生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第39章 アルトふたたび
キャノピーが上がり、4人はアルトに乗り込む。最初にダイチが前列右側の席に座り、続いてヒカリが前列真ん中の席につく。警務隊員の制服を着た双子は、中列の右側と真ん中に座る。ショートカットにあどけなさの残る同じ顔をした20代の二人。ヒカリとダイチには、どちらがどちらかわからない。
4人が着席したことを確認してキャノピーが下りる。
「アルト、最初にネオ・シャンハイへ向かってちょうだい」
「了解です。ヒカリさん」
黄浦江の流れの中央へゆっくりと進み、下流へ方向を変えると、アルトは速度を上げた。使われることのなくなった橋をくぐり、流れのまま左へ曲がる。くねくね曲がる川をなるべく直線で進み、右へカーブを切ると黄浦江の河口、長江との合流点に着いた。30分弱。
長興島を避けるように左へ舵を切り、さらに速度を上げて長江を少し遡ると右へ曲がり、崇明島へと向かう。正面に聳え立つネオ・シャンハイが近づいてくると、アルトは潜行して、マリンビークル基地の入口へ向かう。
上海街区の埠頭を発って約1時間。アルトは基地の埠頭に接岸し、キャノピーを上げた。
「わたし以外は、ネオ・シャンハイは初めてですね」とヒカリ。
[はい]と双子が声を揃えて言う。
ヒカリが二つ持ってきたバッグのうち、大きな空のバッグを持ち、みんなで非常食を調達に行く。ヒカリとダイチの先を双子の姉、潘雪梅が行き、妹の潘雪蘭が後ろからついてくる。二人はいつでもレーザー銃を抜けるよう、腰のホルダのところに手をやっている。
ヒカリのPITの道案内で、非常食のストックヤードに着くと、4人の今日の昼食から土曜の朝食まで賄える分に予備を加え、水と飲み物(もちろんコーヒーも)をバッグにつめると、再びアルトに戻る。ちょうど12時。
「それではアルト、ネオ・ティエンジンに出発しましょう」
「了解です」
キャノピーが下りて、アルトのモーター音が再び唸り始める。
長江の河口を過ぎて外洋に出たところで、ヒカリはアルトを停止させる。
「前のときみたいに、少しキャノピーを上げてもらっていいかしら」
「わかりました」
キャノピーを少し持ち上げると、湿り気と独特の香りを含んだ空気が入ってくる。
「これが海の香りなんだね」と感慨深げにダイチ。
「あなた方も海は初めてですね」とヒカリ。
「はい」と声を揃えて言う双子。
数分そうしていただろうか。
「そろそろ下ろしますね。アルト、キャノピーを下ろしてちょうだい」
「わかりました。では発進します」
アルトは左にターンし速度を上げた。黄海を真北に向け、ティエンジンへと進路をとる。
「アルト、予定はどうかしら?」
「はい。天候は上々で波も穏やかです。このまま海上を航行して所要予定20時間。明朝8時には、ネオ・ティエンジンに到着できる予定です」
「了解。よろしくお願いしますね」
ヒカリは他の3人に向かって、非常食を詰めたバッグのジッパーを開きながら言う。
「それでは、船内での最初のお食事といきましょうか」
昼食後、双子の一人、潘雪梅がリクライニングを倒して眠り始める。
[24時間対応できるよう、交替で睡眠をとるのです]と潘雪蘭。
「ヒカリ、ティエンジンで何をするのか、ちゃんと説明してくれないか」とダイチが聞く。
起きている潘雪蘭のほうに目をやるヒカリ。
襟元の警務隊のバッジに触れながら潘雪蘭が言う。
[警務隊員として守秘義務があります。一切口外しません。周副総書記以外には]
それを聞いて、おもむろに話し始めるヒカリ。
「ええと…アーウィン部長に聞かれて、『独立運動』と言ったわよね」
「ああ、そうだね」
「『シャンハイ・レフュージが連邦から独立する』という意味合いで言ったわ。交渉が決裂した場合、ネオ・シャンハイを連邦から奪取して、避難場所に使えるようにするの」
「そんな…一体全体、そんなことが可能なのかい?」と訝しげにダイチ。
「ネオ・シャンハイをコントロールするシスターAIを、マザーAIから切り離せば、原理的には可能です。けれど、マザーAIにしか装備されていない、『ハーツ』という基本制御ユニット無しには、すべてのAIが稼働できない。ネオ・シャンハイを連邦から切り離して動かそうとすると、その『ハーツ』をコピーして、シスターAIに装備する必要があるの」
「けれどマザーAIも、そう簡単にはそんなこと見逃してくれないだろう」
「そうね。そんじょそこらの端末からやろうとしても無理。シャンハイ・レフュージの、メインコントロール端末からアクセスすることが第一条件。統治府のオフィス以外に、避難スペースのオペレーションルームに、同じ機能の端末が設置されている」
「じゃあ、なぜティエンジンに行って、事前工作をしなければならないの?」とダイチ。
「ハッキングですから、当然マザーAIも防御と反撃をしてくる。わたしの計算ではどんなに頑張っても、『ハーツ』をコピーし終えて、シスターAIを切り離すまでに必要な時間の6割しか、時間が稼げない」
一呼吸おいてヒカリが言う。
「援軍が必要になるわ」
合点がいった、という風にダイチが言う。
「なるほど、それでネオ・ティエンジンのAIを使うわけだね」
二つ持ってきたもう一つの、二泊三日分の着替えなどが入った小さめのバッグから、ヒカリは、長さ15cm、幅10cm、高さ3cmほどの、樹脂製の箱を出してダイチに見せた。
「これをティエンジンのオペレーションルームの端末に、こっそり接続するの。わたしのPITから遠隔操作で、シャンハイから行うハッキングと同じ動作を、ティエンジン・レフュージのシスターAIから行わせることができる。2ヵ所から同時にハッキングされると、わたしの計算ではマザーAIに1.7倍から1.8倍程度の負荷がかかるはず。上海の『ハーツ』装備と切り離しに必要な時間が、何とか稼げるようになる、ということ」
「そうか。ジョンが『最近ヒカリが遅くまで熱心になんかやっている』と言っていたが、これを作っていたんだね」
「そう。武漢では手に入らない部品は、周お爺様とお会いしたときに、上海で買い揃えたの」
「じゃあ、その頃からもう計画していたんだ」
「対決する相手としてのマザーAIの手ごわさはよく知っているから」
「けれど、『シャンハイ・レフュージの独立』は、マザーAIだけでなく連邦の人間もそう簡単には認めてくれないだろう?」
ヒカリが後ろの座席に目をやる。寝息を立てている潘雪梅。ニコニコしている潘雪蘭。
「ひとつ既成事実を作ったところで、改めて交渉に臨むことになるのでしょうね、結局は。それでも、レフュージをひとつ、現実として確保しているかいないかでは、全然違うと思う」
「そのようなことになったときに、アーウィン部長とかには迷惑はかからないかな?」
「たぶんわたしの考えていることはお見通しで、それでも支援してくださると思う」
「なるほど。『取り計らう』というのは、ティエンジンでのキミの工作を目立たないようにしてくださる、ということなんだね」
「ノイズが報告されたときに、突っ込んだ原因究明をさせないよう手配して下さるはず」
「他の人たちはどうかな?」
「きっと大丈夫。連邦の科学者やエンジニアはみんな、『マザーAIに一泡吹かせたい』という気持ちを、どこかにもっているものなの」と言うと、ヒカリはアルトに話しかける。
「アルト、いままでわたしがダイチに話したことは、絶対に秘密ですからね」
「はい。私にも守秘義務がありますので」
「その割には高儷に、わたしのPITの番号を教えたわね?」
「あれは…助けを求めている方がいらっしゃったので、必要最小限の情報開示を行ったのですが、まずかったでしょうか?」
「いいえ、あのときはあれで大正解でしたよ」
「それならよかったです」
「近々、アルトも高儷と再会することになるでしょう」
「楽しみにしています」
穏やかな海面をアルトは滑るように疾走する。揺れはほとんど感じない。
「そういえば、この前、持盈との交渉で張子涵を武漢から上海に連れて行く途中、彼女が『ハネムーン』について話をしていたんだ」と話題を変えるダイチ。
「どう言っていたの」とヒカリ。
「二人でエアカーに乗っているのが、『ハネムーン』のように見えるか、と言っていた」
「へええ…で、あなたはどう言ったの」
「『見えるとしたら同性カップルだろう』って言った」
「あらら…」(なるほどね。なんて女心のわからないヒトなんでしょう)
「今のボクたちは、『ハネムーン』に見えるかな?」
「マリンビークルでしかも護衛付きだから、相当なVIPのハネムーンになるでしょうね」
「武漢自経団副書記では、VIPとしては不足かな?」
「自経団副書記といえば」と、今度はヒカリが話題を変える。
「自経団の幹部は、レーザー銃を持たされているって聞いたけれど、本当?」
「武漢の場合、支団副書記以上と公安局の局長、副局長、局長助理には、護身用のレーザー銃が支給されている」
ダイチは上着のポケットからレーザー銃を出して、ヒカリに見せた。
「これって、警務隊員の銃と同じなの?」
[ご覧になりますか?]と後ろから潘雪蘭の声。ホルダーから銃を出してヒカリに見せる。
「へえ、同じなんだ」
「銃自体は同じ型式のものだけれど、使えるモードに違いがある」
「モードって?」
「撃った相手に与えるダメージの弱いほうから順に、衝撃モード、失神モード、殺害モード、とある。このうちボクたちの銃は、衝撃モードしか使えないようにロックがかかっている。警務隊員のもつ銃は、すべてのモードが使えるようになっている」
[けれど、自身の判断で使えるのは失神モードまでで、殺害モードの使用は、警監以上の幹部からの命令がある場合に限られています]と潘雪蘭。
「なるほど、厳重なのね」と感心深げにヒカリが言う。
[ちなみに衝撃モードには、ビリビリとした軽い衝撃が走る程度から、立っていられないほどの衝撃を与える程度まで、5段階があります]
「ボクたちは大抵、下から2段階目に設定した状態で携行している」
「さっき言っておられた警監とはどういう方ですか?」
「警務隊員のうち警務隊長のひとつ下の、局長助理クラスの階級だ」
「差し支えなければ、お二人の階級を教えていただけますか?」
[ふたりとも警司です。5階級あるうちの下から2つめです]と、相変わらずニコニコしながら潘雪蘭が答える。
(つづく)