見出し画像

星座の先のエピローグ ~生き残されし彼女たちの顛末 第6部~ 第105章 亡くなるもの、生まれるもの、育つもの

 ママが亡くなっても、時は止まらない。
 亡くなった日の翌日に、火星のミユキはアカデミー中期課程の2年次に進級した。
 ボクはママの遺品のうち、明らかに要らないものを捨て、持って帰って手元に置いておきたいものをピックアップし、残りは周光立さんに管理をお願いした。それだけ片付けると、ボクは7月5日の夕方に、ミニプレインを操縦してネオ・トウキョウに戻ることにした。ママの最後の面会のときに一緒になった人たちが見送りに来てくれた。ずっと言葉を発しなかったカオルさんが、ひとこと「元気で」と言ってくれた。

 ネオ・トウキョウに戻ると、今まで以上に調査隊の活動に没頭した。夏になり寒さが和らぐと、草が芽吹き、花をつけた。過酷な環境を生き抜く逞しさを感じさせない、可憐で儚げな花々だった。極寒の冬に生命が消えたかのように見えた大地が、季節が廻り生命が蘇る。教科書では学んでいたが、実際に目にするとその力に圧倒されるような気がした。

 2301年の6月、ミユキはアカデミー中期課程を修了し、音楽と教育学の修士号を取得、音楽教員として認定された。7月から居住区内のミドルスクールで臨時教員として働きはじめ、「地球コミュニティー支援メンバー」へのアプライの機会を待った。
 2302年5月に火星を発つ地球コミュニティー支援メンバーの派遣が決まり、2月から募集が始まった。さっそくミユキは「ネオ・シャンハイの音楽教員を希望」としてアプライした。4月15日に選考結果通知。希望通りネオ・シャンハイの音楽教員として派遣メンバーに選ばれた。かつての天才少女ピアニストの「華麗なる転身」は、火星内で結構大きく報道されたらしい。
 5月15日、ミユキは月へ向かうスペースプレインで火星を後にした。10ヶ月の航行で2303年の3月19日に月のスペースステーションに到着。ボクと同様2週間の休養期間の間に、リチャードソン船長とアーウィンのおじさんに会った。ボクが会ったときから3年が経ち、船長は航宙士養成校の校長に、アーウィンのおじさんは連邦統治委員会の委員を退任し、情報通信局の顧問になっていた。
 ミユキのネオ・シャンハイ着が4月6日になると聞いていたボクは、調査隊長に権利休暇の取得を申請した。4月3日から9日までの1週間。まとまった休暇の取得は、ママの危篤から葬儀のとき以来だったので、すんなりと承認してもらえた。
 往路は、高儷(ガオ・リー)さんにお願いして、ママのことをよく知っている、マリンビークルのアルトに迎えに来てもらうことにした。そして帰路は、張子涵(チャン・ズーハン)さんにお願いして、ハバシュさんのミニプレインで送ってもらうことにした。

 4月3日。ネオ・トウキョウのマリンビークル基地に行くと、アルトが話しかけた。
「マモルさんですね。お待ちしていました」
 ママが言ったとおりのアルトの音域の素敵な声でそう言うと、アルトはキャノピーを上げた。最前列の真ん中の席に座ると、キャノピーが下がり発進体制に入った。
「よろしいですね。では発進します」とアルト。
 潜行状態になるとアルトが予定を告げる。
「現在トウキョウ時間の4月3日13時。気象状況から、ネオ・シャンハイ到着は4月5日の午前7時。現地時間の午前6時です」
 道中、アルトはママとの思い出を話してくれた。最初にネオ・トウキョウからネオ・シャンハイに行ったとき。高儷さんの救出に向かったとき。ダイチおじさんたちとネオ・ティエンジンに行ったとき。ネオ・シャンハイへの避難プロジェクトの活動が本格化し、毎日何往復もした頃。ママが反対派に拘束されて、指定の場所に運ばせられたとき…
「ヒカリさんがいなくなって、私のことを使ってくれる人もめっきり少なくなりました。そろそろ引退、というか『お払い箱』かもしれません」
「そんな。まだまだエンジンも快調だし。大丈夫ですよ。そうだ。張子涵さんにお話しして、彼女の会社の仕事をできるようにしてはどうでしょう」
「ありがとうございます。マモルさん。そうなれば嬉しいです」
 ネオ・シャンハイには、4月5日の現地時間午前6時少し前に着いた。張子涵さんがマリンビークル基地に迎えに来てくれたので、その場でアルトのことについてお話しした。
[なるほど、そいつはいい考え。小型ビークルでの輸送にぴったりの仕事を作れそうだ。アルトなら気心も知れてるし、さっそく払い下げの申請をしてみるよ」
[よろしくお願いします。張子涵さん]と嬉しそうにアルト。
「じゃあ、アルト。ありがとう」とボク。
「マモルさん。どうぞお元気で」

 今回の滞在中お世話になる張子涵さんのお宅へ伺い、ジョン・スミスさんが調理した朝食をご馳走になった。二人のお嬢さんの光(グゥアン)ちゃんは、6歳になっていた。プライマリースクールの1年。
 仮眠ののち、張子涵さんが運転するエアカーで、ネオ・シャンハイの街区を案内していただいた。
 ネオ・シャンハイに避難した時点で、自経団はシャンハイの10にウーハン、チョンチン、チェンドゥのあわせて13があった。このうち人口の少ないチェンドゥはチョンチンと合併して、チェンドゥ=チョンチン自経団となった。
[そして12の自経団全体を統括する責任者だったのが、我らが周光立(チョウ・グゥアンリー)前総書記ということさ]
「周光立さんと陳春鈴(チェン・チュンリン)さんのお子さんは、そろそろ3歳ですか?」
[ああ。元気な男の子だよ。やんちゃでね]

 翌4月6日。ミユキを乗せた月からのスペースプレインの到着は、13時の予定だった。ボクは、張子涵さんと高儷さんと一緒に、ネオ・シャンハイのターミナルへと向かった。
 13時少し前にプレインの着陸がアナウンスされ、30分ほどして、登録手続きとMPワクチンの接種を終えたミユキがゲートから出て来た。
 直接に会うのは初めての張子涵さんと高儷さんに、はにかんだ風に挨拶するミユキ。
「はじめまして。ホシノ・ミユキです。お世話になります」
[熱烈大歓迎さ。あたしは張子涵]
[高儷です。よろしく。背格好がヒカリと同じくらいね]
 ボクが火星を発った時点で150センチくらいだったミユキは、演奏活動を休止した頃から急に身長が伸び始め、つい最近まで伸び続けていたという。
「いま、何センチくらい?」と、ボクは再会の最初の言葉をこう述べた。
「165くらいかな」とミユキ。
[じゃあ、ヒカリと同じくらい。スリムだし、彼女の服が着られそうね]と高儷さん。
「もう『チビっ子』とは呼ばせないからね」と、薄い唇をとんがらせてミユキがボクに言う。その表情は昔のままだ。
 ミユキの住む部屋は、ウーハン自経団ウーチャン支団の街区の一角にあった。ママが住んでいた地域だ。
[あたしらの住んでる街区だから、ちょうどいい]とエアカーを運転しながら張子涵さん。
[何かあったら、いつでも頼ってくださいね]と高儷さん。

(つづく)


いいなと思ったら応援しよう!