生き残されし彼女たちの顛末 第0部(前日譚) 3)ミユキちゃん
(火星授業記録その5)
ところで、火星と地球はどれくらい離れていますか?Cさん。
――...むつかしい質問です。
とてもいい答えです。公転軌道と速度の関係で、いつも変動していますからね。
それでは質問をちょっと変えます。現在、火星と地球はどれくらい離れていますか?
――ええと、6000万キロメートルくらいでしょうか。
その通りです。おそらく6000万から7000万キロメートルの間でしょう。光の速さでも3分から4分くらいかかる距離です。
火星と地球がいちばん接近するときには距離は5000万キロメートル台になりますが、逆に一番離れると、その7倍にもなります。
みなさんのタブレットのディスプレイに比較できる数字が表示されていますので、見てください。
~ディスプレイ表示内容~
地球と月の距離 約38万km
火星の直径 約6800km
地球の直径 約12800km
月の直径 約3500km
桁ちがいの数字であることがわかりますね。
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火星にいる家族とのビデオ通話は、3ヶ月に1回と制限されている。
この前マモルと通話したのは先月のこと。その時点で電波が届くのに、片道4分くらいかかった。
割り当て時間が30分だったので、4回ほどやりとりをすると終わってしまう。それでもまだましなほうで、地球と火星の位置関係によっては、片道20分もかかることがあった。
最後となったビデオ通話に、マモルは女の子と一緒に現れた。
ホシノ・ミユキちゃん。マモルよりひとつ年下。
マモルの肩に届かない背丈で、腰まで伸びた少し茶色がかった黒髪。どちらかというと小顔の部類に入るのだろうか。グレーがかった瞳の切れ長の目。細く通った鼻筋に細めの唇、少し尖った顎。
ミユキちゃんは、裾の部分にフリルをあしらったワンピースに身を包んでいた。
前にマモルからもらったビデオメッセージで見たときからひと回り大きくなっているけれど、あいかわらず小柄で、かわいらしい。
「あら、ミユキちゃん、元気? ピアノ頑張ってる?」とわたしは聞いた。
わたしのリアクションが届くまで、ふたりは最初のうちはモニターに向かってまじめぶっている。けれど、そのうち間がもたなくなってきたのか、モニターに向いたままマモルが右手でミユキちゃんの左腕をつつき、ちょっかいをかけた。モニターに向いたまま左手で振り払うミユキちゃん。また右手でつつくマモル。今度は両手で払うミユキちゃん。
ひとしきりそんなやり合いが続いた後、ふたりは向き合ってじゃんけんを始めた。お決まりの「あっち向いてホイ」だ。
マモルとミユキちゃんのそんな、じゃれあう姿。仲睦まじい兄妹のようで、一人っ子で育ったわたしにはちょっとうらやましく思えた。
8分ほどして、ミユキちゃんの答えが返ってきた。
「はい、元気です。ピアノ頑張ってます」
「『頑張り屋さん』だけが取り柄だからな」とマモル。
「また、それ~?」とミユキちゃん。
「会えてうれしいわ、ミユキちゃん。マモルとずっと仲良しでいてあげてね」
ミユキちゃんを連れてきたくれたおかげで、「最後の対面」が湿っぽくならずにすんだ。マモルに感謝しなければ。
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(火星授業記録その6)
それではこれから、「国家」について考えていくことにします。なぜここで国家について考えるのか、お話を進めていくうちにわかると思います。
みなさんのタブレットに「国家」の定義が表示されています。
~ディスプレイ表示内容~
国家とは:一定の境界で区画された土地に定住する人々からなる
団体で、他から邪魔をされずに領土・人民を支配する
権利をもつもの
国家の三要素:領土・人民・主権(統治権)
国家が支配する「一定の境界で区画された土地」が領土です。海のうち海岸線から一定の範囲や、土地の上空の一定の部分も領土に含まれます。それぞれ「領海」「領空」とよばれます。
その領土に「定住する人々」で国家に支配される人々が人民です。国家が存在することを前提として、これからは「国民」ということにします。
国家が、他の国などから口出しされることなく、自国の領土と国民を支配する力が主権、または統治権ということになります。
いま、この教室が国家になったら、どうなるでしょう。
領土は? Dさん。
――ええと、この教室の部屋が領土です。
そうですね。では国民は?
――先生と25人の生徒とあわせて26人が国民です。
そうです。そうなると、この教室で行われることはだれが決めることになりますか?
――国民である先生と生徒の26人ということでしょうか?
その通りです。
この教室が国家になると、国民である26人以外の人は、この教室で行われることに口出しできないどころか、許可がなければ中に入ることもできない、ということになります。
地球上には最も多いときで約200の国家が存在しました。21世紀末から22世紀はじめにかけて国の統合が進んだ結果、第四次世界大戦前の一番少ないときで、地球上の国家の数は約80にまで減少しました。
次に、私たちにとって現時点で「国家」にあたる国際連邦暫定統治機構についてお話ししましょう。国際連邦暫定統治機構が、厳密な意味で「国家」といえるかどうかについては、あとでもう一度考えてみることにします。
ネオ・トウキョウやネオ・ティエンジンというのは通称で、正式にはそれぞれトウキョウ・レフュージ、ティエンジン・レフュージといいます。そのほかも同じです。これらを含む世界30のレフュージは、国際連邦暫定統治機構が統治しています。
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レフュージの通称については、最初、都市名のあたまに「ニュー」をつけることになっていたらしい。ところが、ニューヨークのあたまにさらに「ニュー」をつけるのはどうか、という意見が出て、結局「ネオ」をあたまにつける、ということで落ち着いたのだという。
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(つづく)