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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第48章 最終日

~ミシェル・イーの手記より 4~

10月11日 金曜日
 朝7時にすっきりと起床。やっと時差を克服したと思ったら、上海での予定も今日が最後。明朝、月に向けて発つことになる。
 シャワーを浴びて身支度し、8時少し前に食堂へ行く。オビンナ団長とシリラックはすでに来ている。しばらくするとミニプレインのエンジン音が聞こえ、8時過ぎに武漢組の5人が食堂に入ってきた。8人そろっての朝食。今日は西洋式、中国式の他にニッポン式も用意されるとのことなので、私はニッポン式をいただくことにした。
 朝食が終わると、小ぶりのカバンを持ったハバシュを部屋に案内した。今夜は同室となる。彼女は、今日は別行動で、夜の宴に合流する。マリンビークルのアルトでネオ・シャンハイからやってくるリチャードゾン船長を、李勝文の車でピックアップし、そのまま上海の街区を案内してもらうとのこと。第6地区の屋台街にはぜひ行ってみるように、と話しておいた。
 今日は上海真元銀行総裁との9時半のアポから始まる。周光立と高儷が8時50分頃に到着。9時頃から初日と同様に二手に分かれて、第1地区にある上海真元銀行本店に向かう。今日もよく晴れている。
 会議室に通されると、奥側に5人の席が、手前側に6人の席が用意されている。私たちが奥側の席に回るとほぼ同時に、上海真元銀行の2人が入ってきた。総裁の唐小芳と理事の一人蕭凱だ。初対面同士が握手して挨拶ののち、奥の席に連邦側の5人、手前側の席の中央2席に総裁と理事、外側2つに残り4人が2人ずつ分かれて着席。オビンナ団長が唐小芳総裁と、私が蕭凱理事と向き合う形。
 オビンナ団長が改めて来訪の趣旨を説明すると、早速先に渡しておいた連邦財務局からの質問書に対する回答書が、総裁から団長に渡された。団長から手渡された回答書にざっと目を通す。概ね問題なさそう。申入書と回答書と合わせて、上海真元銀行に関して知らされた事項のポイントについて、口頭で改めて確認する。
 一通り確認がすむと、理事の蕭凱からどのような印象か、と尋ねられた。私から、財務の健全性、制度と運営、書面など、通貨発行権を持つ銀行として問題のない水準であると思う、と申し上げ、書面をさらに精査して確認したい事項があれば、周光立を通して質問させてもらうことを申入れた。
 アーウィン副団長から、自経団と上海真元銀行の関係について質問。唐小芳総裁が、「経世済民」を自経団とともに実現するための組織が上海真元銀行であること、自経団と上海真元銀行は切っても切れない、まさに「唇亡歯寒」「輔車相依」の関係にあることなどをお話しされた。
 11時半頃、上海真元銀行を辞して、街区の北端を東西に走るメインストリートを東に向かい、第9地区の料理店へ。南京酒家という、上海でも三本の指に入る料理店とのこと。上海最大の企業グループである、持盈商業流通集団の董事長の田国勝を初めとする、上海ビジネス界の重鎮9人が迎えてくれた。そのうち一人、商物流業者の南京会会長の林孝通が、南京酒家のオーナーである。
 二つのテーブルに分かれ昼食会が始まる。ネオ・シャンハイに移ったのちの産業振興について意見交換。人手が主体の上海の産業構造と、ネオ・シャンハイの自動化されたインフラとどのように整合性、棲み分けを図っていくか。民生の安定には雇用の確保が欠かせない。
 南京酒家を14時頃に発ち、周光来の屋敷へ戻る。秘書とアシスタントの出迎え。私たちが滞在していた一画とは別の側へと案内され、重厚な家具が揃い、楕円形のテーブルに8人の席、右手側に執務机らしいものが置かれた部屋へと通された。執務机側の真ん中の席をひとつ開けて、その両脇に周光立とミヤマ・ダイチが座り、残りの5席に私たちが座った。周光立とミヤマ・ダイチの横に椅子が用意され、それぞれ高儷とミヤマ・ヒカリが腰かける。
 アシスタントの女性が運んでくれたお茶を飲んでいると、奥の扉が開いて、杖をついた89歳の老人が秘書の介添えで入ってきた。場の雰囲気が一気に引き締まる。
彼こそ、この屋敷の主人にして上海の最高実力者、周光来である。

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[ようこそおいでになられた。今日までみなさんの前に姿を現せず、誠に申し訳ないことでした。寄る年波には勝てませんでな]
 周光来が言葉を発し、立ち上がって迎えた全員に着座するように促した。
【本日は周光来閣下にお目にかかる機会をいただき、誠に光栄に存じます】とオビンナ団長が代表して謝辞を述べる。
[私のほうこそ、誠に喜ばしい限りです。このように連邦の方々と友好的にお会いできる時がくるとは、長生きもしてみるもんですなあ]
 副団長のアーウィンがこれまでの経緯を話し、今後の見通しについて説明した。
[みなさんご存じかと思うが、私は若い頃に連邦と悶着をおこして袂を分かった身。今回の話があったとき、最初はいろいろと思うところがありました]
 一呼吸おいて周光来が続ける
[しかし、上海はじめ長江沿岸の住民がマオの衝突をやり過ごして生き延びるには、ネオ・シャンハイに避難するのが最良の策であると周光立や楊大地、ミヤマ・シカリ、高儷から説得されました。過去のことは過去のこととして、住民の未来、特に若い者たちの将来のため、連邦の支援を仰ぐことで納得したのです]
【自経団と上海真元銀行をそのまま持ち込む、ということについても、必ずや実現させてみせます】と力強い声でアーウィン。
[さよう。それが最も円滑に進める方策です。ただ、医療と教育については、連邦の最先端のものを提供してもらいたい。特に教育です。連邦市民としてこれから人生を長く生きていく若い者たちに、最高の教育を与えてやることが重要です]
[雇用確保と産業構造の転換、という点からも教育は重要だと思います]とミシェル・イー。
[その通り。頼みましたぞ]と周光来。
 オビンナから乞われ、周光来がその若き日々について語る。第四次世界大戦を生き延びたこと。上海真元銀行を設立したこと。楊守と楊清道の助力を得て、上海で自経団を組織し、上海全体に広げたこと。年をとると最近のことより昔のことのほうが鮮明に思い出せるようになる、というが、周光来の語る当時の話には、情景がありありと浮かぶ臨場感があった。
 厨房からいい匂いが漂ってきた。上海屈指の料理店である鶴雲楼から料理人が二人派遣されて、専属の料理人といっしょに今宵の宴の料理を準備している。
 17時少し前に市内の視察を終えたリチャードソン船長とハバシュ副操縦士が到着。調査団メンバーはいったん各自の部屋へ向かう。リチャードソンには個室が用意された。
 周光立ら4人は、宴の会場となる広間へ。50平米くらいの長方形の部屋。劉静と呂鈴玉、運転手の3人がセッティングしているのを手助けする。周光来主催の今夜の歓送会は立食パーティーで、料理が盛られる大型の丸テーブル3つと、飲み物が給仕される長方形のテーブルひとつ、さらに小型の丸テーブルが4つセットされる。どのテーブルにも白いクロス。
 配膳と給仕の応援スタッフとして、鶴雲楼から派遣された二人が18時半頃に到着。
 19時開始にあわせて、参加者が次々と到着する。上海自経団から総書記の艾巧玉ことアザヤ・ツォクト・オチルと副総書記の蒋霞子。上海真元銀行から総裁の唐小芳と理事の蕭凱。もう一人、30代の男性がやってきた。「よおっ」と手をあげて周光立とダイチに挨拶する。
 開始10分前。飲み物の用意がすんだ頃に、劉静と呂鈴玉が、調査団員たちの部屋を回って準備ができた旨伝える。航宙士を含む7人のメンバーを、会場の広間へと案内する。
 19時5分前には、周光来を除く参加者全員が広間に集まった。

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~ミシェル・イーの手記より 5~

 参加者の中には、初めて顔を見る30歳くらいの男性が一人加わっている。
今宵のホスト周光来が劉静の介添えで入ってきた。並べてある椅子の一つに腰かける。
 周光立が前へ進んできて「ホストが高齢なので、代理で孫の自分が挨拶する」と言って話し始める。私たち調査団に対する慰労、総書記や総裁たちへの協力への感謝を述べる。明日、月へと発つ調査団のメンバーを交え、心行くまで会話を楽しんで欲しい、とのこと。
 ここで、周光立は例の男性を呼び、彼は前へ出て横に立った。名前は馮万会。4地域で最大の通信社である「長江新報」の主任編集員。彼には今回の件を「OKを出すまでは絶対に記事にしない」という約束で、以前から話していた。協定発効とともに大きく配信してもらうつもりでいたが、昨夜になって「調査団がネオ・シャンハイを離れた後に、簡単な記事を配信してはどうか」と考え、馮万会に今宵の会への参加を頼んだ。この会場のメンバーに異議がなければ、明日午後、記事配信を行いたいとのこと。オビンナ団長が隣のアーウィン副団長と目配せをし「異議なし」と答える。他も異議はなく、明日の配信が決まった。
 干杯用の白酒がみなに配られる。イスラム教徒のハバシュはソフトドリンク。周光来が立ち上がって音頭をとる。「4地域の住民の安全と、連邦の発展を祈念して、干杯」。ほとんどの者が一気に杯を干す中で、ミヤマ・ヒカリと私は加減をする。不慣れなマルティネスとシリラックが、むせて咳き込む。会場から笑い声。
 本格的な中華料理と西洋料理。中華はおもに鶴雲楼の二人の料理人が、西洋料理はおもに専属の料理人が担当したとのこと。色とりどりの前菜。目移りする中から皿に盛る。飲み物は白酒、黄酒とビールにソフトドリンク。料理と酒を楽しみながら思い思いに歓談。
 長江新報の馮万会は、調査団員のところを回って自己紹介とインタビュー。私のところにも来た。彼は周光立とミヤマ・ダイチの高級中学での先輩で、昔から交流があったとのこと。協定発効後の正式記事に盛り込むことを希望するトピックスはないか、と聞かれたので、「住民の避難が無事完了できるよう、協定発効後も支援していきたい」と答えた。
 次々とメインディッシュが運ばれてくる。ニッポン風のカレーライスがあった。ニッポン人のミヤマ・ヒカリではなく高儷がレシピを料理人に教えたとのこと。高儷は料理が趣味で、ネオ・シャンハイにいた頃もほとんどクッキングマシーンを使わず、自ら料理をしていたらしい。ミヤマ・ヒカリは、料理ができなかったのを、高儷の指導で目下修行中。

(つづく)


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