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信仰によって、聖霊によって ①


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わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
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ごく簡潔な筆致ときわめて単刀直入の物言いとをもって、はっきりとしたためておく。

わたしはすでに、なんどとなく語って来た。

すなわち、「聖書は信仰によって読むものである」、と――。

だからここにあらためて、その証憑としてもっとも顕著にして明快な事例をば二三件、以下のとおり挙げておく。



「…このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。
四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。…」

これは『使徒言行録』の中に書き記された、信仰と聖霊に満ちたステファノなる若者の、最後の言葉の一端である。

続いて、

「…信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。…」

今度は『ヘブライ人への手紙』の中の、素性不詳の著者――あのまだるっこしく、くだくだしい筆致から察するに、おそらくはパウロその人ではないかと思われる。そこでこの文章を進めるにあたり、便宜上、著者はパウロと仮定する――の手紙の中の、よく知られた一箇所である。

いずれ、キリストの死に先立つことおよそ1000年以上前に存在した預言者モーセについて、キリストの復活後まもなく語られている。

それでは、これら言葉たちがいったいいかにして、「信仰によって聖書を読んだ」証左たり得るというのだろうか――?


以下もまた、こんにち一冊の書として編纂せられた「聖書」の中の、『出エジプト記』の一文である。

「…レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。…
モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。…」

わざわざ断るまでもないが、『出エジプト記』とは、こんにち旧約聖書なる呼称をもって呼ばれる書物の『創世記』に次ぐ第二章目のことであり、いっぽう、くだんの『使徒言行録』とか『ヘブライ人への手紙』とかは、新約聖書として知られるものの内に収められたる各章のことである。

そうして先述のとおり、それぞれの文章が書かれた時と時のあいだには、およそ1000年もの累月が横たわっている。

すなわち、ステファノにせよパウロにせよ(あるいはパウロ以外の未詳の著者にせよ)、彼らはモーセをその目で見たこともなければ、直に話したこともなく、荒野にあって寝食を共にしたという事実もいっさいないわけである。

であるからして、もしも「モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び…」とか、

モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました」とかいう文章について、

いずれアロンやヨシュアといった、モーセと同時代の側近らの手によって綴られたものだと言われたならば、「さもありなん」と肯うこともできよう。

がしかし、1000年以上も昔日の、この世界の片隅に生きたとある一人の小男の生育の有様や、はてはその心の内側に潜んでいた思いをば、どうして後の時代の同様の小男たちにあってさも生き生きと、のびのびと、はては極めて断定的とも言うべき口吻と筆致とをもって、表白することを得たのだろうか。

だって、「モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました」とか、

キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました」とか、

そんなことは、「旧約聖書」においては、一言も書かれていないではないか――

むしろ、

「…モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた」とか、

「…モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき…」とかいう字面からは、その字面以上の情報など、だれにも読み取ることなどできはしないではないか――。


がしかし、わたしの言う「信仰によって聖書を読む」という言葉の主意を解する者であれば、とくだん訝しがるにも、不思議がるにも及ばない。

というのも、そんな事例ならば、ほかにも幾つも存在するからである。

そうして、そのもっとも顕著にして、とてもとてもとても「衝撃的」とでも形容すべき言葉の幾多こそが、ナザレのイエスその人の説教なのであった。

たとえば、

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

とかいうような。

劈頭、わたしは「奥義」だの「真理」だのいう言葉遣いをした。

これもすでになんどとなく書いて来た事柄であるが、それらはすなわち、「神の思い」のことである。

思い、気持ち、考え、心情、情感――つまりは、「奥義」だの「真理」だのと、さも大仰なる言葉の指し示すところ、ほかのなにものでもありはしない、「神の御心」に尽きるのである。

それゆえに、

目には目を、歯には歯を」の中に込められた主意、実意、言意、真意――すなわち「神の御心」とは、「右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ」だったのだ――!


少なくも、イエスなる男はそのように「奥義」を悟り、「真理」を見極め、しかりしこうして生き生きと、力強く、また極めて断定的に、もっと言えば、その言葉を聞いた人々が皆驚きを隠せなかった「権威」を持って説き明かした。

説き明かしながら、処々方々をめぐり歩いた。

しこうして、そのような不思議な言葉と、不思議な力と、不思議な業によって、「目の見えない人の目を開け、足の不自由な人を立ち上がらせ、重い皮膚病を患っている人は清め、耳の聞こえない人の耳を開き、死者をよみがえらせ、貧しい人には福音を告げ知らした」のだった。

それゆえに、

聖書を信仰によって読む」とは、けっしてほかのいかなるなにもののことでない、ただひたぶるに神が何を思い、何を感じ、何を考え、何を望み、何を語りかけているのか

そのような”声”をもらさず聞き取る生き様と、あやまたず掬い取る死に様のことなのである。

そして、

信仰の創始者にして完成者」という言葉のとおり、そのような生き様と死に様をもっとも見事に、鮮やかに、そして文字のとおり永遠に生きるように体現してみせた存在こそが、イエスその人なのであった。

だからこそ、

わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」という言葉のとおり、

イエス・キリスト、

すなわち、イエスはキリストであり、キリストはイエスである、

というのである。



つづく・・・




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