『100日後に死ぬワ二』が、101日目に炎上した心理的背景を考察してみた。
『100日後に死ぬワ二』がネット上で話題になっている。
100日目までは称賛と感動の声で溢れていたらしいが、僕が知ったのは101日目だったので以下のような声がメインだった。
「感動が覚めた」
「結局ステマかよ」
「応援してきた時間を返してほしい」
こちらの声に関して思うことは後述するとして、こういった一方に寄った声が溢れると大抵の場合、その半日後ぐらいにはその反対の論調が今度は流れ始める。
「アーティストはお金もらっちゃいけないの?」
「商業展開批判する人はほんとナンセンス」
「日本人ってほんと嫌儲だよね」
面白いことに、前者の感想と後者の感想を言う人は多くの場合レイヤーが明確に別れる。あえて、今回渦中にいる電通的な言い方をするならば、前者はB層的な人。後者はA層的な人になるのだろう (補足するが、これが皮肉的な表現である)。
それ自体は、何世紀も前から連綿と続いているポピュリズムVSエリテーティズムと似たような構造なので、いかにシステムが発展しても人間の脳の仕組みは大きく変わらないものなのだなという感想を抱くばかりだ。
しかし、今回の炎上に関して双方の言い分を見ていると発言している当人たちが気づいていない炎上の背景があると感じる。
そしてこれは、コンテンツ発信者が見落としがちなポイントなのではないかと思うので、3つの点に焦点をしぼってまとめていきたいと思う。
1.そもそも100日ワニはなぜここまで受けたのか?
そもそも『100日後に死ぬワ二』がなぜTwitter上でここまで盛り上がったのか?
細かい理由はもちろん色々あると思う。たとえば、コンテンツの面白さ以外にも、
・漫画はリツートされやすい
・最後どうなるのか?を話題にできるのでネタとしてとりあげやすい
・絵がゆるかわ(ガチなマンガ絵より顧客層が広い)
・内容がライトで人を選ばない
などなどがあり、上記がうまく噛み合っていたのは間違いない。
(ちなみに、僕はハライチの岩井が大好きなのだけれど、彼のお笑い考察の中でも「ゴールデンの笑いは30点ぐらい出せればいいんですよ。30点を100点だと思っている芸人が売れる」という名言があって、これはSNSでうけるコンテンツも同様だと思っている(これはコンテンツを貶しているわけではなく、あくまで大衆向けとはなにか?という議論である))
しかし、とりわけ僕が100日ワニがこの短期間でここまでバズり、著者のフォロワーが200万人を超え、マスメディアまで巻き込む展開になった要因は次の点にあると思う。
ゴールテープが極めて明確に見えているから。
おそらくだけれど、仮に同じ「死」というテーマを扱い、同じような絵、キャラでそれを表現したとしても、この「100日後」というゴールを設定されてなかったら、ここまでバスらなかったのではないか。
終わりが見えないものは、応援する方も結構辛い。
しかし、終わりが見える=期間が決まっていると、応援しやすさが劇的に上がる。
つまり、「100日後に死ぬワニに話」がここまで短期間に伸びたのは、「死」という題材を緩やかな空気感で包み込んだコンテンツとしての面白さはもちろんのこと、始まった時点で終わりが見えているというコンセプトがはまったからなのではないか?と僕は考えている。
この仮説を前提に、次項に話を進める。
2.101日目の発表に炎上した人々の裏側の心理
そもそも、なぜ炎上したのか?
その原因が101日目に公開されたこの情報のようである。
100日目に感動のフィナーレを迎え、その余韻に浸る間もなく露骨な商売っ毛。さらに、そのつながりの幾つかに見える電通の影。
(調べる限りだと、ecサイトの運営会社とPVの制作メンバーに繋がりが見られたそうだ。ちなみに、これについては個人的には「いや、こんなんで電通案件って…」というのが僕のスタンスである。友達の友達ぐらい範囲を広げれば、間違いなく数十人単位で電通の関係者いるし、大きなことやろうと思って人を集めたらそれは一人や二人メンバーに入っていてもおかしくないだろう。コンテンツ商社みたいなものなのだから)
これによって、「感動が一気にさめた」「結局ステマかよ」「追ってきて損した」などの感想が一気にツイッターに溢れたらしい。以下、一部参考として引用させていただく。
これに関して、かなり共感を集めているのは、「せめてワニの死を悲しむ時間くれよお爺ちゃん死んだ途端遺産分配の話してるようなもんじゃん」という意見らしい。
確かに、一見的を射ているように思えなくもないが、それに賛同している人の多くは本当に喪に服していたのだろうか?
また、本当に商売化されたこと自体に、そこまで反発感情を覚えたのだろうか?
電通に対して、平時からそこまでの悪感情を覚えているのだろうか?
僕は、それは表面的にわかりやすい部分をすくっただけで、多くの人にとっては本心ではないのではないかと考えている。
では、多くの人はなににそんなに怒っているのか? 炎上の火種はなんなのか?
これについて僕は、前項で触れた「ゴールが決まっているからこそ、集中的に集まった応援」に関わっているのではないかと考察している。
僕自身は100日間の連載中をリアルタイムでは追いかけていなかったけれど、リアルで追っていた人のコメントを見ると、多くの人がマンガとしてコンテンツを楽しむ以上に、「100日間を走り切ろうとするワニくんと作者を応援したい!」という気持ちがあったことが見てとれる。
応援というのは、第三者的なポジションにおいて最大級の主体性の発露である。
作り手を始めとする発信者は意外と気付かないものだけれど、応援しているファンはかなり真剣に「自分もそのコンテンツづくりに参加している」という感覚が強い。
インディーズバンドを支えるオーディエンスの感覚が近いと思う。ファンとして、自分はバンドを支えている。その自覚が無意識にあるからメジャーデビューして、人気が出て新しいファンがつくと心が冷えてしまうのだ。「自分はあの頃から一緒に盛り上げてきたのに、こんな新参者たちと同じ扱いをされている」しかも、バンドの曲自体にもプロデューサーの意向などが入り、一緒に作っていた頃の感じから離れていく。その結果、心が離れてしまったりする。
これが、音楽ならまだいい。
徐々にファンが増えてくる感覚などを時系列で味わうから緩やかにファン離れできるから。
しかし、SNS上で応援しているとその感覚がなかなか味わえない。もちろん、数字は凄いことになったとしても、応援される自分と応援するコンテンツは一対一だ。
だから、今回のことをバンドに例えるとこんな感じだろう。
解散時期が決まっているけど、本当にいい曲を作るインディーズバンドがいて、解散までになんとか一人でも多くの人に知ってもらいたいと思って応援した結果、解散ライブには本当にたくさんの人が集まって、感動のフィナーレを迎えられた。感動して眠りに着いた翌日テレビをつけたら、メジャーデビュー&ベストアルバムの制作が決まっていて、身近な存在だと思ってたのに、その発表を画面ごしに知った。しかも、解散はするけどCDは出すのかよ!ここから儲ける気もマンマンかよ!……みたいな。
ゴールが決まってるからこそ全力で応援してきたのに、なんだかその気持ちを踏みにじられた気がする。その上に、金儲けに利用された気がする。
そんな思いがここまでの炎上を生んだのではないかと僕は考察している。
3. なぜ、「アーティストは儲けちゃいけないの?」という批判こそナンセンスなのか?
最後に、これは蛇足になるのだけれど、本件において一番ダサいのは、「じゃあ、アーティストはどう金儲けすればいいんだよ!」という極めてナンセンスな批判をしている人たちだと思う。
これを考察する前に、ストローマン論法という詭弁法をご紹介しよう。
ストローマンは、議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、歪められた内容に基づいて反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の意見そのものを指す。ストローマン手法や藁人形論法ともいう。
wikipediaより
僕が今回の炎上を見ている限り、「金儲けそのもの」を批判している人はほとんどいなかった。
先述の通り、「自分の応援の気持ちを金儲けに利用された憤り」を感じた人がほとんどであったように感じる。
しかし、その本質を見ようともせず、一見意識の高そうな人たちがこぞって「商業展開批判する人はほんとナンセンス」「日本人ってほんと嫌儲だよね」という批判をするのはとても浅慮なことだと思っている。
冒頭で、炎上したときにこういう流れはよくあると言ったけれど、こういう人たちは自分がエリート的なポジションであることを発信できる場を常々求めているように感じる。
コロナの件では、トイレットペーパーを買いに行く大衆を叩いていたり、リモートワークに舵を切れない企業を叩いていたに違いない。
なぜそれが起こるのか?を冷静に分析できない人は総じてポジショニングトーク大好きおじさんなので、そういう人にはなるべく近づかずに生きていきたいものだ。
じゃあ、どうすればよかったのか?について私的意見
取り止めもない流れになってしまったけれど、最後に「じゃあ、どうすれば炎上は起きなかったか?」について自分の意見を述べておく。
結論から言うと、ゴールテープを切る前に発表しておいた方が良かったのではないかと思う。
今回の発表の仕方は、最終回の終了後に映画化を発表するような、極めてTV的なマスメディア的な発表の仕方だった。
しかし、コンテンツマーケターの視点からいうと、ファンが一番ファンでいるタイミングに発表するのが最も効果的だ。
だから、自分がもしマーケターとして入っていたら、80日目ぐらいのラストスパートの伸びが始まるぐらいで情報を開示し、どんな本になるのか?どんな映画になるのか?憶測を生みながら残りの20日を駆け抜けたのではないかと思う。
そうすれば、100日目の喪失感の中で映画や本は「でも、また会えるから」という意味で、ファンにとっての希望ともなり得たに違いない。
末尾になるけれど、僕はSNSでファンを巻き込みながら進んでいく本作のようなコンテンツがとても好きだ。
次はリアルで参加できるよう、アンテナをたてておこう。
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