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生き残されし彼女たちの顛末 第2部 第31章 ヒカリ、再会する

「そのときの黄建文の顔ったら、みんなに見せてあげたかったですわ」と、ビールの酔いもあってか、いつになくはしゃいだ声でヒカリが言う。
[周光来の孫の名刺を見せられて動じない奴は、上海広しといえど、こいつくらいでさあ]とタクシードライバーの李勝文(リー・ションウェン)が妻の朱菊秀(チュ・ジューシウ)を指して言う。
[なに言ってんだい。あたしだってさっき「ちゃんと」びっくりしたんだからね]と朱菊秀。
[これでさすがの黄建文も諦めてくれるでしょう。ことあるごとに「あのニッポン人の女はどこだ?」と言われてうるさかったんですよ]と人材紹介業者の劉俊豪(リウ・ジュンハオ)。
[まあ、そうやってお役に立てるんでしたら、「周光来の孫」でいるのも悪くはないですね]とその「孫」が言う。
 長老たちとの会を終えた同じ日の20時頃、4人は第3地区の中心部あたりにある料理店の奥の円卓で、ヒカリが上海で最初に世話になった3人と料理を囲んでいた。店に入ってから30分ほど経っていた。
[どうです。ここの料理]と李勝文。
[はい、とてもおいしいです]とダイチ。
[ここらじゃ人気の店でね。うちの旦那の稼ぎじゃ、そうしょっちゅう来られないですけど、贔屓にしてるんですよ]と朱菊秀。
[たしかに、席もほとんど埋まっていますね]と高儷。
[1時間前に電話して7人で囲める卓を予約できたのは、ほんとラッキーでしたよ]
 昼間の宴ですっかり酔っ払った周光立は、オフィスに戻って2時間ほど眠り、今はすっかり回復してビールのグラスを重ねている。度数の高い白酒をたっぷりきこしめした高儷だが、ずっと平然としたままで、よく飲みよく食べている。ダイチは相変わらずマイペース。ヒカリは、酒は控えて食事に専念している。

 遡って18時少し前。1台のタクシーが上海第18支団のオフィスにやってきた。「第18支団からの予約」とだけ聞いてきたドライバーの李勝文は、駐車場に車を停め、オフィスに下りていくエレベーターのところで、「タクシーの予約を受けて来た」と告げた。
[少しお待ち下さい」という受付の声にしばらく待っていると、エレベーターのドアが開いて一人の女性があらわれた。
[あ、あんたひょっとして…]
「はい、そうです。あのときの「中国語の喋れないニッポン人」ですよ、李勝文」
[ええと…そういや、あんたの名前ちゃんと聞いてなかったな。「グゥアン」だったっけ]
「こちらの方々からは「シカリ」と呼ばれています」
[じゃあ、シカリ。なんでこんなところにいるんだい。たしか武漢に行ったんだろ?]
「そのお話は後でしたいと思います。お会いして欲しい人物が3人いるんですが、よろしければお宅にお邪魔できませんか」
[ちょっと待ってくれよ。かみさんに電話する]
 李勝文はPITを出すと妻の朱菊秀に電話した。
 早口の会話。PITからは、かなり大きな声が聞こえてくる。
[…食事の用意はいるか、ってかみさんが聞いている]
「それは、外でご一緒できればと思いますので、お気遣いご無用です」
[…しょうがないねえ]と言っているらしき声がPITから聞こえ、あと二言、三言話すと電話を切った。
[ひとまずOKだ]
「ありがとうございます。では他の者を呼んできます。それから、できれば人材紹介でお世話になった方とリサイクルショップの方にも来ていただきたいのですけれど」
[わかった。声かけてみる]
 エレベーターでオフィスに下りるヒカリ。李勝文は2人にMATESを送った。
 数分たって、4人がエレベーターから出てきた。
「紹介はあとにして、まずはお宅に伺ってよろしいですか」とヒカリ。
[じゃあ、車を回してくるから]と李勝文は、駐車場に置いた車へと向かう。
 エレベーターのところで車が止まると、4人が乗り込む。ヒカリが助手席に乗り、後部座席に3人が並ぶ。
 10分ほど揺られて車は第3地区の北東、新中山路と東西一路の交差点から少し入ったあたりの、李勝文の自宅に着いた。運転席から下りた彼に続きヒカリ、さらに3人が続く。
[帰ったぞ]と扉を開けながら李勝文。
 妻の朱菊秀が早口で、憎まれ口らしきものを浴びせかけたと思うと、素早く満面の笑みに変えてヒカリに向かう。
[あー、あんた、また会えて嬉しいよ]と、ヒカリにハグする。
[元気にしてたかい、え、えーと…]
[名前は「シカリ」だそうだ]と李勝文。
「あのときはほんとにお世話になりました、朱菊秀。ここに置いていただけなければ、どうなっていたか」
 ハグを解いてヒカリの肩に両手をあてると、朱菊秀が言う。
[いいんだよ、シカリ。さあ、狭いとこだけど、お仲間の方々も一緒に入っておくれ]
 一足先に中に入って卓の上のものを寄せたり、椅子を持って来たりする李勝文。
 朱菊秀を先頭にヒカリ、高儷、ダイチ、周光立の順に中に入る。
[椅子が4つしかない。劉俊豪も来るから、隣から3つ借りてこよう]
 外に出ていく李勝文。キッチンに行って茶を用意する朱菊秀。
「最初の雇い主のところでトラブったとき、しばらくお世話になっていたのがここなんです。なんか懐かしいなあ」と、しみじみとヒカリが言う。
 朱菊秀が出してくれた茶を飲んでいると、隣から椅子を3つ借りてきた李勝文と、人材紹介業者の劉俊豪が同時に入ってきた。
「ご無沙汰してます、劉俊豪。その節は、ほんとにお世話になりました」
[シカリ、でいいんだっけ。元気そうじゃないか。ジョン・スミスのとこの仕事はどうだい]
「はい、おかげさまでよくしてもらっています」
[さて、これで面子が揃ったということだな]と李勝文。
「そういえばリサイクルショップの…」
[王黒娃(ワン・ヘイワー)かい。声をかけたんだが、「用事がある」と断ってきた]

[で、シカリ、今日は何でまたおれのところに来たんだい?]
「はい。用があって上海に来て、時間ができたのでご挨拶にと」
[しかし武漢でコンピュータの工房の仕事してるんだろ?なんで18支団のオフィスに…]
[…ひょっとしてあなた」と周光立のほうを向いて劉俊豪。
[まあ、まずはシカリの説明を聞いてやって下さい]と周光立。
「はい。ではわたしたちについて説明します。わたしとそちらの女性、高儷は、実はレフュージからやってきたんです」
[えっ?なんだって、レフュージ?]と驚く朱菊秀。 
[ということは、ネオ・シャンハイから来たってことかい?]
 李勝文と劉俊豪も驚いた顔をしている。
「高儷はネオ・シャンハイ出身ですが、わたしはネオ・トウキョウ出身です」
[けれどネオ・シャンハイもネオ・トウキョウも、空っぽになったんじゃなかったのかい?]
「6月30日から7月1日に日付が変わるときに最後の「処置」が行われました。けれど「処置」の失敗がおこって、高儷とわたしは生きて残されてしまったんです」
[あなたたち以外にも生き残りがいるのかい]と劉俊豪。
「確率的に考えると、最後の「処置」で失敗が発生するのは、各レフュージで1回あるかないかです」とヒカリが続ける。
「おそらく高儷もわたしも、それぞれ「処置」の唯一の失敗例、ということになります」
[シカリは割とすぐにネオ・トウキョウを脱出して上海へやってきたようだが、高儷はどうだったんだい]と李勝文。
[私は1か月以上ネオ・シャンハイにいて、8月の上旬に出てきました]と高儷。
[ひょんなことから、ヒカリに連絡することができたのです]
[それでいま、一緒にいるってことなんだね]と劉俊豪。
[ところで今夜の食事ですが、どこか近くでよいところをご紹介願えませんか]と周光立が李勝文に言う。
[じゃあ、ひとつ電話してみましょう。今からじゃ予約取れないかもしれないが]と言うと、李勝文はキッチンに行ってPITで電話をかけた。
[高級じゃないけど、いい料理を出すところがあるんですよ]と朱菊秀。
[…じゃあよろしく]と電話を切ると李勝文が戻ってきた。
[予約がとれました。19時半からと、少し遅めですが]
[ちょうどいい、食事前にお話ししておきたいことがあるんで]と周光立。
[昼は周家が持ったから、夜は楊家に持たせてほしい]とダイチ。
[周家に楊家? あなたがたやっぱり…」と劉俊豪。
[まあ、その先はシカリに説明させて下さい]と周光立。
「では続いて男性2人の正体について。うすうすお気づきかもしれませんが、まずはこちらの楊大地から。ジョン・スミスの計らいで引き合わされて、話してみるとわたしのいとこであることがわかりました」
[武漢の副書記で、武昌の書記をやっています、楊大地です。よろしくお願いします]
「「楊家」っていうと、じゃあやはり、あの楊守のお身内ですか?]と劉俊豪。
「はい。孫にあたります」とヒカリ。
[わかった。それであなたは周光来の…」と劉俊豪が周光立のほうを向いて言う。
[そうです。周光来の孫で第4自経団の書記をやっている、周光立です]
[それで、第18支団のオフィスだったんですね]と李勝文。
[周光立と私は高中で同級生だったんですよ]とダイチ。
[それにつけても、これだけのお歴々がなんでまた、こんなむさ苦しいところにお見えになったんで?]と李勝文。
[ひとつは、私のいとこであるヒカリがお世話になった方々に、私からご挨拶をしたかったからです]とダイチ。
[それともうひとつ。最近いろいろと噂になっている「星」のことについて、みなさんにお話をさせていただきたいのです]と周光立が言い、幹部や長老たちの前で行った話のダイジェストを、ダイチと周光立から3人に披露した。
[ということは、上海の幹部の意見をまとめて、連邦との交渉が首尾よくまとまれば、おれたちはみな、ネオ・シャンハイに避難する、ということなんですね]と李勝文。
[そりゃまた、大変な引っ越しだね。上海だけでも40万だろ。武漢や重慶とかからも運んでこなきゃならないし]と朱菊秀。
[ネオ・シャンハイのシステムの改修も大変でしょう]と劉俊豪。
「わたしはネオ・トウキョウで情報系の仕事をしていましたが、今回のプランを進めるには、一定のスキルを持ったエンジニアが、おそらく最低でも10人は必要と考えています」
[李勝文、劉俊豪、お気を悪くしないでほしいのですが、公開情報のレベルでお二人の経歴を調べさせていただきました。まず、お二人ともお住いの区の区長助理でいらっしゃいますね。そのうえ、李勝文は昨年度まで上海タクシー協会の理事を2期務めておられたとか。劉俊豪は、ご自身がエンジニアの経験があるうえに、いまは人材介紹協会の事務局のお仕事もされていて、特にシステム系の人材に広いネットワークをお持ちのようで]と周光立。
[理事ったって、持ち回りのようなものだけどね]
[協会の事務局といっても、やってるのは雑用ですが]
[さきほど朱菊秀も言われたように「大変な引っ越し」をやるには、運搬する手段を確保しなければなりません。大量に運ぶのは船やバス、トラックですが、小回りの利くタクシーも重要です。李勝文、お力を貸していただけませんでしょうか]
[いや、おれでよければいくらでもお助けしますが]と、満更でもなさそうな李勝文。
[それから劉俊豪。さきほどシカリが言ったように優秀なエンジニアを集めなければなりません。ぜひお力添えを」と周光立。
[優秀なエンジニアとなると、それなりに値は張りますが、よろしいですか]
[もちろん。エンジニアもタクシーも、正当な対価をお支払いします]
[「ビジネスにはビジネス」でしたよね]と高儷。
[なんですかい、そりゃあ]と李勝文。
[今日、さる女性のビジネスパーソンから言われた、箴言です]
[ビジネスだろうが何だろうが、うちの旦那で役に立つんでしたら、いくらでもこき使ってやって下さいよ]と朱菊秀。
 19時10分頃になろうとしていた。
[予約した店まで歩いて10分ほどだ。そろそろ出かけましょうか]と李勝文。
 7人は李勝文を先頭に料理店に向かった。

 宴はいろいろな話で盛り上がった。周光立はダイチとの高中時代の武勇談(といっても悪戯に毛が生えた程度のかわいいものだが)を披露した。劉俊豪は変わり者のエンジニアの生態について。朱菊秀は李勝文との馴れ初めについて。
[「きっと幸せにする」とかなんとか言っといて、約束果たす気があるんだかどうだか]
 ヒカリと高儷が話すレフュージの生活については、やはり李勝文、朱菊秀、劉俊豪が非常に興味を示した。
[けど、そんな具合だとタクシードライバーなんか要らなくなっちまうな]と李勝文。
[移ってから後、住民のみなさんにはできる限りこれまでのお仕事、またはこれまでと近いお仕事をしていただけるようにしようと考えています。「人間にできることは人間に」です]と周光立。
[それもさるビジネスの方の箴言ですかい]
[いえ、これはそこにいる我らが高儷姉さんの、ありがたいお言葉です]
[あら。酔っ払ってそんなこと言っちゃったのかしら、私」と高儷。
[そうそう、自経団の体制もそのまま持ち込もうと考えています]とダイチ。
[これだけの仕組みを使わない手はないですね]
[もっともだ]
 区長助理仲間の二人が口々に言う。

 デザートのあと、しばらく茶を飲みながら話が続き、22時近くになった。
[みなさん明日もおありでしょう。今日のところはそろそろお開きにしましょうか]と周光立。相当飲んだが今はしっかりしている。
[車を呼びますぜ。劉俊豪、どうする]
[私は歩いて帰るから]
 PITを出して李勝文が電話をかける。最寄りの空車のドライバーにつながるようになっているらしい。
[5分で来るそうです]
「今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました」とヒカリ。
[嬉しかったよ、シカリ。娘が2か月のうちにずいぶんと成長して、帰ってきたような気にさせてくれた]と朱菊秀。
[ジョン・スミスによろしく。上海に来たら寄れよって]と劉俊豪。
「わかりました。伝えます」
 李勝文がヒカリ以外の3人に名刺を渡していると、ほどなく車がやってきた。
 入口のところでみなが握手を交わす。朱菊秀はヒカリにハグして言う。
[しっかりやんなさいよ]
 4人がタクシーに乗り込み、発車する。見送る3人。

(つづく)


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