのう」
「それは光栄です」
「どうじゃ、よければ占ってやるぞ」と、「商売道具」らしきものが入った後部座席のカバンを見ながらヤストモが言う。
「じゃあ、インパクトをやり過ごして、落ち着いたらお願いします」
「よし。おまえさんが予約第一号だ」
「特別価格でお願いしますね」
「そうは問屋が卸さぬわ。はっはっは」
航宙士たちは、基地横の要員オフィスの会議室で非常食の昼食を済ませると、さっそく、到着したプレインで成都へのテストフライト。ハバシュが武漢、重慶の目標物等を説明し、成都に着陸。出迎えた陳香月とハバシュが言葉を交わすと、再会を期して帰路へ。
18時に帰着後、12人はハバシュの操縦するミニプレインで周光来邸へ。第1陣の要員は、今日のうちにプレイン基地横の宿泊施設に移動した。今宵は第2陣がここで宿泊し、明朝第1陣と合流する。周光立、ダイチ、ミシェル・イーが出迎え、ささやかな歓迎会。
2月15日土曜日。今日は移動開始の初日となる。
対策本部の一般スタッフのうち、春節前からネオ・シャンハイで業務を行っていた約350人が、先行要員として移動を行う。第1陣として携行品とともに移動し、正式に住民登録とMPワクチン接種を行う。上海移動の予行演習としての意味も兼ねるが、ネオ・シャンハイへの住民登録を行った者は正式に連邦市民になることから、以降ネオ・シャンハイの区域外に出ることは、連邦の特別命令がなければできなくなる。彼らにとってこの日が上海で過ごすおそらく最後の日となる。
上海自経団の一般移動者は、集合場所からバスに分乗して長江対岸の埠頭に行き、小型船でネオ・シャンハイの埠頭へ渡る。そして高齢者や障害者、乳幼児などの弱者およびその付き添い者は、ミニプレインとマリンビークルに分乗して移動する。
小型船、ミニプレイン、マリンビークルで同じ時間帯に移動するグループを1日6組設定し、各回約800人を運ぶ。ひと組で一つの区がまとまって移動を完了できる形だ。
1日の始まりは朝6時半移動開始分から。最終組が出発を終えるのが19時半。21時半にはネオ・シャンハイでの登録手続きまで終わる形で予定が設定されている。
今日の先行要員の移動は、10時半スタートの3組の実際のスケジュールで小型船、ミニプレイン、マリンビークルすべて使って実施。ロジスティックスと登録手続きが目論見通りいくかを検証した。実際の移動規模の半分以下ではあるが、ひとまず問題なく完了。
ネオ・シャンハイ側の受け入れおよびロジスタッフ、そして上海側のロジスタッフで反省会を行い、週明けからの本格稼働に備えた。
2月16日の日曜日は休養日。今後月曜から土曜に稼働し、日曜は原則として休養日となる。稼働日には毎日プレスリリースが行われ、秘書の杜美雨が担当する。
2月17日月曜日。いよいよ本格的な移動が開始する。最初に始まるのが、上海と成都。
上海は1日で6区が移動する。1つの支団は10区で構成されるので。5日で3つの支団が完了するスケジュールとなる。
成都は、シャンハイ籍と連邦派遣のスペースプレイン2機が1日4往復し、1機1回あたり200人、1日で1区まとめて約800人を空輸するスケジュール。後衛部隊の撤収も含めて、翌週月曜までに完了する予定。
成都と上海の到着は、なるべく重ならないタイムスケジュールで計画されていた。若干滞留が発生する時間帯があったが、人員の調整で対応できるレベル。
登録後の避難スペースへの誘導も問題なし。携行品の行方不明も発生したが、いずれも当日中に解決。
避難スペースの居住空間のカスタマイズは、民生第二部のスタッフが説明し、本部スタッフ、支団スタッフとボランティア登録していた住民が進めた。これも問題なし。
周光立とミシェル・イーは、17日月曜日の朝一番の到着から最終の登録が完了するまでを、ネオ・シャンハイの登録ゲート近辺から準備のすんでいる避難場所あたりを行き来して過ごした。成都からのスペースプレインを1機出迎え、小型船やミニプレイン、マリンビークルからの下船にも立ち会った。登録ゲートの稼働と登録後の誘導、避難場所の立上げにも問題がないことを確認。さらに二人は翌日、集合場所と上海側の長江の埠頭、黄浦江の埠頭を回り、ミニプレイン、小型船、マリンビークルへの乗り込みと発進の様子を確認した。
ミシェル・イーが当初懸念したペットの移動、受け入れとも、大きな問題なくスムーズに行われていた。
翌水曜日、二人は本部長たる艾総書記と監察委員たる蒋副総書記に面会し、初動の状況を説明、おおむね問題なしと報告した。
その週は大過なく進行した。天候にも恵まれた。ほとんど雨は降らず、降っても小雨がぱらぱらという程度で、体を濡らすような雨ではなかった。
ネオ・シャンハイに一週間詰めていたダイチと張子涵が振り返る。
[まあ、最初はこんなもんだろう。問題は機材がどこまでもつか。とくに船が心配だ]と張子涵。
[これから3月、4月と雨も増える。それも心配だ]とダイチ。
重慶と武漢の移動は、成都の移動完了後に到着が始まるタイミングで開始する。一般移動者は大型船で長江を移動。重慶からは四泊五日、武漢からは二泊三日の行程。ひとつの区の一般移動者がまとまって1艘で移動する。高齢者、弱者組は、船舶組のネオ・シャンハイ到着に合わせて、成都就航が終わったスペースプレインで輸送される。こうすることで、同じ区の住民全員同じ日に住民登録され、同時にネオ・シャンハイでの暮らしを始められるようになる。
重慶に就航する船は6隻で、後衛要員以外は5月10日到着で移動を完了する予定。一方、武漢は当初4隻で運用し、重慶の移動終了後は10隻体制として5月23日到着で完了の予定。両地域の後衛要員は5月27日到着予定。
重慶の大型船第1便は2月22日土曜日に、武漢の第1便は2月23日の日曜日に出航した。重慶と武漢の到着が重ならないようにスケジュールが組まれている。船舶輸送関係者はスケジュールに応じて日曜日も稼働。運行の合間に休養日を設定することになる。
2月24日月曜日。後衛要員の輸送が問題なく終わり、成都の移動が完了した。副書記の陳香月は、後衛要員と一緒に最後の便でネオ・シャンハイに入った。残っていた応援ロジスタッフは、車両を運転して重慶へ移動し、引き続きロジ応援を行う。
連邦より派遣された増備スペースプレインは、成都がすべて完了したのを見届け、操縦士2名とともに翌日ネオ・トウキョウへと帰任した。
2月25日火曜日。大型船の第1便がネオ・シャンハイに到着した。乗船者は武漢の漢陽支団第1区の一般移動者で、朝8時少し前に入港。上海の受け入れが本格化する前の時間帯に住民登録とMPワクチンの接種を完了した。漢陽書記として先陣を率いる孫強の顔も見える。
同じ区の高齢者・弱者はスペースプレインで14時半頃に到着。上海からの移動者の波の谷間をうまく使う形で、さほど待ち時間もなく住民登録等を完了。先着していた仲間に合流した。入院していた者は、各区の避難区画内にあるホスピタルの病室に、医療スタッフにより搬送される。
周光立とミシェル・イーは、この日の朝一番の武漢便到着から、プレイン移動の高齢者・弱者の住民登録、避難場所への案内に立ち会い、状況の確認をした。避難場所では、数日の間離れて移動していた家族が、そこここで無事の再会を喜び合っていた。孫強とも会話を交わした。「思っていた以上に船中が快適だった」とのこと。
翌日、艾総書記と蒋副総書記と面会して報告。「このまま順調に進められるよう期待している」との艾総書記の言葉。
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~カオル(李薫)とヒカリの往復メール~
カオル:お疲れさま。元気?
ヒカリ:うん。元気だよ。
カオル:また、「あしたは来月」の日になったね。
ヒカリ:ほんと、早いね。
カオル:始まったばかりだけれど、終わったら「あっという間」と感じられるのかな。
ヒカリ:そうかもしれないね。忙しい?
カオル:そうだね。これからだいたい週に1回のペースで、重慶と往復することになる。
ヒカリ:エアカーで?
カオル:うん。一泊二日で。
ヒカリ:気をつけてね。無理しないでね。
カオル:ありがとう。君も無理しないで。
ヒカリ:ありがとう。大丈夫だよ。それじゃあ。
カオル:じゃあ。
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3月に入った。
上海および重慶、武漢からネオ・シャンハイへの移動は、予定通り遂行されていた。
ダイチが懸念していた天候の問題に関して、ネオ・シャンハイで製造した雨除けテントを、上海側とネオ・シャンハイ側の乗降が発生する場所に設置する対策が施された。また必要な地点については、集合場所を雨が凌げる施設のある場所に変更した。
行方不明の携行品の対策としては、PITの認識番号を読み込ませる方式のタグを急遽製造し、集合場所で配布、携行品に括りつけることにし、行方不明品捜索を効率化した。
上海の収監者および勾留者は、他の移動のない日曜日にまとめて移動させる。12月末に身柄を一斉に拘束されたAF党、クスリ関連が263名おり、その他一般の収監者・勾留者が移動開始時点で約250名いた。収容設備はネオ・シャンハイの避難区画に厳重なセキュリティを施された施設があり、2月1日付で本部に配属された刑務官10名が中心となって、対策本部警務隊員、移動で移ってきた各自経団の刑務官が順次加わった態勢で監視をする。
実際の移動は、3月2日に第1から第5自経団の100名強。3月9日に第6から第10自経団の約150名弱、そして3月16日にAF党などの263名の移動が行われた。
3地域は合わせて40人程度。1人につき警務隊員が2人ついて監視する形で、随時船舶で移動する。
3月20日木曜日の時点で、人数にしてほぼ三分の一の移動が完了していた。成都はすべて完了。重慶は3支団30区のうち1支団10区が完了。武漢は3つの支団のうち最初に移動する漢陽支団12区のうち、残りが2区となっていた。そして上海は50ある支団のうち17個目の支団が移動している状態。
日別の予定は計画通り進んでおり、重慶、武漢の大型船も、入港時間が予定より遅れることはあるものの、到着日は予定から遅れることなく進んでいる。
移動計画は、重慶の第2支団分まで携行品含め計画が完了し、残りの第3支団分についてスケジュール調整が完了、携行品の確認を進めていた。武漢は第2陣の漢口自経団分まで携行品含め計画が完了、残りの漢陽自経団分についてスケジュール調整がほぼ終わり、携行品の確認に入っていた。上海は、これから移動する順に第5、第7、第8自経団分まで、携行品含め計画完了。続く第6、第4自経団分がまもなく完了する予定で、残りの第9、第10自経団の調整が急ピッチで進められている。
移動支援システムを構成する主要なインターフェースとして、技術第一部のアドラ・カプールは、民生第一部の張皓軒、民生第二部のアンナ・ポロンスキーの協力を得て「移動確認アプリ」を開発していた。2月初旬に、区長、副区長、区長助理(班長)および移動の支援を行うスタッフなどの関係者に配信された。
アプリからは計画策定がすんで登録された個人の移動データにアクセスでき、変更があったときはリアルタイムで確認できる。
移動の際は、乗船時に各人のPIT認識番号を区長助理のアプリに読ませ、本人確認の上で登録。すると登録された移動者のデータにリアルタイムで「乗船」のフラグが立つ。移動予定の者が全員登録されたことを確認し船やプレインが出航すると、乗客全員に「出発」のフラグが立つ。原則として全員が「乗船」になるか予定変更が登録されるまでは船やプレインは出航しないが、出航最終期限までに把握できない場合は、本人への連絡と確認を後衛部隊に引き継いだうえで出航する。引き継いだデータもアプリ経由で登録される。
重慶、武漢からの水上移動者については、船上で1日に1回、点呼の代わりにアプリに認識番号を読ませる。確認がとれないメンバーがいる場合は船内をくまなく捜索する。ちなみにすべての船舶の船べりは、センサーによりすべて監視されており、船内では救命胴衣を全員着用しているので、万が一落下してもただちに救出されることになる。
ネオ・シャンハイに到着すると、下船時にまた、全員の認識番号をアプリに読ませて確認する。確認がすんだ移動者のデータに「到着」のフラグが立つ。それから移動者たちは登録ゲートに向かい、連邦市民として登録される。ちなみに「到着」フラグがデータ上に立っていないものが登録された場合は、アラームが鳴って調査が行われる。
以上は一般移動者の場合で、高齢者・弱者の移動の場合は、区長助理の役目を、乗船時は支団民生局員などの支援者が、下船時は登録受付スタッフが行う。
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(つづく)