2024年2月18日東京ドームで行われたオードリーのオールナイトニッポンのイベントに参加してきた。チケット倍率3倍以上の中、なんとかステージ裏を手に入れて幸運に感謝しながらライブを東京ドームの客席で見た。 オープニングでライブのテーマ曲である星野源さんの「おともだち」にのせたウェルカムムービーをみて様々な記憶が蘇ってきた。 動画の内容としては中学?高校?の時に同じ部活で毎日キャッチボールしていたある2人の少年が、受験をきっかけに疎遠になったが、オードリーの東京ドームライブを
あるテレビ番組で紹介されていて気になったことがきっかけで、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読んだ。 冒頭を読んで、そもそも僕は暇で退屈という感覚が全くわからないと感じ、一旦本を置いてその理由を考え始めてしまった。 僕は田舎出身で家から学校まで距離があったため、一人でただ歩いていないといけない時間が膨大にあった。話し相手もいないなかで、自分で何か楽しみを見出さないといけないということで、色々な空想に耽ったり、道路に落ちている石とかの何の変哲のないものから何か遊びを考え
今日は暇だったので、ふと久しぶりに絵でも描こうと思い、喫茶店でノートを開いた。描きはじめようと思ったところで、ふと自分の欠点に気づいた。 描く絵の全体の構図を決められない。 描きたい光景は頭の中にあるのに、構図を決めてから描こうと思うと、そこで詰まってしまって全く描き進められなくなった。 そこで昔はどう絵を描いていただろうと思い出してみることにした。 確か授業中とかに落書きしてた頃は、ノートの隅に描きたい"もの"をまず描いて、そこから背景なり周りのものなりを書き足していたこ
いつも旅先や散歩中に、何か覚えておきたい景色があると写真に残すようにしている。 ただ後でアルバムを見返した時、実際に見た景色よりも何か欠けるような、印象が平坦なような気がしていた。 なんとなく原因は画角の広さの問題かなとか考えていた。自分が実際に見ている映像と写真とではもちろん範囲が全然違う。今だとカメラの機能でパノラマビューとかもできるし、フィルター等で印象に残ったものだけ際立たせることもできるはずなので、そのうち試してみようかと思っていたが、そこまで気にせずにいた。 そ
空気階段の「定時制高校」のネタを見て、1年ほど前に亡くなった祖父との思い出が蘇ってきた。 祖父は無口だけれどもいつもニコニコしていて不思議な安心感を持った人だった。 僕自身もそんなによく喋る方ではないので、会話自体はそんなにしなかったけれど、ずっと親近感を感じていた。そしてあまり喋らなくてもみんなに愛される祖父を目標のようにも思っていた。 そんな無口な祖父が、一度だけ僕に長文で喋りかけてくれたことがあった。 僕は大学進学のタイミングで実家を離れて一人暮らしすることになり、
久々にゲームセンターに行ってメダルゲームをやっていたら、ジャックポッドが当たった。 通常の当たりでは払い出し10枚とかなのに、ジャックポットは1000枚と桁が全然違った。 まるで永遠に続くかのように注ぎ続けるメダルに、1人で来ていた僕はビビり散らしていた。 普通は嬉しいことのはずなのに当たったことが怖くて仕方なかった。 ジャックポットチャンスで玉が当たりに近づく度に心の中で 外れろ、外れろ と念じるくらいに。 なんか基本的にずっと人生こんな感じで生きているな。 幸せな状態
シン・ゴジラはかなり楽しめたので、話題になっているシン・ウルトラマンも観に行ってきた。 ウルトラマン自体そこまで観ていたわけではないが、子供の頃にウルトラマンのフィギュアいっぱい持ってたなあと懐かしい気分になった。 戦闘シーンもめちゃくちゃテンションが上がった。 メフィラス星人との戦闘開始場面が特に熱くて、やはりどこかこの高揚感に懐かしさを感じた。 と書いてきたが、一番気になったのは科学部分で、むしろその部分を考えすぎていて見逃したり、聞き逃した部分もあるし、完全に楽しみ方
数ヶ月前、駅前でビラ配りをしている人がいた。 僕はこういう類のものは常に全て受け取る姿勢でいるか、全て受け取らない姿勢でいるかの2択だと思っているので、面倒ごとを避けるため基本は受け取らないようにしている。 その日も無意識にビラを断っていたが、断っている途中で(おそらくそこまで有名でない)劇団の公演?に関するビラだとわかり、断った後で非常に後悔した。 こういった偶然の出会いに身を任せて面白いものに出会う瞬間が堪らなく好きだからだ。 だが、一度断ってしまった手前、もう一度受け取
夏の景色を見ると死にたくなる。 青空にそびえる入道雲、蝉時雨が聞こえてきそうな夕方の田園風景、畳と障子と風鈴。 これは僕だけでなく皆にうっすらとある共通認識らしい。 楽しい青春時代を過ごすことができなかったコンプレックス? もうあの日に戻れないという感傷? なぜかどちらもしっくりこない。 青春時代を謳歌していたかと問われるとそうではないが、公園で幸せそうに遊ぶ家族や大学生を見ても特にうらやましいとは感じない。 子供時代にもう一度戻りたいとも思わない。今の方がはるかに自由で、
僕は自分が晴れ男であると自負している。 子供のころから大きなイベント事の際に雨が降ったことはない。 それどころか僕が建物の外に出た瞬間、激しく降っていた雨が小降りになったり、突然晴れ始めたりもする。 例えば小学校の修学旅行で一泊二日で東京へ行った時の話、天気予報によると両日とも雨の予報だった。 ところがふたを開けてみると、1日目は快晴。2日目の午後にかけて空色は怪しくなっていったが、結局、雨が降ってきたのは帰りの新幹線に乗ったあたりだった。 しかも新幹線で西に移動したので
最近は状況が状況なだけに家で研究をしていることが多い。 だが家だとどうしても集中力が切れてぼーっとしてしまう時がよくある。そんな時は中学の頃のエピソードを思い出したりする。 僕は中学の頃、一時期ゲーセンに通っていた時期があった。通っていたといっても部活もやっていたため、週1回くらいだったが、なぜかそこにいた人達のことをよく覚えている。 僕の通っていたゲーセンではUFOキャッチャーやアーケードゲームのゾーンの客層は普通だったが、奥のメダルゲームのゾーンは変な人が常駐していた。
前回 やっと1日目が終わった。 2日目朝:下呂温泉→厳立峡前日に行けなかった巌立峡へ向かう。 反省を生かして時刻表を念入りに調べておいた。 なんといっても下呂から厳立峡の最寄り駅である飛騨小坂までの電車は一日に三本しかない。 バスも日に4本。 巌立峡を散策し、その日のうちに下呂まで戻ってこれるという条件を課した時点で、行程は一意に定まった。 その行程では下呂駅を9時に出発する必要がある。 モーニングを食べてみたかったが、どの店も8時半開店である。 30分しかないうえ、9時
前回までのあらすじ 小学生の休日 1日目夕方: 下呂温泉 小川屋また下呂の温泉街に戻って来た。 宿は直前に決めたので、温泉も食事もついてない。 せっかくなのでどこかで日帰り温泉に入ろうと決めた。 調べると結構たくさんの宿で日帰り温泉ができるようで、場所を決めかねてその辺を何往復もしていた。 途中、公園のような場所にいくつかの屋台が出ており、昭和の歌謡曲が大音量で流れていた。田舎に昭和の曲、めちゃくちゃ日本を感じた。 だが2週目に通りかかった時の曲はグレンラガン。平成に時が進
僕は人混みが苦手だ。 人通りの多い場所を歩いていたり、大勢の集まるイベントやお祭りに行くとだんだん頭が痛くなっていき、すぐ耐えきれなくなる。 なので休日は基本的に家にいることが多い。 ここのところ、コロナウイルスの蔓延を食い止めるため、多くの人が集まるイベントは軒並み中止になり、全国の小中高校も休校となった。 多くの人が楽しみを奪われる形となり、仕事に影響を受けた人たちも少なくない。そのため日本は現在、陰鬱な雰囲気に包まれている。 そんな中、不謹慎かもしれないが、不思議と居
前回までのあらすじ 突如、下呂へ一人旅することを思い立った僕は、無計画さのせいで大損するところをギリギリで回避し、下呂の温泉街の散策に向かった。 1日目午後:下呂温泉散策一応、下呂駅にあった看板をみて、面白そうな観光スポットのいくつかに目星をつけていた。 気になったのは下呂合掌村と全長75メートルもある森の滑り台である。 前者は多分一番ベタな観光スポットだろう、ほぼ義務感で選んだ。一方後者は無類の公園好きの僕にはたまらないスポットである。 ただ、滑り台がもし子供に占拠されて
今年の一月は研究でほぼ一カ月海外にいた。 日本に帰ってきた後、周りからしきりに言われたのが、 「久しぶりに日本に帰ってきたんだし、温泉とか行かないの?」 という文言である。 日本で長旅の疲れをいやしてゆっくりするといえば温泉なのだろう。 斜に構えてると思われるかもしれないが、一カ月くらいだと正直そこまで日本のことが恋しくならなかった。 「ご飯が恋しかったでしょ?」 という文言も日本ではもちろん、海外にいるときすでに向こうの人に言われた。 ご飯はないならないで普通に過ご