神に聞かれた祈り
「神に聞かれた祈り」について、少しだけ書いておこうと思う。
ただし、書き出す前に、かえすがえす断っておくが、これは「神(イエス)と私」との、とてもとても「個人的な間柄における祈り」にすぎない。
ゆえに、ヤベツの祈りとか、ダビデの祈りとか、主の祈り、といったような、「万人向け」の祈りなんかでは、けっしてない。
あくまでもあくまでも、「父なる神と私」、「イエスと私」との間に築かれた、信頼関係の中で取り交わされた「個人的な祈り」である。
これを読んで、こんな祈りの真似しようだなんて思う人は出てこないとは思うが、万一、「モノ好きな人」がいたとしても、その人個人にとって「聞かれる祈り」となり得るかどうかは、神のみぞ知るところである…。
いったい、どんな祈りだったというのか――。
まずは、以下のようなエピソードから、始めたい。
サラリーマン時代の話になるが、
「数値化されない仕事を、あえて数値化することで」、自分の身を守り、かつ、評価を高めた、
という経験がある。
別段、始めから確たる思いや意図があって、やり始めたわけではない。
モラトリアムも終わり、とある企業に就職したはいいものの、「毎日毎日、自分のしている仕事はいったい何なのか、少しも分からない」というふうに、悩み苦しんだ時期があった。
それゆえに、ほかならぬ自分のためにこそ、自分の仕事を「可視化」するべく、「数値化」してみようと、――そんな些細な思いつきが、きっかけだったばかりである。
まさかそれが、当時ばかりか、後年になっても、これほど役に立つことになろうとは――。
その時の私を、サッカー選手になぞらえて言うならば、ただの「新人選手」だった。今年初めてプロ入りしました、というくらいの、まったくの「補欠要員」であり、「育成選手」にすぎなかった。
だから、「ゴール数」とか「アシスト数」といった、「分かり易い数字」をもって自分の仕事をアピールすることは、「時期尚早」であり、来る日も来る日も、ひたすらボール拾いのような「下働き」が、くり返された。そんな日々の中で、「いったい自分は何をしているのだろう」という疑問を抱かずには、いられなかったのである。
そこで考えたことが、己の仕事の「可視化(数値化)」であった。
これもサッカーになぞらえて言うならば、「ゴールにつながるアシストの、さらに一本前のパス」を、「自分は何回提供できたか」というような、――まあ、正直に告白して、かなり「自己満足な採点」であったように思う。
しかし、「ゴール」という最も大切な仕事につながる「アシスト」の、さらに「一本前のパス」を――そういうパスのことを、なんという名称で呼ぶのかいまだに知らないが――、当時の私は「セカラン(セカンド・ラストの略)」と呼んで、ほそぼそと、カウントを続けていた。
そんなある時、所属部署の長(おさ)から、だしぬけに、「入社して早2年になったが、これまでの自分の仕事ぶりを総括して、書面をもって報告しろ」と申し渡された。(これは私だけでなく、入社3年目までの「新人」全員に課された、タスクだった。)
若い私は、少しだけ悩んだ末に、ひそかに、ほそぼそと集計を続けていた「セカラン」の数値をまとめ上げたものを、書面にして提出した。「セカラン」をステーキになぞらえるならば、その脇に野菜も添えたし、前菜や、デザートやも付け加えて、といった、いわば「プレゼン」を若いなりにがんばったように思う。
結果は、まったく予想だにしていなかったほどの「好評」を得た。
正直に申し上げて、そのとき私の提出した「セカラン」の数値に、どれだけの客観性があったか、当時も今もはなはだ疑問である。
しかし、客観性なんかまったくどうでも良かったらしく、時の上司だった男は――「数字絶対主義」的な人だった――、私の「仕事へ向かう姿勢」を部員全員の前でほめちぎりながら、「この男の「セカラン」は、去年一年の部全体の売上げの、約30%に貢献した」などという、これまたいちじるしく「信憑性を欠いたストーリー」を一人で紡ぎあげて、一人で喜んでいた。
もちろん、そんなストーリーの「純然たるフィクション」であったことは、誰もが知っていた。だから、すべてはただの「笑い話」で終わったのだったが、――後になって、私は同じ「フィクション」が、私を「望まざる部署への配置転換の危機」から救っていた事実を知った。さらに言うならば、「望んでいた部署へのアシスト」まで、してくれていたのだった。
くり返すようであるが、「セカラン」のカウントを始めた若い私に、始めから確たる意図などなく、よもや後になって私を救うことになろうなどとは、想像すらしていなかった。ただただ、「ボール拾い」か「皿洗い」のような日々にあえいでいた自分自身に、なんらかのモチベーションを与えてやりたいという、ちっぽけだが切実な事情があったばかりである。
それが、自分を左遷の危機から救い、栄転のきっかけまで与えたことに至っては、「幸運」以外のなにものでもない。
さりながら、ここが「人生のままならぬ所」であるが、そんな「栄転」や「幸運」が、サラリーマン時代の自分を「本当に幸せにしてくれたか?」といえば、けっしてそうではない。――「幸せ」という概念は、いつでもはなはだ曖昧なものではあるが、自分という人間の本分にそぐわない仕事をしているかぎりは、いくら傍目に良く映るような出来事に恵まれたとしても、「所詮は所詮」なのである。
しかし、冒頭の「神に聞かれた祈り」――非常に非常に「個人的な祈り」とは、まさしく、こんな類の祈りであった。
ちょうど良い機会なので、このnoteにおける、私の「これまでの仕事の数値化」も、してみようと思う。
私がここに駄文を書き始めてから、早3ヵ月(正確には3ヵ月半)が経過した。
その間、ちょうど80記事(この記事を含めない)を、投稿している。
平均したところ、およそ「3日に2記事」のペースとなった。
内訳は、
文学系のものが「30記事(約76,000文字)」
聖書系が「44記事(約98,000文字)」
どちらとも言えないものが「6記事(約9,000文字)」で、
計80記事(約183,000文字)である。
これを400字詰め原稿用紙に換算すると、約460枚で、仮に書籍化を考えたとしても、十分なボリュームであるといえよう。
文学系と、聖書系と、おのおの書籍化することだって、量的に可能である。
したがって、以上を総括すると、
私は、noteを始めてより、「3ヵ月半で、2冊の書籍」を出版するに十分な仕事をした、――ということになる。
余談にはなるが、このほかにも、ここ5ヵ月の期間だけで、
原稿用紙約90枚の短編をひとつと、約10枚の超短編をひとつ書き上げた。いずれも純文学の作品である。
これら、たった2編を書き上げるために、70編(約210,000文字)もの習作を作っている。(すべて「練習モノ」なので、純文学ではないが。)
私は、この約半年間の己の仕事ぶりを、誰かに知ってもらいたいという理由から、こんな事を書いているのか。
そうではない。
ならば、なにゆえにこのような話をするのかと言えば、ほかでもない、たとえばこういう類の「プレゼン」をば、ほかならぬ「わたしの神」に向かって行ったからである。
それが「神と私」との間の、「個人的な祈り」だった。
そして「個人的」であるがゆえに、確実に「神に聞かれた祈り」であると、確信できるのである。
そもそも、これは、神の方からあった話なのだ。
ある時、神の方から私に向かって、「ここ数ヵ月間のお前の「仕事」を総括して、わたし(神)に報告しろ」というような、さながらあの時の部門長からの「タスク」を、言い渡されたのである。
それを「聖書っぽく」翻訳すれば、「お前の「信仰」に伴う「行い」はなんなのだ?」と、訊かれたのである。
そのとき私は、かつての若き日のように悩んだ。
いったいどうやったら、私の「信仰」を「行い」として、神へ向かって報告、プレゼンすることができるだろうか、と。
そこで思い出したのが、己の仕事の「可視化(数値化)」だった、というわけである。
こういうわけで、私は初めて、自分が「サラリーマンをやっていて良かった」という気持ちになった。まさにまさしくその瞬間まで、「サラリーマンとして過ごした日々はすべて無駄だった」と、本気でそう思っていたのだから。
ビジネスは質よりも量である、という。
では、「わたしの神」もまた、「信仰に伴う行い」を、「質よりも量」としてプレゼンしろと、そう言ったのだろうか?
けっして、そうではない。
むしろ、「信仰」も「行い」も、「量よりも質」であると、「わたしの神、イエス・キリスト」は、私に対して、いつもいつでも、そう言い続けて来たように思う。
しかし、
ひとたび「質」を問い出したなら、いったい「神以外のだれが」、公平な、公正な、正確な評価を、下すことができるだろうか。
たとえば、私がいくら、「このnoteに私が投稿した80記事だけを取ってみても、近現代の「なまくらな作家たち」や、そこいらをうろついている「ぼんくらなレビ人たち」のものよりも、ずっとずっと良質のものです!」などといふうに訴えてみたところが、ヒトサマの反感を買うばかりか、最終的な審査は、「神」にしかできないものである。
「質」なんてものは、それくらい、人間がやろうと思ったら「相対的な、あまりに相対的な」判定にしか、なりえないのである。
だから、私が神に対して行った「個人的なプレゼン」も、「数値化」に絞ったものだった。
で、結論を述べるならば、そういう「数値化」は、結局、誰のためになったか?
そう、ほかの誰でもない、「私自身」である。
「わたしの神」は、私が自分の「信仰に伴う行い」の「数値化」なんぞをして、プレゼンする以前から、私の祈りの内容を、すべて知っていた。
すべてすべて、すでに知っていたことだったのに、なぜ、わざわざ「報告しろ」と言ったのか?
そう、「私に分からせるため」だった。
たとえば、先述の「3日に2記事」とか、「3ヵ月半で2冊」とか、可視化してみなければ、私にはけっして分かることがなかった。
そして、可視化してはじめて分かったこととは、
この半年の間に、「これだけの仕事をやってのけたのだ」というような話よりも、
むしろ、「これが自分の無理なくできる仕事量なのだ」という事実の方だった。
そしてそれは、目に見える事実以上の、とても価値あるものだった。
だから私は、以下の言葉を思い出したのである。
―― わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽い ――
「わたしの神、イエス・キリスト」の言った、なんとも美しい言葉である。
それまで、幾度となく耳にしていながら、その真意が分かっていなかった言葉でもあった。
たとえば「80記事」だろうが、「90枚の短編」だろうが、「70篇の習作」だろうが、やっみない限りは、終生分かることのなかったように、
やってみて、「数値化」してみて、はじめて、「わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽い」という真意を、私は悟った。
もちろん、「80記事」にしたって、「90枚の短編」にしたって、「70篇の習作」にしたって、書き連ねている瞬間は、「生みの苦しみ」の連続だった。
それでも、どこまでいっても「所詮は所詮」でしかなかった、サラリーマン時代の「奴隷のような苦しみ」とは、まったく質も次元も異なっていた。
「生みの苦しみ 」には、「奴隷の苦しみ」なんかには絶対にない、それまで味わったこともない、ほかにたとえようもない、「喜び」が伴った。
そんな「喜び」は、「わたしの神、インマヌエルのイエス・キリスト」以外には、誰も私に与えられるものではなく、どんな存在でも、私からけっして奪えるものでもなかった。
このような経緯があって、
私はやっと、
奴隷の軛から解放されて、「キリストの軛」に繋がれていた事を、理解した。
やっとやっと理解して、やっとやっと喜びと感謝の祈りを捧げた。
そんな喜びと感謝の祈りの中で、ついに「幸せ」が、生まれてはじめての輪郭を得た。
だから、これはなにからなにまで、個人的な祈りなのだ。
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