神の義 ③
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王は命じた。「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」 生きている子の母親は、その子を哀れに思うあまり、「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言った。しかし、もう一人の女は、「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言った。 王はそれに答えて宣言した。「この子を生かしたまま、さきの女に与えよ。この子を殺してはならない。その女がこの子の母である。」
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がしかし――
アブラハムがイサクを捧げる場面と、その後の彼の人生の書かれた聖書の該当箇所をば、ただただ文字通りに読んでいったばかりでは、この「諸国民の父」なる男にして、人の心の痛みの分かるような人間になったという理解にまでは至らない。
あるいは何十年何百年何千年に渡る研究分析を積み重ねてみせようとも、「文字は殺すが霊は生かす」という言葉の、その”霊”にまで至ることがけっしてない。
けっして至ることがないから、信仰によって聖書を読んでいない海辺の砂のような愚者たちのパセティックかつファナティックな聖書解釈の数々によって、たとえば「あなたを呪う人をわたしは呪う」という神の言葉が「大義」となり変わるようなアクロバティックな「バカ」にまで事は発展し、あげくのはてには自分勝手な侵略行為や、強欲極まりなき戦争行為へまで猛進していったりするわけである。
それゆえに、
「狂人に刃物」のたとえのごとく、バカには聖書なんかくれてやるな…!
バカは聖書を読んでは戦争を引き起こし、悪党たちはバビロンへと急ぎ寄り集まり、詐欺師は国家の認証を受けた宗教法人の設立をくり返しては、神の義たる憐れみの代わりに、宗派だ教義だ神学だのいう「蝮の卵」をまき散らし、そのようにして各時代の満天の星々のような人々が惑わされ、たばかられ、今日もまた生き血を啜り取らていく。
もう一度、ここにはっきりと言っておくが、バカには永遠に聖書なんか与えるな…!
バカや悪党は、聖書を読めば読むだけ、まるでまるで行く先々の地方の人々に迷惑をかけ続けた頃のアブラハムのように、世界中に災いをもたらすのだから…!
それゆえにそれゆえに、
信仰によって、ただ信仰によって聖書を読んだ者であれば、そんなまったくどうしようもないバカであった頃のアブラハムの心の内側にも、ほんのかそけきものにすぎないが、憐れみの灯火が灯された事実に気がつくのである。
そして、そのような小さな小さな灯火こそが、神がけっして絶やさぬようにした希望の光であり、
その後、アブラハム一族がイサク、ヤコブ、ヤコブの十二人の子らというふうに、イスラエル民族として連綿と続いていった、たったひとつの理由であることをも悟らされるのである。
どうしてこんなことを、揺るぎなき確信をもって言い切れるのかといえば、
それはまったく同じ灯火がほかならぬ私自身の内にも灯っており、それによって私は今日まで生かされて来た上に、それのけっして絶やされることがなきようにと、今日ただいまに至るまで生き長らえさせられているからである。
嘘ではない。
嘘ではない証拠として、
私はつい先日も、私の人生において、「イサクを捧げる」という行いに及んだ。
すなわち、私と争っていたある一人の者に対して、「親権」を譲ったのであった。
これはあくまでも比ゆ的な小話であるので、その言葉の通りには物語っていない。
が、かつて私と、私と争っていたその一人の者とは、さながら若きソロモン王の前に訴え出た、二人の遊女のようだった。
互いに互いを非難し合いながら、「我こそがほんとうの母である」と主張して、けっして譲ろうとしなかった。
さりながら、その子の両腕を左右から引っ張り合うようなふるまいを前にして、主なる神は「それではその子を二つに切り分ける」とのたまった。
そこで、私と争っていた者は「どうぞそのようにしてください」と発言したが、心引き裂かれるように思った私は、「どうかその子を殺さずに、生かして、その女に与えてください」と告げたのだった。
冒頭から、私がずっと言い続けている人の痛みを知る心とは、こういうふるまいのことである。
それゆえに、あえて”しるし”というならば、このような心を持った者こそがイエス・キリストのものであり、かつ神の家であるという”しるし”なのであり、またこれこそが「行いによって信仰が完成する」という実例なのである。
少なくとも私は私に与えられた信仰によってそのように確信し、そのように信じたからこそ、そのように「わたしの神」と、この世の「ソロモン王」と、そして「私と争う者」との前においてふるまった。
それゆえに、
たとえどんなに時間がかかっても、私は最終的には私こそが「親権」を勝ち取る者であることを、信仰によってまだ見ぬ未来を確認している。
たとえ私が「親権」を争っている「赤子」が、私自身の腹を痛めて生んだ子でなかったとしても、私の心にはその子に対する「愛」があり、その子の抱えている「痛み」を、自分のもののように感じることのできる「憐れみの心」があるからである。
神の憐れみは、神の裁きに打ち勝ち、
神の裁きは、神の憐れみの前に、首を垂れるのである。
それゆえに、「赤子」に対して「憐れみの心」を持っている者の方にこそ、神の審判は最終的な「勝ち」を与える。
ここでいう「勝ち」とは「罪の赦し」であり、「救い」であり、「慈しみ」であり、「祝福」であり、「平安」であり、といったもののことである。
ものはついでなので、”霊”に感じてもう一つはっきりと書いておく。
この地上に、かつての若きソロモン王のような賢王など、いはしない。
当代の、現代の、二十一世紀の民主主義であれ、三権分立であれ、なんであれ、若きソロモンのような裁きをなし得るシステムなんかであるはずもなく、すなわち、「神の義」によって審判のできるような裁判所が、巷間に存在するはずがない。
それはこの身をもって私が生きて、見て、歩き回って、食べて、味わったところであり、だからこそ、この私はよけいに人の痛みを知るようになり、それに同情し、そこに心を寄せ、なんとしてでも憐れみを示すことをしたいと決心するに至ったのだから。
それゆえに、
「憐れみ、憐れみ、憐れみ」こそが、イエスがキリストであり、キリストがイエスであるという奥義を知るための灯火であり、その憐れみの灯火を心に灯している私は、けっして希望を失うことがない。
たとえソロモンの居ないこの地上の裁判に負けて、「親権」を失うことになれども、希望を失わず、生きる力も失わず、「赤子」に対する憐れみも愛も失うことがない。
私の憐れみの心は、試練によって種をまかれ、鍛錬によって育て上げられて結ばれた、平和に満ちた義という実であって、なんぴとたりとも私から取り上げることも、奪い去っていくこともできない、私の天に積んだ宝だからである。
だからたとえ私が「親権」を失っても、私の中から憐れみという義が失わることは、けっしてないのである。
私はこの憐れみの果実をもって、「親権」を神に返すものである。
私は私と争っている者に対して「親権」を譲ったのではなく、神に返したのである。
私の中に憐れみがあるとしたら、それは神からのものであり、私の心が憐れみの心であれば、そこが神の宿る神の家だからである。
神のものは神に返す――「赤子」でも「親権」でも、ほかのなんであろうとも、そもそもそれらが私のものであると、だれが言ったであろうか。それらはいかなる国家のものでもなければ、王のものでもなく、皇帝のものでもなく、ありうるかぎりの「人」のものなんかではけっしてない。
いっさいはわたしのもの、わたしはキリストのもの、キリストは神のもの――神のものは神に返すまでである。
それゆえにそれゆえに、
「イサクを捧げよ」という神の言葉こそが、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」というイエスの言葉に込められらた真意だと言ったのである。
つづく・・・