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生き残されし彼女たちの顛末 第5部 第87章 翼をください

 連邦派遣の2人の整備士が、夜を徹してスペースプレインの修理を試みたが、修理不能との結論になった。直すためには、連邦からエンジニアの派遣を依頼しなければならないレベルだが、仮にそうしたとしても、インパクトまでには間に合わないという。
 大型船の航行不能が相次ぐ中で、重慶、武漢の移動のまさに主翼を担う存在となったスペースプレインの戦線離脱に、今まで以上の衝撃が走った。
 周光立以下前回と同じメンバーで緊急の対策会議を開き、暫定計画を立案、実施することを決定した。前提は以下の通り。
・上海の弱者の移動のうち、機材に余裕のあるマリンビークルによるものを拡大し、ミニプレインの編隊をスペースプレインの代替とする。一編隊4機で定員計約50名とし、武漢は1日4往復、重慶は1日2往復運航する体制に。
・武漢便の大型船を1隻、重慶便に転用。
 決定を受けて、民生第一部の窓口スタッフから、重慶、武漢の影響の出る移動者へ班を通じて連絡、調整を行った。
 5月7日水曜日時点で、重慶は第3支団第26区まで移動が終了していた。残り5区。武漢は漢口支団が移動終了。残りは武昌支団の全15区だった。

 5月8日木曜日に正式の対策会議が開かれた。今回は連邦への支援が必要な状況のため、月も結んだVRミーティング。上海対策本部、重慶、武漢は、これまでの計画見直しの際と同じメンバー、そして月はマオ対策支援グループのマルフリート・ファン・レインGM以下メンバー6人全員が参加した。上海対策本部として、代替のスペースプレインの派遣を正式に要請。
【ムンバイに打診してみたのですが、大型船は難しいようです。定員100人クラスの小型船でもよいでしょうか】とファン・レインGM。
[派遣期間にもよりますが、少しでも可能なものはいただきたい状況です]と周光立。
【了解しました。AOR収容対策本部に調整を正式に依頼します。少しお時間をください】
[ありがとうございます。派遣不能の場合の代替案立案もありますので、いずれにしても1週間以内には結論をお願いします」
 月とのミーティングの終了後、上海、重慶、武漢のメンバーで引き続き検討した。追加対策として、武漢便のうちもう1隻を重慶に就航することに。代替機の派遣が不能の場合の対応として、重慶全員を船とミニプレインで輸送し、武昌は弱者をミニプレインで輸送、一般移動者は船と、車両による陸送を組み合わせて輸送する方向で、検討することとした。
 武昌書記のグエンは、当初予定では本日武昌発だったが、少なくとも代替機派遣の結論が出て見直し計画が確定するまで、武昌に留まるよう予定を変更した。代わりに副書記のクリシュナ・ヴァルマが予定を変えて、次の便で移動し、ネオ・シャンハイ側での采配を振るうこととなった。

 5月10日土曜日、小型船にも相次いで戦線離脱がおこり、上海からの移動が、この日以降1日5区から4区に 縮小することになった。再び予定が後ろ倒しになったが、上海については5月中には後衛部隊以外の全員の移動が終了する見込み。窓口スタッフからの予定変更の連絡がまたも必要になり、運営サポートの陳春鈴も忙しい日々が続く。
 そしてこの日、武昌支団からの第一陣として、第1区の住民が到着した。

 5月14日水曜日時点で武昌第2区、第3区が移動終了し、第4区のうち4分の一にあたる約200人がミニプレイン編隊にて移動を終了していた。
 そしてその日の夕方、待ちに待った月からの代替機派遣についての結論が告げられた。
 周光立、ダイチ、ミシェル・イー、カオルと月のファン・レインGMとのPIT会議。
【連邦スタッフ撤収時に派遣する予定だった最大定員120名の小型機を、5月26日中にトウキョウ発シャンハイ着で派遣することが決定しました】とファン・レインGM。
[ありがとうございます!]と周光立。
【お分かりかと思いますが、撤収期限である6月7日の前日には、撤収スタッフを乗せてトウキョウへ向かう必要があります】
[シャンハイでの運用は、5月27日から6月5日までの10日間ということですね]とダイチ。
【そうです。短期間で誠に申し訳ないです】
[とんでもありません。それだけでも全然違います]と周光立。
【なんとかこれでやりくりをお願いします】
[ご尽力、ありがとうございます]
【お礼なら、ムンバイのアーウィンGMに言ってください。彼が熱心に調整してくれなければ、実現しませんでしたから】
 アーウィンには、周光立、ダイチ、ミシェル・イー、カオルの連名でお礼のメールを送った。「また会える日を心待ちにする。健闘を」とのメールが返ってきた。

 代替機の派遣が決定したことから、正式な計画見直しを行う。メンバーは従来と同じ。
 立案の前提を以下の通りとした。
・すでに船便での移動が確定している区以降、重慶は全員代替スペースプレインでの移動とする。一日あたり3往復、300人を輸送する。
・武昌は引き続き一般移動者を船、高齢者、弱者をミニプレイン編隊で輸送し、合間にミニプレインによる全員対象の分割輸送を入れる。重慶終了後は、スペースプレインも輸送に加わる。
 例によってシリラックとヒカリがシスターAIに計画を立案させた。その結果は、重慶は6月2日に終了、6月5日に後衛部隊も撤収し完了、武昌は6月6日に終了、後衛部隊の撤収完了は6月11日になるというものだった。
 すぐに計画案はカオルを通じて重慶、武昌に提示され同意を得た。関係する移動者への班を通じた連絡、調整が、窓口スタッフによりすぐに始まった。
[不測の事態は、もうこれで最後にしてほしいものだわ]とは、秘書の陳春鈴の言。
 武昌支団書記のグエンは、当初の予定を変更して少なくとも見直し計画ができるまでは武昌に留まることとしていたが、武昌の完了がかなりぎりぎりになることから、先にシャンハイ入りさせた副書記のクリシュナ・ヴァルマと相談し、最終の第15区と同時に移動することとした。

 5月16日金曜日、最新のインパクト予測が送られてきた。マオ対策支援グループGM補のハーニャ・ゼレンスカヤ科学技術局観測予報部長からの報告内容は、予測地点の中心が南緯21度、西経103度と前回予測から緯度が1度南に、経度が2度東へ移った、予測円の半径が前回の300kmから100kmに狭まったとのこと。南太平洋の海上は変わらず。予測日時は2290年6月13日の22時07分~22時19分(UTC)。上海時間で14日の6時7分~6時19分。

 残っている4隻の大型船とミニプレイン編隊による輸送により、5月19日月曜日時点で、重慶は全30区のうち第27区まで、武昌は全15区のうち第4区まで終了していた。
 一方上海はさらに小型船がリタイアし、5月23日金曜日から一日の移動が4区から3区に縮小した。移動終了予定が6月1日、後衛部隊撤収完了予定が6月6日。かなりギリギリだが間に合う見込み。残り3支団なので、窓口スタッフからの変更連絡、調整も短時間で終わった。

 デイヴィッド・カール・リチャードソン船長が操縦する多目的型スペースプレインMP1027号が、ネオ・シャンハイに寄港するのはこれが4度目だった。ファン・レインGMの言葉の通り、ネオ・トウキョウを発って5月26月曜日の15時に、朝から曇り空で湿度が高いネオ・シャンハイのプレイン基地に到着した。
 エンジンを停止させて、船長と副操縦士が降りてくる。航空司令補としてすっかり貫禄がついたハバシュとリチャードソンが、再会のハグをする。他に出迎えは周光立、ダイチ、ミシェル・イー。ダイチの運転するエアカーで一行は本部オフィスへ向かう。
 運行シフトに入る3人の航宙士が合流し、ドリンクで一息ついた後、さっそく運航計画を確認する。MP1027号の最大旅客定員は120名。携行品のことも考え、1フライトの輸送人員は100人を基本とする。重慶就航時は1日3往復。武漢は4往復。翌27日の重慶便から運行に入る。リチャードソンと副操縦士の初回のフライトにはハバシュが同乗してナビをする。
 重慶は残り3区。大型船1隻とMP1027号による輸送で、後衛部隊以外は6月2日までに終了する予定。武昌は残り8区。大型船3隻とミニプレイン編隊で輸送。重慶終了後にMP1027号が武昌の輸送に加わり、撤収日の前日である6月5日まで稼働。武昌の終了と重慶の後衛部隊撤収まで輸送に加わる。
 その後リチャードソンが、先にシャンハイで活動していた3人のスペースプレイン操縦士に、MP1027号のオリエンテーションとテスト飛行を行った。
 リチャードソンと副操縦士も、プレイン基地横の宿泊施設を宿所とする。

 翌27日火曜日、重慶への初フライトとなるMP1027号の客席には、ネオ・シャンハイまで操縦してきたリチャードソンと副操縦士がいた。ハバシュが地形と目標物について差し示すも、生憎の雨模様で視界が悪い。視認が難しいところは。口頭で補足説明する。
 2時間ほどのフライトで重慶に到着する。いったん地上に下りて、乗り込むネオ・シャンハイへの移動者たちを眺める。
【君は、こちらに来てから重慶や武漢は何度も往復しているんだよね】とリチャードソン。
【ええ。ミニプレインで何度も】とハバシュ。
【スペースプレインは?】
【こちらに来てからは、もっぱらミニプレインです】
【私は今回こちらに来て、本当に久しぶりに地球内の航行をした】
【惑星間航行が、ご専門でしたからね】
【だから、地球のこの密な大気の中を飛行するのは、とても不思議な感覚がするんだよ】
【私も最初はそうでした。でも、もうすっかり慣れました。なんかこちらのほうが肌に合っているような】
【ははは。若いから適応が早いんだね】
 ネオ・シャンハイへの復路、重慶からの移動者でほとんど席の埋まったMP1027号の客席の隅で、再び3人は窓から外に目をやって、航路の確認を続けていた。
 初日の2回目、3回目の重慶へのフライトは、リチャードソンと副操縦士がコックピットに乗り込んだ。操縦席後ろの補助席にハバシュが座り、時々アドバイスをする。さすがにベテランの操縦士だけあって、3回目には完璧なフライトをこなしていた。

 5月29日木曜日時点でまだ移動待ちの住民を抱える区は、上海が9区、重慶が2区、武昌が5区だった。万が一の場合でも連絡、調整が必要になる業務量が少なくなったことから、本部一般スタッフのうち上海に残っていた窓口スタッフ40人のうち、25人がネオ・シャンハイに移動することになった。秘書としてサポートにあたってきた陳春鈴も移動することになり、張皓軒と15名が最後まで残り、後衛部隊の一員として移動する。
 翌30日金曜日、上海の最後に移動する第50支団の住人たちとともに、陳春鈴と25人の窓口スタッフが集合場所にからバスに乗り込み、長江の上海側の埠頭から小型船に乗り、ネオ・シャンハイの埠頭に着く。一行がゲートで登録を終えると、周光立が出迎えた。
 度重なる計画変更への対応に労いの言葉を述べ、「引き続き所属の区で住民サポートにあたってほしい」と告げた。

 陳春鈴の所属する武昌第15区はまだ移動が始まっていないことから、彼女は周光立に伴われて、いったんスタッフ用の宿泊施設に荷物を置き、シャンハイ本部オフィスに向かった。出迎える懐かしい面々。張子涵、ジョン・スミス、高儷、そしてヒカリ。張子涵以外とは本当に久しぶりなので、無事の再会を喜ぶ。それから彼女は、本部秘書として明日からともにシャンハイ本部全体のサポート業務を行う先輩になる、杜美雨のところに改めて挨拶に行った。
[上海での業務、お疲れさまでした]と杜美雨。
[いろいろあって大変だったけれど、なんとかこなせました]と陳春鈴。
[こちらも仕事が山ほどあります。今日はゆっくり休んで、明日からよろしくお願いしますね]
 本部オフィスを後にすると、陳春鈴は成都自経団の避難スペースに向かう。
[陳春鈴!」と言って、汪花琳が駆け寄る。二人は昨年11月の成都での区長助理総会のときに出会って仲良くなった。
[会いたかったよぉ、汪花琳!」
 二人はしっかりと抱き合って再会を祝した。
[リアルでは、本当に久しぶりだよね]と陳春鈴。
[うん。5ヶ月ぶりだね。今日はこのあと休み?]
[うん]
[部屋寄ってく?]
[じゃあ]
 二人は肩を並べて、汪花琳の個室へと向かった。

(つづく)


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