
【小説】冬の魔術師と草原竜の秘宝 ㉗
第27話 冬に至る
「かつて我々は、竜とともにありました。この世界そのものである竜と……」
それはおとぎ話でも昔話でもなんでもなかった。
ざあああ、という水の流れる音がどこからともなく聞こえてくる。透明な管の一つを通って運ばれているようだ。
「竜の一生は酷く短い。我々トカゲは百を超え、人間でさえ六十年の時を生きる。だが竜は生まれて一年にも満たぬうちにその命を失うのです。何度その命を見送ったことか。冷たい季節とともに死を迎える竜の姿を、我々は、ただ見送るしかなかった!」
赤い心臓の形をした結晶の光が大きく輝いたかと思うと、光の中から何かが滑り落ちていく。それはゆっくりと、あっけなく奈落へと落ちていった。落ちていく過程で膜を脱ぎ去ったそれは、機能を停止した生産所で虚しく積み上がっていく。落ちていった根菜も、野菜も、穀物も、山のように積み上がっては無惨に潰れていく。イチゴが床を赤く染める。めぇぇ、めぇぇ、という動けなくなった羊の声がする。水を求めて魚がびちびちと飛び跳ねる。
「きみたちは知らぬのだ。寒く冷たい雪に閉ざされたあいだ、眠りにつく我々と、凍えて過ごすしかない人間達とのあいだにどんな分断があったか! あまつさえその怒りを竜にぶつけ、お前さえ居ればと嘆く者たちの怨嗟の声を!」
「だから竜を生き延びさせたのか?」
ウィルの声に、フリードマンは少しだけ落ち着きを取り戻した。
だが既に穏やかで丁寧な言葉遣いは消えさえっていた。
「そうだ。魔法使い達の計画だ。竜の心臓を核とし、生産の拠点プラントとし、この世界を安定させること。私は竜がこれ以上死ぬところを見たくなかった。生き延びてくれさえすれば、寒く冷たいあの季節さえなければ、私たちは共にいられる。……だが、他ならぬ魔法使い達でさえ、気付いた時には遅かった。この世界からは徐々に魔法は失われ、次第に力を失った大地は荒れ果て、やがて深部に至っては腐り果てた」
「……知っていた、のか」
トウカがそれだけを絞り出す。
「そのときにはもう、この国は、アンシー・ウーフェンの力無くしては支えきれなくなっていたのだよ」
荒れ果て、崩れ落ち、この世界で生産される資材はもはやアンシー・ウーフェンを除いて他に無い。かといって竜が死ねば、唐突にやってくる冷たく暗い季節に耐えきれるかどうかわからない。腐れ谷の住人たちだけでなく、人間とトカゲが再び分断される可能性もある。
「だがそこへ貴方が現れた。魔法使い殿。魔法使いウィル!」
老いた目が、黄金の目と交差する。
「貴方の魔力があれば、死にかけたアンシー・ウーフェンを延命させることができる! どうか、このアンシー・ウーフェンを救ってくれ!」
「駄目だ!」
叫んだのはトウカだった。
「例えいま助かっても、そんなのは結局、期限を後延ばしにするだけじゃないか!」
フリードマンの視線が、トウカへと向けられる。
「この世界ごと死にかけてるんだぞ!? そんなのただの気の長い自殺と変わらない!」
「私には責任がある! 残された一人として、このシステムを延命させねばならんのだ!」
「そんなのは責任なんて言わない!」
「もはや我々には他に残された手段が無いのだ! 悪夢のような死の季節を知らぬから言えるのだ。多くの者が凍り付いて死ぬのだ。もしここで竜が死ねば、再び多くの者が飢えと寒さで死ぬ事になるのだぞ!」
「そんなっ……」
トウカは言い返す言葉を無くし、助けを求めるようにウィルを見た。
「魔法使い殿、どうか……どうか、お頼み申し上げます……」
フリードマンもウィルを見て頭を下げた。
ウィルは何も言わなかった。ただ二人の言い争いを見ていただけだった。
「残念だが、どっちの願いも聞けねぇな」
「えっ……」
「な、なんですと」
「俺には俺のやることがある。そのためにここへ来たんだ」
ゆっくりと竜の秘宝に向かって歩き出す。よく見えるところにまで近づくと、赤い光を見上げた。
「俺を呼んだのはお前だろ。――草原の竜!」
指先をまっすぐに、心臓に向ける。
「俺とカナリアをこんな世界に閉じ込めやがって。お前の願いは何だ。言ってみろ! お前の願いは、そのまま生かされ続けることか!?」
ウィルは敢えて間をとってから、続ける。
「それとも、眠りたいのか」
その言葉に呼応するように、心臓の後ろの壁にあるまぶたが勢いよく開いた。もはや竜としての形も保っていなかったが、眼球が動いてまっすぐに瞳がウィルを見返した。
おおおおおお――ん……
低い弦楽器のような鳴き声が強く響き渡った。びりびりと鼓膜を刺激する。トウカもフリードマンも眉間に皺を寄せ、耳を塞いだ。
「そうかい。ならその願い、この冬の魔術師が叶えよう」
どこからともなく冷たい風が吹き付けた。ウィルのマントが勢いよく風に飛ばされて揺れる。
あまりの寒さに、フリードマンがたじろいだ。トウカですらその寒さに思わず目を見張ったほどだった。杖を抱きしめ、何が起きるのかをその目で確かめる。
「こ、この風は、死の季節の!?」
「なんだって?」
トウカがもう一度ウィルへと目線を向けた。
「我が仮初めの名、ウィルの名において命ずる」
ウィルはゆっくりと指先を掲げていく。
「来たれ、冬の使者――」
魔力を乗せた言葉とともに、冷たい風に白い塊が混じりはじめる。吹雪だった。指先に集うように暴れ狂い、溢れた魔力が青色の六花となってきらきらと舞い降りては消えていく。
はっとしたようにフリードマンが歩き出す。
「や、……やめろ。やめてくれ。竜がいなくなれば、我々は……!」
フリードマンが決心したように、懐から小砲を取り出した。大砲を極限まで小型化した、銃とも呼ばれるものだった。震える手で構え、ウィルに向ける。
「よせっ!」
トウカがその体に飛びついて、押さえつけた。老いた体はあっという間に押し倒され、手から小砲が滑り落ちた。杖で向こう側へとはじくと、小砲は音を立てて回転しながら床を滑り、柵の隙間から奈落へと落ちていった。
代わりに銃口のように指先を向けたのはウィルだった。黄金の瞳が竜の秘宝に照準を合わせる。
「――――――アイスストーム!」
冷気が迸った。
暴風雪が龍の秘宝めがけて荒れ狂い、大気ごと凍てつかせながら駆け上がっていった。氷の龍がその冷徹な牙を剥き、竜の秘宝へ、竜の心臓へと食らいつく。
強烈な冷気に晒された赤い宝玉から、凄まじい音がした。中央までたどり着く大きな罅が入る。
やがてぱぁんと音がしたかと思うと、粉々になって砕け散った。
*
大地が揺れたと思った。
パキパキと奇妙な音が響き渡る。人々はいったいどこからしているのかと周囲を見回した。
揺れていたのはアンシー・ウーフェンだった。
アンシー・ウーフェンの外皮から、突き刺さったホチキスが弾き飛ばされた。近くに止められた騎乗竜たちがその場から逃げていく。ごうごうと音がして、ぱらぱらと何かが落ちていく。
互いを押さえつけていた警備隊と集落の男たちでさえ、その異様な光景を見上げた。
「なんだあ!?」
「こりゃ一体……」
腐れ谷の住人たちも、街の人間たちも、トカゲたちも、みなアンシー・ウーフェンを見ていた。
家の中に閉じこもっていた人々でさえ、窓を開けてその様子を見守っていた。
ずずずう、と音を立て、巨樹が動いている。
ばきばきと巨木の外皮が剥がれ落ち、地面へたたき付けられる。それは駅にも平等に降り注いだ。駅員に詰め寄っていた人々は急いで駅から退避していく。剥がれ落ちた外皮の中から、老いた白緑色の鱗が姿を現した。やがてみきみきと音を立てながら巨大な翼が広がっていく。
抱きしめていた塔から離れるように、内部に建設された足場から体を離していく。
ぶちぶちと繋がった管やコードが落ち、古いものと新しいものが混じり合いながら崩れていく。周囲へと落ちたシリンダーが割れて、中の緑色の液体をぶちまける。
樹木の枝のような角を二本だけ残し、頭の部分を覆っていた幹が枝葉の部分ごと一気に崩れ落ちていく。苔を振り払うかのようだった。僅かに頭を振ると、老いた巨大な竜の顔が姿を現した。
体中から土埃を落とし、余分に繋がれた何もかもから解放されていく。
「あれは、竜?」
「竜だ……」
「竜だ!」
「守護竜だあっ……!」
見上げていた誰もが、それは竜であると確信した。
長く忘れ去られていたその姿を、人々の心に強烈に焼き付けていく。
ぐぐぐ、とゆっくりとその顎が開かれていく。
――おおおおおお、ん……
弦楽器のような鳴き声が響き渡る。
空に向かって、世界中に向かっておやすみでも言うように。
竜は、立ち去ってなどいなかった。
長い間、人々とともにそこに居たのだ。
たったいま、長い長い仕事を終え、竜は眠りにつこうとしていた。
いいなと思ったら応援しよう!
