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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第53章 高儷、号泣する

 オペレーターの作業の完了と、参加者が揃っていることを確認し、委員長が再開を宣した。
 もとの調子に戻った監察ユニットが「なぜ統治組織としての自経団を持ち込むのか」と質問し、ファン・レイン総務局長が「避難時以降のコミュニティーをスムーズに運営するため」と回答した。さらに「なぜ上海真元銀行による通貨システムを持ち込むのか」との質問に、ファン・レインが「60年に亘って4地域の通貨システムとして機能してきた。財務の健全性も担保されていて、避難後一定期間は、引き続き維持するのが妥当」と回答した。
 ヒカリは視線を上げるようになったが、高儷は遠くに視線を向けて固まったままだった。アーウィンが心配そうな視線を向けた。
【確認しておきたい事項は以上だ。答申の検討に入る。10分以内に結論が出る】と監察ユニットが言うと、インターフェースの画像が消えた。
【さて…】と委員長。
【おそらく「不相当」という結論にはならないと思われるが…】
【問題は、どのような条件をつけてくるか、ですね】とヨシノ副委員長。
【付帯事項の追加程度であればいいのですが、申入書の大幅な書き換えが必要になるような注文がつくと、来週火曜日の評議会に間に合わなくなります】とティマコワ総務担当委員。
[発言してもよろしいでしょうか]と周光立。
【どうぞ】と委員長。
[答申結果の如何にかかわらず、なんとか来週火曜日の評議会に間に合うよう、お取り計らい願います。当方は如何様にも動きますので]
【わかりました。が、まずはAIの検討結果を待ちましょう】
 マザーAIのインターフェースが再び現れたときには、8分ほど経過していた。
【それでは、連邦マザーAIの総意として、答申結果を申し上げる】相変わらずの平板な声。
【本件協定に含めるべき付帯事項を答申するものである】と言うと、エア・ディスプレイに以下の事項が投影された。
①自経団について
 ・自経団書記以上の役職について、公選制を概ね3年以内に導入すること
 ・最高議決機関としての「区長助理総会」の定期開催を、概ね2年以内に始めること
 ・司法の独立性の強化を、内容は連邦と協議のうえ概ね3年以内に行うこと
 ・連邦が提供する医療サービスをすみやかに導入すること
 ・連邦の教育制度の導入を、速やかに着手し、アカデミーの設置も含めて
概ね5年以内に完了すること
②上海真元銀行について
 ・経営モニタリング委員会を、連邦財務局職員も構成員とする形で、
概ね1年以内に設置すること
 ・決済の電子化にすみやかに着手し、概ね2年以内に完了すること
 ・通貨発行権を、概ね50年以内に連邦へ移管すること
 ③避難時の連邦スタッフの派遣について
 ・必要最小限の人員とすること
 ・必要最小限の派遣期間とすること
 ・インパクト1週間前までには、総員地球を離れること
【以上の事項を付した形で。協定が締結されることが妥当である、と答申する】
 全員がディスプレイに投影された内容に目を通すだけの間をおいて、委員長が口を開く。
【なにか質問があれば】
 発言なし。
【周光立、ミヤマ・ダイチ。付帯事項についてなにかご意見があれば、どうぞ】
[どれも受け容れられます。通貨発行権の移管も、これだけ猶予期間があれば混乱なく行えるでしょう。医療・教育については、こちらからお願いしようとしていたところです]
【それでは採決に移ります】とラムズィ委員長。
【AORからの申入書にマザーAIの付帯事項を追記した形で、協定案として評議会に提出することに賛成の方】
 委員長を除く全員、13人の委員が手をあげる。
【全会一致で可決されたものと認めます。なお、本協定案は緊急審議案件として、分科会経由ではなく、評議会へ直接提出することといたします。よろしいでしょうか】
 議場から発言のないことを確認し、委員長が宣する。
【以上で本件審議は終了します。次の案件の審議まで10分間の休憩をとります。関係者以外は退出して下さい】
 18時半(UTC10時半)になっていた。マザーAIのインターフェースの画像が消え、オペレーターが退出した。
 周光立とダイチが立ち上がって、アーウィンと調査団メンバー、5人のところに行き、謝意を述べた。29日火曜日の評議会と締結手続きがすんだ後、実行フェーズのメンバーも加えて打ち合わせを行うこととした。
 アーウィン、ゼレンスカヤ、ミシェル・イー、マルティネス、シリラックの5人が議場を後にするのが見えると同時に、月のミーティングルームの立体VR画像が消え、シャンハイのVRミーティングルームの周囲がグリーンに戻った。

 先に立ち上がった3人が見守る中、高儷はさらに2、3分ほど固まっていた。突然すっくと立ちあがると、彼女は出口のほうへすたすたと歩いて行った。入口の潘雪蘭に目もくれず廊下に出ると、高儷のオフィスへと駆けて行った。追いかけようとする潘雪蘭を周光立が制し、ダイチが椅子を片づけ、ヒカリがVRミーティングルームをOFFにするのを待って、5人並んで高儷のあとを追った。遠くでオフィスのドアが「バタン」と閉まる音が聞こえた。
 オフィスのドアのところまで来ると、ヒカリが言った。
「わたしが中の様子を見てきます。いいと言うまで、ここで待っていて下さい」
 ドアを開けオフィスへと入るヒカリ。周光立とダイチがその後姿を心配そうに見送る。
 高儷は、自分のデスクの上に腰掛けて腕組みしていた。ゆっくりと入ってきたヒカリを認めると、きっぱりとした口調で言った。
【確かに聞いたわね…2285年ですって】
【ええ、聞いたわ】とヒカリ。
【私の両親は、2286年にケアされた】高儷は声のトーンを落とした。
【私の息子と娘は2287年。息子はプライマリースクールの2年で、娘はプレスクール…】
 かすれるような声になった高儷の瞳に、涙が滲んできた。
【そして、主人は…去年だった】
 高儷の声が震えてきた。
【…この気持ちがわかるのは、ヒカリ、あなただけよ】
【いえ、わたしは少し違う…】
【違わないわ。大切な人を見送らなければならなかった。そのことに…変わりはないわ】
 高儷の瞳から大粒の涙がこぼれた。ヒカリに抱き着き、涙声で続ける。
【…2285年よ…もしもその時点で変わっていたら、私は…私は、あの子たちや、あの人たちを…失わずにすんだかもしれない】
 ヒカリが高儷の体に腕を回し、しっかりと抱き合った。ヒカリの瞳からも大粒の涙が…
【…ヒカリ…私の気持ちがわかるのは、あなただけ…アーウィン部長、周光立…ダイチ…彼らは何も悪くはない…けれど彼らにはわからない…私の…私の…】
 あとは言葉にならなかった。
 高儷は大声で泣いた。ずっと、ずっと…
 ヒカリは思い出していた。まだ4ヶ月経っていないあの「最後」の日、自分のオフィスで、親友のマルガリータ・ヨシコ・ホウジョウと泣きじゃくったことを…彼女も、もういない。

 4人は、閉まったオフィスのドアの横にあるベンチに腰かけていた。聞こえてくるのは微かな音だが、高儷が激しく泣いているのがわかった。
 周光立のPITが鳴った。アーウィン部長からだった。
【高儷とヒカリ君の様子はどうだろうか。かなりショックを受けていた様子だったから】
[ヒカリは比較的落ち着いています。高儷は…相当なショック状態です]
【そうか。二人の違いはやはり…】
[たぶん、そうだと思います。火星にいるマモル君の存在が、大きいのでしょう]
【くれぐれも、よろしく頼む】
 ヒカリがオフィスに入って15分くらい経っただろうか、泣き声が止んだ。2、3分してドアが開くとヒカリが顔を出した。
「みなさん。中に入っても結構ですよ」
「大丈夫かい?」とダイチ。
「収まったみたい。彼女がみんなに入ってくれって」
 オフィスの中に戻るヒカリに続いて、ダイチ、周光立、潘雪梅と潘雪蘭の順で中に入った。
 高儷のデスクに彼女の姿はなかった。しばらくするとパントリーからコーヒーの香りが漂ってきて、ほどなくコーヒーカップを6つ載せたトレーを持った高儷がやってきた。
 無言でコーヒーを飲む6人。いち早く飲み終えた高儷が言う。
[ごめんなさい、みなさん。取り乱してしまいました]
[大丈夫ですか]とダイチ。
[おかげさまで、ひとまず…すっきりしました]
[このあと一杯やろうかと思っていたけれど…今日はやめておこうか?]と周光立。
[いえ、行きましょう。飲みたい気分だわ、いろんな意味で]と高儷。
「キミも大丈夫?」とダイチがヒカリに聞く。
「ええ。私は構わないわ」
[よし、決まった。今日は君たちも同席しなさい]と周光立が双子に言う。
[え、よろしいのですか]と潘雪梅。
[業務命令…ということで]と、少しおどけた口調で周光立。
[では、喜んで]と声を揃えて二人。
 雨の上がった上海の街。李勝文に連絡して、例の店に9人の席を用意してもらった、いつもの4人+3人に制服から着替えた潘雪梅と潘雪蘭を加えて、協定締結の前祝い。「違う服を着た双子」を見るのは、ヒカリとダイチは初めてである。
 酒豪の高儷が、いつもより速いペースで飲んでいる。よく食べ、そしていつもの理知的な雰囲気はどこかに行ったかのように、大声で陽気に話し、よく笑う。ヒカリも楽しげに振る舞いながら、そんな高儷の姿が、悲しくて仕方なかった。
 21時から始まった宴は2時間少しでお開き。「できあがって」足元が怪しくなる高儷を見るのは一同初めてのこと。脈略のない話を笑いながら続け、ヒカリの肩を借りて車に乗り込む。

 夜が深まった。空気は一段と冷え込んできた。

(第4部へつづく)


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